第42話 まるで夢を見てるみたい



 私は壁に寄り掛かり手持ち無沙汰に目の前を行き交う人達を眺めていた。周りに商館が多いからだろうか、目の前を行き交う人達は大通りや中央広場にいた人達よりも忙しなくしている様に思えた。


 あの後、ロレンスは出掛ける準備をする為、少しだけ待っていて欲しいとお願いされたので、私はこうして商館の扉から少し離れた所でロレンスが戻って来るのを待っている。


 私の隣にはテュール兄さん……の姿をしたトリスタンが私と同じ様に壁に寄り掛かっていた。ただ私と違う点は脚と腕を組みながら目を瞑っている所だろう。


 その姿勢からは何事にも興味関心がない様に思え、寧ろ自分に干渉するなと自らの領域を誇示している様にも思えたが、元々トリスタンは無愛想だという事は知っているので、特に気にする事でも無い。


 でも、本当の『兄さん』ならば体調を気遣ってくれたり、他愛も無い話をしてくれたりしてくれるだろう。



「はぁ」



 思わず小さな溜息が口から溢れた。



「どうかしたか?」



 溜息に気が付いたトリスタンは片目だけ開いて尋ねてきた。



「なんでも無いです」



 私がそう言って首を振ると、トリスタンは「そうか」と一言呟き、何事も無かった様に再び目を瞑り、黙った。


 相変わらず手持ち無沙汰な私は足元に視線を下ろた。すると小石が足元に転がっていたので、暫く靴の裏で転がして遊んでいた。とは言っても何が楽しいという訳でも無いので、すぐに「ていっ」とその小石を蹴飛ばした。


 蹴飛ばされた小石はコロコロと人々が行き交う雑踏の中へ転がっていき、ちょうど通りかかった馬車の隙間を転がって何処かへ行ってしまった。



『ユティーナ〜』



 私を呼ぶ声が聞こえたので声のする方へ振り向くと、ロレンスが息を切らして此方にやって来た。



「待たせてごめんね。退屈しなかった?」


「全〜然。平気だったよ!」



 息を整えながらそう述べるロレンスに私はニッコリと笑みを浮かべてそう答えた。


 するとロレンスは少し視線を下ろし、指で頬を掻いた。



「それじゃあ行こうか。ユティーナが食べたいのは『ラスク』だったよね?」


「うん、そうだよ」


「よかったらそのついでにエイペスクの案内を………… そ、そう言えばお兄さんはエイペスクに住んでるんでしたよね?」



 ロレンスは話の途中で私の後ろに視線を向けそう尋ねると、いつの間にか私の後ろで姿勢を戻していたトリスタンが口を開いた。



「そうですが、僕もこの街に来たばかりなので、ロレンスさんに案内して頂けると有難いです」



 トリスタンの一言を聞いて、ロレンスは笑みを溢して喜んでいた。



 流石トリスタンさん! やればできるじゃないですか。



 私はそう心の中でトリスタンの事を褒めて上げた。勿論、実際に言って上げるつもりは更々ない。



「それじゃあこっちです」



 そう言って、ロレンスは意気揚々と歩き始めた。




「……ふふ〜ん」



 車窓に映った髪飾りを見つめながら、私は笑みをこぼした。



「兄さん、どうですか? 似合ってます?」



 髪飾りを見えるように顔を向けると、至極うんざりした表情で溜息を吐いた。



「いい加減にしろ。その話はもう5度目だぞ」



 ギロリと此方を睨みながら、そう述べたトリスタンは車窓へと視線を戻した。


 車窓から見える狭い青空は徐々に茜色に染まり、街道の脇に設置されている街灯がポツリ、ポツリと灯され始めている。


 村にいた頃であれば、日が暮れる時刻になると殆どの人達が家への帰路へ着くのだが、通り過ぎる人々にその気配はない。寧ろこの時間になって、立看板を出したり、明かりが灯される店がちらほら確認できる。



