第38話 エイペスク



 見上げた市壁は検問となる市門を通らずして街へ入ろうとする者を拒むように高く聳え立っていた。


 私が住んでいたチェド村も昨日泊まったコムルド村にも市壁というものはなかった。『城壁都市、城郭都市』と言った言葉や知識自体は知っていたのだが、やはり実際に目で見ると迫力が違う。


 この石造りの壁がエイペスクの街を囲んでいるのかと思うと驚愕でしかない。


 なぜかと言うと、今朝コムルド村の近くの見晴らしの良い丘から市壁に囲まれたエイペスクの街を一望することができたのだ。目と鼻の先にエイペスクが見えたのですぐに到着すると思っていたのだが、ここに来るまでに馬車で半日以上掛かったのだ。


 それ程まで、エイペスクの街は巨大だというこという事を身を以て知ったからである。



「それじゃあ、ユティーナ。またどこかで」


「短い間だったけど、ありがとう。ロレンス」



 私は馬車から降ろして貰い、ロレンスと別れの挨拶を交わす。彼らとはチェド村からエイペスクまで馬車に乗せて貰うという契約なのでここでお別れなのだ。私が名残惜しそうにロレンスに手を振ると、どうやらロレンスもそうらしく握った手綱を降ろして此方に振り向いた。



「暫くはエイペスクにいるつもりだから、何かあれば『オトゥール商業組合』を訪ねてくれれば僕と連絡がとれるから」


「うん。何かあったらそこに行くね」



 再び手綱を握り締めたロレンスは馬に合図を送り馬車を市門へと進めた。



「俺たちも行くぞ」



 ロレンスの荷馬車を見送るとトリスタンは市門へと歩みを進めた。




 大きく作られている市門は外に向かって開け放たれ、次々と人や荷馬車が入っていき、同時に旅立っていく。そして、これだけ大きな門にも関わらず、門の前はとても混雑している。


 しかし、トリスタンはそんな人々には目もくれず、スタスタと市壁の中へと進んでいく。



「トリスタンさん。順番待ちはしなくていいんですか?」


「検査場は市壁をくぐった先にある。彼処で足を止めている連中は、この街に初めて来る勝手を知らない連中だ」



 私はガラハッドに手を引かれながら、アーチ状にくり抜かれた市壁をくぐって街の中に入る。市壁は非常に分厚く、まるでトンネルの中をくぐっているかの様に中は薄暗かった。この市壁は所謂『城壁』でもあり、戦になると此処が一つの防衛点になる訳で、そう考えるとこの分厚さにも頷ける。


 視線を上げれば、防衛の為の様々な仕掛けであろう穴や梁が天井に施されていた。そのどれもが今にも何かが落ちてきそうだったが、トリスタンもガラハッドもそんな事を気にする仕草も見せなかったので、そういった事はないのであろう。


 そういった市壁をくぐると眩しい光と共にエイペスクの街並みが現れた。



「凄い……」



 市壁をくぐると其処は最早別世界であった。市門からまっすぐ伸びる街道は、大きな荷馬車の往来も難なく出来るほど広く。その側には様々な商店が軒を連ねており、その一軒一軒が高階層で大体が4、5階建てであった。



『……ィーナ』



 そしてコムルド村の比にならない程、エイペスクの街では多くの人や物が行き交っており、エイペスクの主都に相応しい活気を見せていた。その規模と活気に私は圧巻されて、言葉を失ったままその場に立ち尽くしていた。



「ユティーナ! 聞いているのか?」


「え!? はい?」



 突然、トリスタンが私の事を呼んだので、私は慌ててトリスタンの方を振り返ると、其処には見知らぬ兵士が私の事を怪訝な表情で見下ろしていた。



「ユティーナ、招待状を」



 トリスタンにそう言われ、慌てて鞄の中から領主からの招待状を取り出し、それをトリスタンに手渡した。



「この少女は領主様から招待された客人です。この事はその招待状にも記載されている筈です。ご確認下さい」



 トリスタンは私から招待状を受け取ると、目の前にいる兵士に手渡し、そう述べた。トリスタンから招待状を受け取った兵士はその内容を確認すると、慌てた様子で、『確認を取りますので、此方でお待ち下さい』と私たちを待合室らしい一室へ案内した。


 私は案内されるままその部屋へ移動し、布が貼られ装飾された長椅子に腰掛けた。私が待合室に入ると同時に外は突然慌ただしくなり、何事かと聞こうにもトリスタンとガラハッドは兵士と何やら話をしている様子で確認することが出来なかった。



