第41話 女商人
騒ぎを聞きつけて集まって来た野次馬と入れ替わるように、雑踏の間をすり抜けて私たちは広場の中央から離れる事に成功した。
そして中央広場を離れる頃には、一瞬静まり返っていた雑踏も何事も無かったかのように再び活気を取り戻していた。
「何がまずかったんでしょうか?」
テュール兄さんの姿をしたトリスタンに手を引かれながら、私は独り言のように口を開いた。
先ほどの吟遊詩人は所謂『瓦版』として別の街で起こった『事件』の話を歌にして歌っていただけだった。
「本来ならばああいった情報は検閲の対象だからな、誤った情報で住民を混乱させる可能性があるからだ」
私の言葉に、当たり前のようにそう述べたトリスタンに私は首を傾げた。
情報に正しいも間違いもないと思うけど……
というか何を以って正しい情報とするんだろう? そんなこと聞く人の采配に委ねられているとおもうんだけどな……
「どうかしたか?」
「事故とか事件の情報はどうやって皆に知らせられるんですか?」
ふと疑問に思ったことをトリスタンに尋ねてみた。
「大きな事故や事件は掲示板などに公示される。小さい事件などはされないがな」
「じゃあ、そういった事は全て領主様の管轄なんですか?」
「直接領主様が行っている訳ではないが、領主様の名で公示される。だからそれ以外は狂言と言われても仕方はない」
どうやら先ほどの『歌』はまだ公示されていない情報だったらしく、運悪く兵士に見つかってしまったということらしい。しかし変な話だ。人が度々町から消えているというのに、何故この話が公にされていないのだろう? 『人攫いに注意して下さい』くらいの事を皆に教えてあげてもいいと思うけどな。
「着いたぞ」
先程の一件の事を考えている間に目的地に到着したようで、大通りの商店が軒を連ねている景色から、いつの間にか大きな建物が建ち並ぶ場所に到着していた。
テュール兄さんの声に一瞬だけハッとしたが、中身がトリスタンである事を思い出して少し気が滅入った。
そんな一喜一憂する私の様子を知ってか知らずか、トリスタンは何も言わず私に視線を向けている。
「……もう着いたのですね」
「ああ。あれがオトゥール商業組合の商館だ」
そう述べるとトリスタンは目の前の商館を指差した。他の建物もそうなのだが、この辺りの建物には看板などのお店の目印になる様なものが一切ない。その代わりだろうか、どの建物も大通りの建物とはどこか違った雰囲気の造りになっている。
トリスタンに言われて、恐る恐る商館の扉に近づいたのだが、扉に『ノッカー』が付いていない。
「本当にここであっているのですか?」
「ああ。間違いない」
私は振り返ってトリスタンに尋ねると、二つ返事で頷いた。
他に確かめる手段も無いので、仕方なく扉に向き直り、ノックしようと手を伸ばした。
「あら、可愛らしいお客さんね」
突然開いた扉から商館とは似つかわしくない艶やかな女性が顔を出した。そして開いた扉の向こうには見知った男性が女性の後ろに控えていた。
そこに居たのはエイペスクに来る途中、商団をまとめていたメディオだ。メディオは私の姿を確認するとあからさまに嫌そうな顔をして視線を逸らした。メディオが後ろに控えているという事は、彼女はメディオよりも上の商人なのだろうか。というか商館から出てくるのだから此処の組合に所属する商人なのだろう。
「こんにちは」
「まあ、礼儀正しいのね。あなた気に入ったわ」
にっこりと笑みを浮かべて愛想の良い挨拶をした私に女性は屈んで私と目線を合わせる。屈んだ事によって彼女の豊満な胸部がさらに強調される形になった。
「うん。いいわね」
徐に手を伸ばし、彼女は私の頬を優しく撫でるように触った。まるで愛玩具を愛でるかのように、彼女の瞳は私を凝視していた。
突然の事に驚いて、私はその視線から逃げるようにトリスタンの後ろに隠れた。
「姉御。ちょっといいですかい?」
屈んで私に視線を合わせている女性にメディオが耳打ちをした。メディオの話を聞いている間も、彼女は私から視線を外すことなく真っ直ぐ私を見つめていた。
「なるほどね。ますます気に入ったわ」
「妹がどうかしましたか?」
立ち上がりながらそう述べる女性にトリスタンが兄らしく彼女と私の間に割って入った。
「坊やも、なかなかいいわね」
私に向けていた視線をトリスタンに向けると彼女はそう言って、一歩トリスタンに近づいた。テュール兄さんの背は高い方なのだが、ヒールを履いている為か彼女の方が少しだけ背が高い。