「この時間から開店するお店って多いのですか?」


「ああ、酒場などはこの時間から営業を始める店が多いな。もっぱら客の多くはこの時間まで仕事をしている連中だからな」


「にい……トリスタンさんも行ったりするんですか?」



トリスタンの事を兄さんと呼びそうになったのを慌てて言い直した。



「…………流石に酒場にまでは連れて行けないぞ。それに酒場ならコムルド村で行っただろ」



 少し気恥ずかしくなって俯いていると、トリスタンは何かを察したのか少しの沈黙の後、疑う様な視線を私に向けそう言って肩を竦めた。


 どうやらトリスタンは私が酒場に行きたいと思っているらしい。誤解を解く為に私は慌てて弁解の言葉を探した。



「え? 何を言っているんですか。別に酒場に行こうなんて思っていないですよ!」


「いや、ユティーナは興味を持った事に向かって行こうとするからな。自分でも思い当たる節くらいはあるだろ?」


「……」



 私がぐうの音も出ず黙っていると、やっぱりそうじゃないかと言わんばかりにトリスタンは鼻で笑った。


 トリスタンに言われた通り、思い当たる節は幾つかある。しかし、それだけで端から決めつけるのはどうだろうか。



「偶然見かけたお店がそうだったから聞いただけじゃないですか」


「だとしても、今日は帰るぞ。使用人にも夕刻までには帰ると約束したからな」



 私の弁解を聞き流しながらそう述べたトリスタンに、私は頬を膨らまし拳を振り上げたが全て受け流されてしまった。


 私の拳を全て受け流したトリスタンは再び鼻で笑うと、再び視線を車窓に戻した。



 むぅ



 虫の居所がますます悪くなった私は城に着くまでの間、トリスタンと一言も会話する事なく過ごした。




「ユティーナ様、お帰りなさいませ。」



 城に到着するとエントランスではリタが私の帰りを出迎えてくれた。


 しかし、先ほどのトリスタンとの遣り取りで虫の居所が悪い私は俯いたまま、リタに頷いた。



「まあ、ユティーナ様。その髪飾りはどうしたのですか? とてもお似合いですよ」



 そんな私の心境を知ってかしらずか、リタは髪飾りに気が付くとすぐ様、その事について褒めてくれた。



「本当ですか?」



 私は顔を上げて、リタの顔を見た。



「ええ、とってもお似合いですよ」



 リタは笑顔でそう答え、その表情から純粋に髪飾りを褒めてくれている事が伺えた。



「ふふ〜。これはね〜……」



 リタに褒めて貰えて、嬉しくなった私は先ほどの事など忘れてリタに今日の話をし始めた。



「ユティーナ様、今日のお話はまた夕食の際にお伺いします。まずはお部屋に戻ってお召し物のお着替えをいたしましょう」



 リタはそう述べると、後ろに控えていたトリスタンに向き直り、お辞儀をした。



「本日はユティーナ様の護衛、ご苦労様でした。」


「はい。それじゃあ僕は帰らせて貰います。ユティーナまたね」


「……うん。またね、兄さん」



 先程までトリスタンに対して鬱屈した気分を漂わせていただけに少し気まずく感じたが、私がそう述べるとトリスタンは本当の兄さんの様にニッコリと微笑むと城を後にした。




「左様でございますか。本日の外出がユティーナ様にとって素晴らしいものに成り得たのは、私にとっても嬉しい限りです」



 慣れた手付きでティーカップに紅茶を注ぎながら、リタは嬉しそうにそう述べた。



「リタさんは休みの日は街に行ったりするんですか?」



 リタに淹れて貰った紅茶を啜りながら、ふと思った事を尋ねてみた。リタとは色々な話をするのだけど、そう言えばリタのプライベートな事を聞いた事は無かったからだ。



「休みの日ですか?」


「あ、ごめんなさい。プライベートな事を聞くなんて失礼でしたよね」



 少しだけ困った様子で首を傾げるリタに私は慌てて謝った。



「い、いえ。そんな事ないですよ。至って普通の休日ですので、取り入って話す内容がない事に困っていたのです」



 慌てた様子でリタはそう述べた。


 そう言われても、この街に住む人達がどのように休日を過ごしているかなんて、辺境の村に住んでいた私からは想像もつかない。



「私は村に住んでいたので普通の休日というのを知らないので、教えて貰えると嬉しいです」



 私が素直にそう訊ねるとリタは頷き、楽しそうに休日をどう過ごしているのかを教えてくれた。リタの休日はお店に服を見に行ったり、友達とお話ししながら露店を巡ったりするらしい。



「ですけど、ユティーナ様のように髪飾りをプレゼントしてくれる殿方とご一緒した事はないので、ユティーナ様が羨ましく思いますわ」



 話しの最後にそう述べると、リタは口元を掌で隠してクスクスと微笑した。私はというと、リタが何を言っているかわからずキョトンとしていたのだが、リタが何を言わんとしているのか理解した途端、頭が沸騰したのかと思うくらい恥ずかしくなった。



「ロ、ロレンスはそういうのじゃないですよ! そ、それに今日は兄さんも一緒にいましたし」


「まあ。素敵な殿方を周りに従えて紅一点だなんて、将来が楽しみですわね」



 慌てて弁解した私を面白く思ったのか、リタは更に私を茶化した。むぅっと頬を膨らませた私にリタはクスクスと微笑していた。



「夜も更けて参りました。そろそろ就寝いたしませんか?」


「……はい」



 膨れていても仕方ないので、私はリタの言う通りにベッドへ向かう事にした。



「ロレンスはそういうのじゃないんですからね」


「ウフフ。はい、承知しておりますよ」



 寝台に横になり、リタが部屋を出て行く際に私が念を押してそう述べると、リタはそう言って頷いた。



「おやすみなさいませ。ユティーナ様」


「おやすみなさい、リタさん」



 私がリタに返事をすると静かに部屋の扉が閉じられた。



 …………



 先程までリタと楽しくお喋りしていたのですぐには寝付けず、私は起き上がりバルコニーへ向かった。


 バルコニーへのガラス戸を開けると、夜風が髪を靡かせた。もう秋が近いのか昼間と違い、吹き抜けた夜風は少し肌寒かった。其処から見える街並は所々にまだ明かりが灯されており、夜空に散りばめられた星と相まって、儚げで美しい夜景を醸し出していた。



「綺麗……」



『ピィ』



 羽音と共にいつの間にかリュウが私の側にやって来た。



「ねぇ、リュウ。今日はね、凄く楽しかったんだ〜」


「ピヨピヨ」



 リュウは私が話している内容は理解出来ているが、私はサラがいなければリュウの言っていることは分からない。それでも私は独り言のように話を続けた。



「こうやって、好きな時に本を読んで、好きな時に外出して、何事もなく冬になって、私は領主会議で流星のお話をして、それで春になって村に戻って、またサラとお勉強して、…………」


「ピヨピヨ」


「まるで夢を見てるみたいだね」


「ピィ?」



 私がそう言うとリュウは首を傾げた。それと同時にビューっと少し強い風が吹き抜け、私の髪は風に弄ばれ乱れた。私は手櫛で髪を整えながらバルコニーを後にした。


 きっとこれからも何事もなく、夢のような日々が続くのだろ。そんなことを考えながら、心の奥底に意識を沈めていった。


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