「何かあったんですか?」



 用事を済ませたトリスタンとガラハッドが待合室にやってきたので、私が何事かと訊ねると、トリスタンは椅子に腰掛けながらその理由を教えてくれた。



「此処の検問は滅多に貴族が使わないからな」


「私は貴族ではないですよ?」



 私が不思議そうに首を傾げて応えると、トリスタンは眉間を指で押さえながら更に話を続けた。



「領主様から招待状を頂く者は総じて、何かしらの重要人物だ。貴女も例外ではない」


「でも私の格好はどっからどう見ても田舎娘ですが……」



 私は視線を下げて自分の服装を確認する。私が身につけている服はお世辞にも良い服とは言い難い。



「道中の安全の為、身分を偽って移動をしていたと門兵には話を通している」



 顔を上げた私に向かってトリスタンがそう述べると、待合室のドアがノックされた。


 どうやら招待状の確認が終わった様で先ほどの兵士が私たちを呼びに来たようだ。やっとエイペスクの街に入れるのだと私は興奮気味に待合室の外に出た。



『どうぞ此方に』



 タキシードの様な誂えた洋服を身に纏った男性が私に向かって頭を下げた。そして、その後ろには明らかに貨物用ではない馬車が停まっていた。


 混乱する私を他所にトリスタンは当たり前の様に様に馬車まで歩みを進めた。



「ほら、行くよ」



 ガラハッドに背中を押され、漸く馬車まで歩みを進めた。先に行ったトリスタンは馬車の扉の側で私が来るのを待っていたようで、繕った笑顔で此方に視線を送っている。


 そして徐に私に手を差し出すと『俺の掌に手を添えて中に入れ』と小声で指示を出した。


 言われた通り、トリスタンの手を取り私は馬車の中に入って行く。馬車の中はロレンスたちの荷を運ぶ幌馬車と違って、人を運ぶ為に作られている様で、洗練された車内に向かい合う様に座席が取り付けられ、その座席も布を張って装飾が施されていた。


 私が中に入り座席に座ると、トリスタン、ガラハッドの順に馬車の中に入り椅子に座って行く、そして先ほどのタキシードの男性に扉を閉められた。




「これはどういうことですか?」



 馬車がゆっくりと進み出したことを確認してから、私はトリスタンに訊ねた。硝子が貼られた車窓から街の様子を眺めていたトリスタンが此方を振り返り、至極面倒くさそうに溜息を吐いた。



「領主様の城まで歩いて行くつもりだったのか?」



 トリスタンの言葉に私は首を傾げた。市門前で幌馬車を降りた時から、残りの行程は徒歩だろうと私は思っていた。なので折角エイペスクの街までやって来たということで、領主様の所へ行くついでに街中を見て回ろうと私は考えていたのだ。



「勿論です。折角ですから街中を見てみたかったのですが……」



 駄目ですか? と上目遣いで暗に催促してみたのだが、トリスタンに一瞬で却下された。


 そんな遣り取りを隣で見ていたガラハッドがクスクスと笑いながら口を開いた。



「色々理由はあると思うけどね。この街がとても大きいって事が一番の理由だと思うよ」



 ガラハッドによるとこの街はエイペスク領の主都で、古くから物流の中心地として栄えてきたこの街は王国内でも王都に次いで広大な街らしい。私たちが入ってきた市門は職人たちの工房区画と居住区画に隣接する門だったらしく。私たちが目指す領主様のお城はこの先の商業区画を抜けて、中央広場を越えて、貴族街のそのまた向こうにあるらしい。


 徒歩で移動するとなると大人の足でも大変らしい。



「他の理由は何なんですか?」



 貴族の御令嬢が下町を歩いて貴族街に向かうなどあり得ないという事。私が迷ったり、問題を起こすかもしれない事。などなど、様々な理由を考慮してこの行程はチェド村を出発する時点で決まっていたらしい。最後の方の理由には納得しかねるが、平たく言えば時間がないので馬車で移動するという事は決まっていた様だ。



 それならば予め教えてくれていれば良かったのに……



 コムルド村からの道中、ロレンスからエイペスクの街で有名なお菓子や面白い露店の事など色々な情報を教えて貰っていたので、街歩きを楽しみにしていたのだ。トリスタンやガラハッドも私とロレンスの会話の内容は聞こえていた筈である。にも拘らず、市門からも馬車で移動するという事を教えてくれなかったのは私が何かを仕出かすかもしれないからだろうか?


 ぞんざいに扱われている気がして仕方がない私は頬を膨らまして機嫌の悪さをアピールすると、トリスタンは私の頭を軽く叩いて口を開いた。



「今日は窓から見える景色で我慢しろ」



 トリスタンに叩かれた頭を撫でながら、車窓から見えるお店や人々を私は眺めた。


 ガタッと時折大きく揺れながらも馬車は街中を進んで行く。


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