「……におうわね。……残念だけど、今日の所は御暇しましょう」
暫く2人は黙って視線を交わしていが、女性はそう述べるとその場を離れて行った。
「お嬢ちゃん、またどこかでね」
去り際に彼女は私に視線を向けて不敵な笑みを浮かべた。
ヒールの音を響かせながら優雅に去って行く彼女の後ろをメディオが追いかけるようについて行った。
「厄介な奴に目をつけられたな」
彼女の姿が見えなくなったところで、ホッと私が胸を撫で下ろすと、トリスタンはガシガシと頭を掻きながらそう述べた。
「あの人は誰なんですか?」
「彼奴は女商人の『マリー』だ」
トリスタンの服の裾を引っ張りながら私が尋ねると、面倒くさそうにトリスタンは答えた。
「悪い事が言わん。彼奴と関わるのはやめた方がいいぞ」
トリスタンに言われなくても、危うい雰囲気の彼女と関わりたいと思う人は少ないと思う。何より、私の行動にとやかく言わないと言っていたトリスタンが口を挟むくらいだ。関わらないようにするのが最善の選択であろう。
「ユティーナ?」
聞いたことのある声が聞こえたので、私は商館の扉の方を振り向いた。
開かれたままの扉の向こうから見知った少年が此方に駆けて来るのが見えた途端、思わず顔が綻んだ。
「ロレンス!」
「ユ、ユティーナ。……どうかしたの?」
久々のロレンスとの再会に、思わず私が抱きつくと、ロレンスは頬を朱に染めながら少し困った様子で口を開いた。
ロレンスから離れ、此処に来た理由を説明すると、ロレンスは嬉しそうに笑みを溢した。
「その……ユティーナ。君の隣にいる方はどちら様なのかな?」
再会を喜びをお互いに分かち合っていると、ロレンスは少し気まずそうに、私の隣に立っているトリスタンに視線を移して訊ねてきた。
「はじめまして、僕はユティーナの兄のテュールと申します。ここに来るまでの道中、妹がお世話になったみたいで。どうもありがとうございます」
「いえ、此方こそ退屈な馬車の旅に妹さんが華を添えてくれたお陰で、素敵な旅をする事が出来ました」
トリスタンがテュール兄さんらしくロレンスに自己紹介すると、ロレンスは私と初めて挨拶した時のように帽子を脱ぎ、丁寧に挨拶をした。
「そう言えば、お兄さんはエイペスクに住んでいるんですか?」
「今は訓練所で生活してるので、そういう事になるんですかね?」
『訓練所』という言葉を聞いて、ロレンスが首を傾げた。
「兄さんは『騎士』なんだ〜」
「まだ見習いだけどね」
2人の遣り取りに何も言わないのも不自然だと思い。私がテュール兄さんの自慢をすると、テュール兄さんの姿のトリスタンは苦笑しながらそう付け加えた。
通りでとロレンスは1人で何かを納得していた。
その様子に私とトリスタンは顔を見合わせると、ロレンスが理由を教えてくれた。
「さっきマリーさんが扉の前で誰かに絡んでると思ってたんだけど、すぐに行ってしまったから何事かと思ってね。普段マリーさんに捕まったらすぐには帰してくれないからね」
どうやらマリーという女商人が気に入った人物をすぐに解放するのは珍しいらしく、その理由がテュール兄さんらしい。
「マリーさん、騎士が嫌いだからね。多分お兄さんが騎士って事に気がついて、逃げたんじゃないかな」
通りで一瞬、トリスタンの事を睨んだのか。
その後、トリスタンと同じようにロレンスもマリーとはあまり関わらない方がいいと教えてくれた。
商人からも嫌厭されているのはどういう事なのだろうか。2人に関わるなと言われているので、関わるつもりはない。が、少し気になる。
「ところで、ユティーナ。僕は丁度仕事が一段落ついたんだけど、この後は何か用事があるのかな?」
「今日は1日外出するとしか決めてなくて、ロレンスに教えて貰った、何だっけ? ナントカってお菓子を食べに行こうかと思ってるの」
ロレンスの質問に私は首を横に振りそう答えた。
私の返答にロレンスの顔はパアーと明るくなった。
「きっと『ラスク』のことだね。それじゃあ、いいお店を知っているから一緒にどうかな? 勿論、お兄さんも一緒に」
私が顔色を伺う様に隣を振り向くと、別に構わないと言わんばかりにトリスタンは頷いた。
「それじゃあ、お願いします」
「じゃあ、ちょっと待っててね。準備してくるよ」
ロレンスは私の返事を聞くと、そう言って商館の中に慌てて戻っていった。
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