第44話 賑わう下町



 私達を乗せた馬車は貴族街の裏路地に入ると、徐々に速度を落とし停車した。流石に裏路地は変わらず人の気配はないのだが、裏路地にいても尚何処からか躁狂な響が聞こえてくる。


 以前に来た時とは違う、陽気な雰囲気に私はふらふらと歩みを進めた。


 建物が隣接している影響もあり、裏路地には余り日が射さない。故に日中だというのに薄暗く人通りは殆んどない。更には商店や住居の裏口になっている裏路地には木箱や麻袋、空の水瓶などが無造作に置かれている。通行には支障がない程度だと言え、無造作に置かれたこの荷物達を避けながら路地を進むのは子供の私にだって一苦労である。好き好んでこう言った裏路地を通る人間は居ないだろう。


 況してや、どれだけエイペスクが平和な領地と言えど、犯罪の多くはこう言った人気の少ない場所で起こるという事は周知の事実である。それが更に裏路地の利用の低下に繋がっているのであろう。



『ちょっとごめんよ〜』



 そう言って正面から小さな麻袋を抱えた少年が猛スピードでこちらに向かって走って来た。

この狭い裏路地ではすれ違う事は出来ないだろう。そう思った私は木箱の陰に寄って少年に道を譲った。



「ありがとな! 急がないとおやっさんにドヤされるんだ〜」



 すれ違いざまにそう言うと、少年はあっという間に行ってしまった。


 見た感じ私とそう変わらない歳に見えた少年は恐らく何処かのお店の見習いなのだろう。乱暴な物言いだったが、身形は整っており、大事そうに抱えていた麻袋からはシャンシャンと硬貨が擦れる音が聞こえていた。



「まったく、無用心だ」



 同じ様に少年に道を譲っていたトリスタンが木箱の陰から出てきた。



「え、何がですか?」



 私は首を傾げてトリスタンに尋ねた。



「幾ら急いでいるからといって、あんな大金を抱えて裏路地を通る事だ。普段なら未だしも、この時期はこう言った場所の警備は手薄になるからな」


「でもこの先は大きい通りですし、大丈夫なんじゃないんですか?」



 私はトリスタンの話に納得しつつも、私達が来た道に視線を送り、そう述べた。



「偶然、運が良かっただけだろ。もし仮に俺たちが悪党だったら彼奴はどうなっていた?」


「それは……」



 確かに彼は運が良かっただけなのかも知れない。私が次の言葉を探していると、トリスタンは更に話を続けた。



「だからユティーナも1人でふらふらと路地裏に入るんじゃないぞ」


「はい」




 路地を進むにつれて、お祭の雰囲気に浮かれた人々の陽気な笑い声や商魂逞しい店主達の活気ある呼び込みがはっきりと聞こえる様になってきた。



「ここを曲がれば中央広場だ」



 トリスタン言われた路地を曲がると広場へ繋がる路地から太陽の光が射し込んで、ジリジリと私の顔を照らした。しばらく薄暗い路地裏を歩いていたからだろう、あまりの眩しさに私は目を瞑った。



「うっ……」



 徐々に眩しさに慣れゆっくりと目を開くと、中央広場は狂騒にも似た雰囲気に包まれていた。人々はある所では歌い踊り、またある所では酒を酌み交わし、はて又ある所では諍いが起こり、それを周りが囃し立てている。時折どこからか太鼓と笛の音が聞こえて来るが、それもすぐに広場の喧騒にかきけされてしまう。



「わぁーー」



 以前来た時とは異なる賑やかな町の雰囲気に圧倒され、私はその場に立ち尽くした。



「何を惚けている。行くぞ」



 後ろからやって来たトリスタンに声を掛けられ、私は我に返った。



「あ、ちょっと待って下さいよ〜」



 立ち尽くしていた私を他所に、トリスタンはスタスタと群衆の中を進んでいく。慌てて私はトリスタンの側へ駆け寄った。



「何処に行くんですか?」


「何処にって。今日も彼奴の所に行くのだろ?」



 先に進んでいくトリスタンの顔を覗き込むように私が尋ねると、彼は呆れたようにそう述べた。



 …………?



 『彼奴』とは一体誰の事だろうかと首を傾げた。が、一瞬でトリスタンが誰のことを言わんとしているのかを理解して、私は顔から火が出るような気持ちになった。



「な、何でロレンスがそこで出てくるんですか!?」


「違うのか?」


 突然立ち止まったトリスタンはすぐ様振り返った。


「ロレンスはもうこの街にいません」


「ああ、そうだったのか。そういえば、彼奴は行商人だったな」



 私の言葉にトリスタンは納得した様だった。


 なぜ私がロレンスの不在をしているかというと、先日下町行った数日後に私宛の手紙が届けられたからだ。ロレンスは今頃『シャジャハーン』へ向かう道中であろう。手紙には来年の今頃にはまたエイペスクに立ち寄るので、その時はまた商会を訪ねて欲しいと書かれていた。


 しかし、私は一度もロレンスにお城で生活しているとは言っていなかったので手紙をリタから手渡された時は驚いた。私の名前を書いた所で普通は私の所まで手紙は配達されないからだ。


 だが、どうやらロレンスはこの手紙を『正規のルート』ではなく別の手段を使って私に届けてくれたらしい。それは、訓練所にいるテュール兄さんに手紙を届けてくれるよう頼んだようだ。実際、私たち兄弟はロレンスに正確な情報を何一つ教えていなかった。唯一ロレンスが知り得た情報は私の兄であるテュール兄さんが騎士見習いで、訓練所で生活しているという事くらいだ。故にロレンスは兄さん経由で私に手紙を送ってくれたのだ。


