第39話 お城での生活



『ユティーナ様、起きてください』



 優しく肩を揺さぶられ、私は目を覚ました。寝ぼけ眼で見上げた天井は汚れが一つもない綺麗な白塗りの天井で、勿論蜘蛛の巣など無い。身体を起こし大きな欠伸をすると、ベッドの側に控えていたエプロンドレスの女性がクスクスと笑いながら声を掛けてきた。



「おはようございます、ユティーナ様」



 未だに慣れない呼ばれ方に苦笑しながら、丁寧に朝の挨拶を行う女性に向かって視線を向けた。



「おはようございます、リタさん」



 私が挨拶すると、彼女は慣れた手つきで私の着替えを始めた。デボラさんに貴族の人は使用人に服を着替えさせて貰うと聞いてはいたのだが、未だに慣れない。と言うか、少し恥ずかしい。



「リタさん。やっぱり、様付けは止めて貰えないですか」


「何を仰っているのですか! ユティーナ様は領主様の大事な御客人です。その様な事は出来かねますと、何度も言っているじゃありませんか」



 私が困った顔でそう述べると、驚いた様子で彼女は手を止めた。


 彼女は領主様のお城に務める使用人のリゼッタ。私が領主様のお城で過ごす間、私の身の回りの世話をしてくれる所謂『メイド』である。



「でも、私よりも年上の女性に丁寧語で話されるのは気が引けるんですよ……」


「そのうち慣れますよ」



 リタは再び手を動かしながら、相槌を打って私の発言をさらりと流した。あっという間に私を着替えさせたリタは部屋にあるテーブルに朝食の準備をし始めた。



「本日はどのようにお過ごしになられますか? また資料室に行かれます?」



 朝食を終えて紅茶を嗜む私にリタは少し呆れた様子で尋ねてきた。リタがそう言うのは、此処に来てからの殆どの時間を私は資料室で過ごしているからである。


 マグリットが領主様宛に一筆書いてくれたお陰なのだが、此処の資料室を自由に使って良いと私は領主様から許可を貰っているからだ。特に予定がある訳でもなく、折角の好意を無下にする訳にも行かないので、私は毎日足繁く資料室に通っているという訳である。


 リタに今日の予定を訊かれて、暫く考えていると再びリタが口を開いた。



「ですが、よくも飽きずに資料をお読みになられますね。ユティーナ様くらいの御歳なら外で遊ばれるのが御好きかとおもうのですが」



 頬を手で押さえながら首を傾げる姿は慎ましく、流石お城に仕える使用人と言いたい。



「私は小さい頃から身体が弱くて、家にいる事が多かったから、外で遊ぶよりも部屋にいる方が好きなんですよ」


「そうだったのですか。しかし、こうも毎日屋内に居らしては、御身体を悪くしますよ?」



 リタの言葉にハッとした。村を出る際にお母さんした約束を思い出したのだ。



『体調には十分気をつけるんだよ』



 昨日までの私の生活をお母さんが見たら何て言うだろう……


 体調にも気を遣わず、毎日自分の好きな事をしていたのだ。きっと怒るに決まっている。



「リタさん……今日は外出しようと思うんですが、いいでしょうか?」



 私の言葉に、まあと笑みを浮かべてリタは喜んだ。



「でしたら、領主様に外出の許可を頂かないといけませんね。すぐに、面会の申し出を致しますね」



 そう言って、優雅にかつ迅速にリタは部屋を後にした。


 これもデボラさんから教わった事なのだが、貴族は面会するにも事前に連絡をしないといけないそうだ。至極面倒な事だが、出迎える側の準備やら何やらで貴族には必要な事らしい。


 しかし、まさかお城の中でもそうだとは知らず、この間領主様に会いに行こうとした時のリタの驚き様には驚かされた。



 だって、領主様が『何かあれば気軽に来てね』って言うんだもん。



 さて、外出するとは言ったものの何処に行こうか全然決まっていない。寧ろ今更になって昨日読んでいた資料の続きが気になってきていた。


 お城の資料室はマグリットの執務室の本棚に置かれている資料の比にならない程、膨大な量の資料が保管されている。資料の他にも、何かしらの石や木箱などの物も保管されており、最早『図書館』や『博物館』と言った方が良いくらいの規模である。


 故に、私にとって資料室は一種の『テーマパーク』であり、一日中資料室で過ごしても飽きることはないのである。



 領主会議が終わってからもお城に来れるかな?



