第40話 下町への外出
領主様から外出の許可を貰った後、部屋に戻りリタに外出する為の洋服に着替えさせて貰う。領主様にお願いして、下町の子供が着ている服を準備して貰っていたのだが、それでも少しばかり値が張りそうな生地の洋服であった。
「とってもお似合いですよ」
私を着替えさせたリタは私の姿を一歩下がって眺めると、満足そうにそう述べた。自分で確認する為に姿見の前まで行くと、そこにはワンピースにエプロンをつけた如何にも下町の娘といった格好をした私が写っていた。
姿見の前で後ろを向いてみたり、クルッと回ってみたりしているとリタが嬉しそうに声を掛けてきた。
「ユティーナ様はとても可愛らしいので、何を着てもお似合いになりますね」
「可笑しくないですか?」
「はい。この格好なら、貴族街でも商業区画でも出歩けると思いますよ」
鏡の前で何度も服を確認する私をリタは頬に手を当てて微笑んでいた。
出掛ける準備が整ったのでリタと共に部屋を後にして、領主様言われた通り私たちはエントランスへ向かった。
一体誰が護衛をしてくれるんだろう?
そんな事を考えながら、リタと逸れないようにしっかりと後をついて行く。
以前、お城に来て間もない頃に1人でお城の中を探検していて迷子になった事があるのだ。運良く通りかかった使用人に部屋まで送り届けて貰えたのだが、あまり人が出入りしない区画に迷い込んだらしく、下手をすると見つけて貰えなかったかも知れないらしい。
そんな事もあり、城の中を移動する際は誰かと一緒に行動するように心がけている。
まるで迷路のよな城内を進むと漸くエントランスが見えて来た。
そしてエントランスには領主様に言われて待っていたのであろう男性の姿が伺えた。その姿を見た瞬間に思わず声を上げてしまった。
「テュール兄さん!」
私の声に気がついたのか、テュール兄さんはこちらを振り返った。久しぶりの兄さんに、私は思わず駆け寄って抱きついた。
駆け寄ってきた私を受け止めたテュール兄さんは溜息を吐き、口を開いた。
「やっと来たか」
「ふぇ?」
その言葉に私は首を傾けた。何故ならば、私の目の前にいる男性は容姿も声もテュール兄さんなのだ。しかし、口調や表情が優しい兄さんとは全く異なり気怠さに満ちている。
「もしかして、トリスタンさんですか?」
「おお、よくわかったな」
私がそう述べるとテュール兄さんは少し驚いたような仕草をし、私は直様テュール兄さんから離れた。
「ユティーナ様、急に走ってはなりませんよ」
急に走り出した私を慌てて追いかけてきたリタが私に小言を述べた。そしてリタはテュール兄さんに向き直り、自己紹介を始めた。
「初めまして、ユティーナ様の身の回りのお世話をさせて戴いて居ります。使用人のリゼッタと申します」
「こちらこそ初めまして。エイペスク騎士団の騎士見習い、テュールと申します。いつも妹のユティーナがお世話になっています。」
深々とお辞儀をするリタに、テュール兄さん元いトリスタンも姿勢を正して、『テュール兄さんの』自己紹介をした。二人の遣り取りを見ていた私が思わず口を出そうとすると、トリスタンにそれを制された。
テュール兄さんが私の兄である事に驚くリタに、夕刻までには此方に送り届けるとトリスタンはそう述べると、『行くよ』と私に声を掛けてその場を後にした。
私は慌ててトリスタンの後を追いかけながら、振り返りリタに手を振った。
「いってらっしゃいませ」
深々と再び頭を下げながらリタはそう述べて、私たちを見送った。
お城を出ると何処からともなくリュウが飛んできて、当たり前の様に私のカバンの中に入っていった。そして玄関を出てすぐ目の前には馬車が用意されており、私はトリスタンに促されるまま馬車に乗り込んだ。私の後にトリスタンが馬車に乗り込むと一瞬、背後を振り返って座席に腰を下ろした。
「どういうことか説明して下さい」
私の目の前にのうのうと座っているテュール兄さんの姿をしたトリスタンに問い質した。動き出した馬車の車窓を眺めながら不気味に微笑しているトリスタンが此方に視線を移した。
「俺だって子供のお守りなんてこりごりだ」
トリスタンの言葉に頬を膨らまして、トリスタンを殴った。しかし私の拳は最も簡単に受け流されてしまった。
「お守りが嫌だったら、別にトリスタンさんじゃなくたっていいじゃないですか。ガラハッドさんや、それこそテュール兄さんでもいいじゃないですか」
「領主様から聞いてないのか? これはあくまで『護衛』なんだ。ガラハッドなら未だしも、ひよっ子に務まるような事ではない」
腕を組みながら不機嫌極まりないと言った態度で私がそう述べると、トリスタンも呆れたようにそう言った。
「じ、じゃあ何でテュール兄さんの姿をしてるんですか。別に元の姿でも問題ないでしょ?」
「下町に行けば、俺とユティーナの関係を知っている者がいるかもしれないだろ?」
トリスタンに言われて思い出した。トリスタンは元々、私をエイペスクまで送り届ける護衛として雇われた『傭兵』という事で色々な所で顔が割れている。そのトリスタンが未だに私と行動を共にしているのは確かに少し不自然だ。
「それに俺とユティーナでは親子にも見えないからな、幸いにも俺はテュールを知っているからな。その方が何かと都合がいいだろ?」
トリスタンの説明は理に適っている。うぅと言葉に詰まる私を見てニヤリと笑みを溢したトリスタンに再び腹が立ったので、もう一度拳を振り上げたのだが、また受け流されてしまった。
だとしても、兄さんとの感動の再会を踏み躙られたみたいで何だか嫌だ。