 ただ、あの日私たちと一緒に居たのは兄さんではなくトリスタンだった。なのでテュール兄さんはロレンスの事を知らない筈なのに何故快く手紙を受け取ったのだろう? まあ兎も角、ロレンスからの手紙は無事私に届いた訳で、気にする様な事でもないだろう。


 本音を言えば、今日もロレンスに案内をお願いしたかった。けれどもロレンスは町商人ではなく行商人だ。その大きな違いは、住民権を持っているか持っていないかなのだ。それはエイペスクへの道中ロレンスが話してくれたから知っていた。行商人は町から町へ品物を移動させて利益を得なければならない。故に一つの町に留まる事は決してない。わかってはいた事だ。が、やはり少し寂しい。



「で、どこに行くんだ?」



 トリスタンはそれ以上何も聞かなかった。無愛想ではあるが、彼は彼なりに私に気を使ってくれているのだろう。折角、下町に来たのだからこの雰囲気を楽しんでおこうと、私は笑みを浮かべた。



「おすすめの場所はありますか?」



 私の言葉にトリスタンは溜息を吐いた。



「また考えなしに……」



『今年の『粛清』はどうだろうな』


『去年は凄かったよな〜 火達磨だぜ』


『ああ………』



 トリスタンが何か言っている様だったが、横を通り過ぎて行った男性たちの楽しげな会話が気になって何を言っているか聞き取れなかった。


 男性たちは『粛清』やら『火達磨』やら、何やら物騒な事をとても楽しそうに話していた。



「あの、兄さん。『粛清』ってなんですか?」



 まだ話の途中だったトリスタンに尋ねてみた。



「ん? 『粛清』か? 罪人の公開処刑のことだが、そんな事に興味があるのか?」


「…………『公開処刑』」



 トリスタンの言葉に私は血の気が引いた。そして、その言葉の意味を確かめる様に私は言葉を復唱した。つまり、罪を犯した人を人々の前で殺すという事だ。その様な非道な行いの事を彼らは楽しそうに話していたのだろうか。



「ああ、毎年奉納祭の時期に西門の近くの広場で行われるんだ。町の連中には人気らしいが、余りおすすめはしないぞ。今年のはちょっとユティーナには刺激が強すぎるかもしれないからな」


「あのちょっと待ってください。罪人にも『人権』ってありますよね?」


「何を言っている。住民権なら分かるが、『ジンケン』とは何だ?」



 そうか、この世界に人権という概念がそもそも無いんだ。


 トリスタンの反応からある程度の事は理解できた。つまり、罪人たちは見せしめの為に公開処刑になるらしい。そしてそれは人々の『娯楽』の一つとしてまるで中世のヨーロッパのように受け入れられているようだ。



「国王様の仕事の一つは王国の平和維持だからな。それを脅かす罪人は『反逆者』として扱われる。人々が罪人を『魔女の末裔』と呼ぶのものそのためだ」


「じゃあ、魔女の末裔と魔女は直接は関係無いんですか?」


「ああ……あくまで比喩だからな」



 なんだっと私が納得すると、トリスタンは肩を竦めて再度口を開いた。



「で、どこに行くんだ?」


「じゃあ、その広場まで」


「今日は粛清の日ではないぞ?」


「だから行くんですよ」



 成る程と納得した様子でトリスタンは歩き始めた。私も後を追うように急いでトリスタンに付いて行った。



 先日、ロレンスに街を案内してもらった際に大体の有名な場所には連れて行って貰った。しかしその広場には行かなかったので、少し行って見たいと思った。そのついでに祭りの雰囲気も楽しもうと思ったのだ。


 トリスタンの後ろを歩きながら、祭りの雰囲気に満ちた通りを歩いていく。普段、露店が開かれてい無い通りでも通りの両脇に露店が開かれていた。綺麗な宝石のアクセサリーや見たことも無い料理、様々な物が売られていた。私は色々な商品に目移りしながらも、トリスタンとはぐれないように後を付いて行った。


 ふと変わった果実を売っている露店に目を惹かれた。そこには綺麗なピンク色の果実が並べられていた。桃というより林檎のような果物だった。どんな味がするのだろうと、私は足を止めて眺めていた。その時。


 私の横から私と同じくらいの背丈の少年が飛び出して来た。


 突然の事に驚いていると、その少年はそのピンク色の果実を2、3個掴むとそのまま走り出した。



 窃盗である。



『こらーー! クソガキ!』



 店の店主は店先に現れ、少年に向かって罵声を浴びせている。しかし、少年は止まる事なくそのまま走り去ろうとしていた。


 そして私はというと店主が店先に出てくるよりも先に少年の後を追って走り出していた。



「ちょっと! 待ってよ!」


「……」



 私は走りながら少年に話しかけたが、少年はこちらを振り返る事なく人々の間をすり抜け走り続ける。このまま走って追いかけても、私の足ではその内見失ってしまう。



「リュウ! あの子を追いかけて!」



 私が声を掛けると鞄の中にいたリュウがひょこっと顔を出し、少年を追いかけて飛んで行った。その間にも私と少年の距離はどんどん離れていく。しかし、すぐにリュウは少年に追いついたようで、少年の少し後を追うように人々の頭の上を飛んでくれていた。これでリュウを見失わなければ追いつく事が出来る。そう思った私は必死でリュウの後を追いかけた。


 するとリュウは少し行った先で建物の間を曲がって行った。私も慌てて人混みを潜り、リュウが曲がって行った先へ向かった。



「え。この先って……」



 人混みを抜けると、その先は裏路地であった。



 そして薄暗い路地の先には走って行く少年とそれを追いかけるリュウの姿を見つける事ができた。



「ハァ……ハァ……ハア…………よしッ!」



 私は呼吸を整えると、後を追いかけるように路地裏へ走り出した。


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