 そんな事を考えている間にリタが部屋に戻って来た。どれだけ急いだのだろう、平静を装っているがリタは肩で息をしていた。


 面会は了承されたようで、私は椅子から降ろして貰うと、リタと共に部屋を後にした。




「おはよう、ユティーナちゃん。城での生活はもう慣れたかい?」



 執務机に向かっていた男性が顔を上げて、此方に視線を向けた。



「おはようございます、領主様。未だ慣れない習慣に多少戸惑う事もありますが、少しずつ慣れては参りました」



 私がそう答えると、男性は残念そうに眉を下げて口を開いた。



「かたい。かたいよ、ユティーナちゃん。子供のうちからそんな堅い言葉で話してると、ヴェインみたいな堅物になっちゃうよ。ねぇ、フェイ?」



 男性は側に控えていたフェイと呼ばれる女性に同意を求めるようにそう尋ねた。


 フェイと呼ばれる女性はマグリットの館で私に領主様の手紙をくれたフェイリスである。フェイリスは返事に困った様子で苦笑していた。



「何を仰っているのですか。この歳で正しい言葉遣いで話せるのは将来有望ではありませんか」



 壁際に控えていた騎士の格好をした男性が急に割って入って来た。彼は先程ヴェインと呼ばれていた男性、エイペスクの騎士団を纏めている騎士団長のアグヴェインである。


 アグヴェインは溜息を吐いた後、再び口を開いた。



「貴方様もユティーナを見習って、領主らしい御言葉遣いで発言されてはどうですか? そもそも貴方様は……」



 私の目の前にいる頼り無さそうな男性は、この城の主であり、賢者の名を継ぐエイペスクの領主『イース』その人である。私が今此処に居るのも、彼が私に手紙を寄越した事が始まりである。


 しかしアグヴェインの小言が始まったとたん執務机に向かうイースはうんざりした表情で耳を塞いでいた。仮にもエイペスクの領主であるのだから、もう少し威厳や風格と言ったものがあっても良いと思うのだが、彼からはそんなものは一切感じる事が出来ない。



「聞いているのですか!?」


「わかった。わかったから」



 イースの態度に腹を据えかねたのか、アグヴェインが大声でイースを怒鳴っている。最早誰が領主か分からない。


 私がフェイリスに視線を送ると、フェイリスも呆れた様に肩を竦めて此方に笑顔を向けた。



「そ、そう言えば、ユティーナちゃん。何か用があって来たんでしょ? また何か聞きたい事でもあったの?」


「いいえ。今日は外出の許可を頂こう思いまして、此方に参りました」



 思い出したように話を切り出したイースにアグヴェインは『まったく』と溜息を吐いて、小言を終えた。一方で小言が終わったイースは胸を撫で下ろして、私の話を聞いていた。



「どこに行くつもりなのかな?」


「特には決めていませんが、資料室に篭りがちだったので、健康の為に外出しようかと思いまして……」



 曖昧な私の返答にうーんと畝りながらイースは腕を組み考えている。



 しまった……ちゃんと最もらしい理由を考えておけばよかった。



 多分、却下されるであろうと腹を括り、外出が出来ないのであれば今日はどう過ごそうか、そう考え始めた矢先イースからの返答があった。



「いいよ〜」


「いいのですか?」



 外出の許可が下りて、私はホッと胸を撫で下ろし、イースは話を続けた。



「うん。外出出来なきゃ、城の中に閉じ込めてるみたいでしょ? だから、この街にいる間はユティーナちゃんの好きなように過ごしてくれていいからね」


「領主様それは……」



 話を聞いていたアグヴェインが口を開こうとすると、イースはそれを制止した。



「ただし。一つだけ条件があるんだ」


「な、なんでしょうか?」



 先程と打って変って、少し低い声でそう述べたイースに、私は固唾を呑んで尋ねた。



「僕から護衛をつけるから、外出する際は護衛と一緒に行動してね。なあに保護者代わりだよ。流石にユティーナちゃん1人で外出って訳にはいかないでしょ?」



 拍子抜けする様な呑気な声でそう述べたイースに、私は頷いて答えた。


 一瞬、視界の隅に映ったアグヴェインが頭を抱えているようにも見えたが、気にしないでおこう。



「それじゃあ、ユティーナちゃんの準備が終わったらエントランスに来てね。そこで護衛を待たせておくよ」


「ありがとうございます」



 イースに感謝の言葉を伝えた後、私は執務室を後にした。


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