「でだ。どこに行くつもりなんだ?」
この話題はお終いと言わんばかりに、トリスタンは私に尋ねた。そう言われてみれば、行き先も決めずにお城を出てきた事に気がついて、私は慌てて行き先を考えた。
エイペスクに来た時に車窓から見えた露店や中央広場で見世物を見て回るのもいいかもしれない。そういえばロレンスに教えて貰った有名なお菓子の名前ってなんだったけ? そういえば、ロレンスはまだこの街にいるのだろうか? ロレンスがいればこの街の面白そうな所に連れて行ってくれそうだけどな……。
「オトゥール商業組合……」
気がつけば、口からそう漏れていた様だ。
「オトゥール商業組合だな。じゃあ貴族街の裏路地に馬車を止めて、そこから歩くぞ」
私の言葉を聞いたトリスタンは、御者に行き先を告げると此方を振り返った。
「そんなにロレンスに会いたいのか?」
「何でロレンスの名前が出るんですか!?」
トリスタンの口からロレンスの名前が上がって、思わず大きな声を出してしまった。
「商業組合なんて、好き好んで行く子供はいないだろうし。確か彼奴はそこの組合員だっただろ?」
「いや、その、ロレンスに教えて貰ったお菓子の名前忘れちゃったし、ロレンスなら他にも面白い所知ってそうだし……」
「まあ、ユティーナが行きたいんならいいんじゃないのか? あくまで俺は『護衛』だからな、とやかく言うつもりはない」
私がモジモジしていると、車窓を眺めながらトリスタンはそう言った。
暫くして馬車がゆっくりと止まるとトリスタンは馬車の外に出て行った。私もトリスタンの後に馬車を出ると、其処は薄暗い路地裏だった。
「そういえば、何で路地裏に止めるんですか?」
「ユティーナは士官の試験を受けに来たんだろ? そんな娘が馬車から降りてきてどうする」
そう言われて思い出した、そういえばそんな事を言っていた様な気がする。成る程、と私が手を打つとトリスタンは眉間を押さえていた。
トリスタンは夕刻前に此処に馬車を回す様にと御者に指示すると、私の手を取り歩き始めた。
暫くトリスタンに手を引かれながら、路地裏を進むと眩しい陽射しと共に中央広場が目に前に広がっていた。
「わー! すごい。人がいっぱい」
中央広場には様々な露店が立ち並び、中には筵を敷いて商売をしている者も見受けられた。広場の中心には『賢者イース』であろう人物の像があり。その周りに店はなく、代わりに楽器を演奏する楽団の一行や、三味線のような楽器だけ持って歌と演奏を一人で行っている吟遊詩人、それに奇妙な格好をして何かしらの喜劇を演じている道化者もいた。
広場の雑踏から時折聞こえて来る楽しげな声と行き交う人の間から垣間見えるそれらの見世物に興味を唆られ、ふらふらと其方へ歩いて行こうとすると、トリスタンに手を引かれて止められた。
「これだけの人込みだ。ふらふらと勝手に行動するな」
「トリスタンさん、私あの見世物が見てみたいです」
トリスタンに手を引かれたが、どうしても吟遊詩人が歌っている『お話』が聞きたくて逆にトリスタンの手を引っ張った。
「わかったわかった。じゃあそれを見たら商館に行くぞ」
「はい!」
「それから、俺の事はトリスタンではなく、テュールと呼べ」
「え? あ、わかりました。兄さん」
一瞬、トリスタンが何を行っているかわからなかったが、端から見れば私たちは兄弟で況してや今のトリスタンはテュール兄さんの姿なのだ。もしかするとテュール兄さんの事を知っている人がいるかもしれないのだ。
それでも、やはりトリスタンを『テュール兄さん』と呼ぶには抵抗があったので、『兄さん』と呼ぶ事にした。これなら端から見ても兄を慕う妹に見えるし、私的にもトリスタンをテュール兄さんと呼ぶ必要がないからだ。
雑踏の間を潜るように中央広場の中心に向かうと吟遊詩人が何かしらの歌を歌っているようだった。
『……の街では、今日も一人また一人と姿を消す。しかし、大半の住民はその事に気付かない。』
『我が子が消えた実母が泣きわめき周囲に訴えるも、狂言として捕まってしまう。』
『南の街でも、今日もまた一人、二人と姿を消す。奇しくも、街の兵士もその事に気付かない。』
『知人が消えた商人は魔女の末裔の仕業だと、逃げるように去って行く』
『明日もどこかで人が消えてゆく』
三味線かギターがわからない楽器の音色に合わせて、吟遊詩人が歌を歌う。彼らが歌う歌は多くの場合『宗教』『史実』『物語』のどれかである。この吟遊詩人が歌っているのは恐らく『史実』であろう。寧ろ『瓦版』のような役目を果たしているような気がする。
『どけ、道を開けないか』
雑踏が一瞬静まり、その奥から大きな声でこちらに向かって来る集団が見受けられた。
「ユティーナ行くぞ」
「え、でも続きが……」
「面倒ごとに巻き込まれる前にこの場を去るぞ」
人込みの中から現れたのは、屈強な身体の腰に剣を据えた兵士達だった。彼らは吟遊詩人の前に立ち塞がるり口を開いた。
『そこの詩人、貴様が狂言を言っていると通報を受けた。それは誠か』
『何をおっしゃいますか。私めは賢者様の武勇伝を皆に広めていたところでございます』
兵士の質問に吟遊詩人は明らかな嘘を吐いた。彼は先ほど『人攫いの話』をしていた筈だ。
『それは誠か』
兵士が周りの見物人に尋ねると、見物人も『そうです』と口々に言っていた。
その場を離れながら聞き取れた遣り取りはそれだけで、後は巻き込まれた雑踏の中でかき消された。
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