第36話 コムルド村
延々とどこまでも広がっていた平野が徐々に開墾された畑へと変わっていき、ぽつりぽつりと作業をする人の姿が見え始めた。川縁では、馬に水を飲ませていたり荷を積み替えたりしている者たちの姿も見える。
徐々に人の生活の匂いが漂い始めると護衛の二人はむくりと起き上がり、私の側にやってきた。
「日が沈む前には着きそうだな」
周囲を見回しながらそう述べるトリスタンはまだ眠そうである。長かった馬車での移動の行程も大半を終えてしまって、順調に行けば明日の昼頃にはエイペスクへ到着する予定であった。
しかし、今日の事を考えればロレンスと話をしていれば、あと少しの行程もすぐだろう。
「やっと馬車の旅も終わりますね」
「寧ろ、これからが山場だ」
私がホッと溜息を吐きながらそう述べると、警戒しながらトリスタンは進行方向を凝視した。進行方向にはコムルド村が目と鼻の先に見えている。
私はトリスタンがなぜその様な事を言うのかわからず、首を傾げた。
「世の中、善人ばかりじゃないからな」
何やら含みのある言い方をしたトリスタンは此方に振り向かず辺りを警戒していた。
如何やらコムルド村はエイペスクの玄関口のような役割を持つ村らしく、その規模は村というより小さい町のようだ。その為、エイペスクのように様々な人や物が村中で行き来している。更に言えば、検問がないコムルド村では無法者や犯罪者が潜んでいる可能性があるということらしい。
其れ故に、トリスタンとガラハッドは先程とは打って変わって、辺りを警戒しているらしい。そして隣で手綱を握るロレンスも心做しか表情が強張っていた。
村に到着すると荷馬車を預けるためロレンスたち行商人とは村の入り口で別れるとこになった。
しかし、コムルド村は想像以上の規模の村であった。検問がないとは言え、村の入り口は人で溢れかえっていた。
「今日は何かのお祭りなんですか?」
私はこれほど人が集まっている光景を村の収穫祭以外で見たことがなかったこともあり、トリスタンの服の裾を引きながら訊ねてみた。
「いや、特に何もない。ここはこれが日常だ」
素っ気なく答えたトリスタンはガラハッドに指示を出し、ガラハッドは何かを探しに行ってしまった。
そんなに燥ぐ程の事ではないっとでも言いたいのだろう。しかし、何もかも初めて見る光景に私は辺りを見回して、気になった事はトリスタンの裾を引き訊ねた。
そんな私を呆れながらもトリスタンは一つ一つ教えてくれた。
「じゃあ、あの人たちは?」
私が何やら一角に集まっている人たちを指差して尋ねると、トリスタンは何やら言葉を渋りながら小さく答えた。
「……奴隷だ」
奴隷……
その言葉を聞いて思わず、その人たちから目を背けた。物として扱われる人、『奴隷』。多額の負債を抱えた物、犯罪者、捕虜、その境遇は様々であるがその最後は皆同じである。
痩せこけて、ボロ布の様な服を身に纏い、足と手には枷を付けられており、虚ろな眼で下を向いている。自由はなく、明日もない、そんな彼らを私は直視できなかった。
「戻りました」
ガラハッドの声で私はハッと我に返った。
どうやらガラハッドは宿を探しに行っていたらしい、全く息が乱れてない所を見ると流石騎士と言いたい。
「それじゃ行くぞ」
トリスタンは報告を聞き終わると、足早に歩き始めた。慌てて私はトリスタンを追いかけるが、歩幅の違いから私は最早走っている状態だ。
ちょっと歩くの速いですよ、トリスタンさん。
私がトリスタンにそう言おうとした直後、
「あッ……」
足が縺れて躓いてしたった。
うぅ、痛ッ……くない?
恐る恐る瞑っていた眼を開くと、地面擦れ擦れの所で私は宙に浮いていた。後ろを歩いていたガラハッドが直前で私を受け止めてくれたらしい。
私の声に気がついたトリスタンが振り返ると、肩を竦めた。
「ガラハッドが抱えてやれ」
トリスタンさんがもう少しゆっくり歩いてくれればいいのに……
トリスタンの言葉に少し膨れていると、ガラハッドは私を抱きかかえる形に抱え直し、苦笑いしながら口を開いた。
「トリスタンさんは未だ結婚していないから、小さい子の事がわからないんだよ」
ガラハッドはトリスタンに聞こえない様に小さくそう述べた。
宿に荷物を預けると私達は夕食を摂る為に外の街を歩いていた。とは言っても私はガラハッドに抱えられたままである。
すれ違う人たちが私の事をクスクスと笑いながら通り過ぎていく、流石に『お姫様抱っこ』のこの状態は少々恥ずかしい。私はガラハッドに自分で歩けるので降ろして欲しいと嘆願したのだが、それを聞いていたトリスタンに却下された。
「ユティーナは放って置くと、どこに行くかわからないからな」
そう述べたトリスタンに私は何度が交渉を試みた。その結果、手を繋いで行動するっという事で話がまとまった。直様私はガラハッドに降ろして貰い、ガラハッドと手を繋ぎ並んで歩いていた。
心成しかトリスタンも先ほどよりもゆっくり歩いてくれている様だ。
「着いたぞ」
到着した場所は中から賑やかな声が聞こえて来るお店の前だった。そしてトリスタンは躊躇する事なく店のドアを開け店の中に入って行った。
ここって……酒場だよね? 『未成年』の私が入って大丈夫なのかな?
「どうしたのユティーナ?」
店の入り口で立ち止まった私を覗き込む様にガラハッドが声を掛けてくれた。
「子供の私が入っていいの?」
「ん? 大丈夫だよ」
ガラハッドにそう言われ、私は店へと歩みを進めた。
扉の向こうではマグリットの館のエントランス程の広さの店内に様々な人たちがテーブルを囲みながら食事を肴に、或いは笑い話を肴に各々杯を交わしながら食事やお酒を楽しんでいた。
賑やかな店内に少し耳を塞ぎたくなったが、トリスタンはどこに行ったのかと辺りを見回すとカウンター近くのテーブルに座って此方に手を振っている。
ガラハッドと私はトリスタンが座るテーブルへ歩みを進めると、この場所に似合わない客人に気がついた他の客が皆話をやめて此方に視線を移していた。店内は一瞬静けさに包まれ、私は居心地の悪さを感じながらもテーブルへ座った。すると何事もなかったかの様に再び店は賑やかな活気に包まれた。
私たちがテーブルへ座ると直ぐに恰幅の良い女性が注文を取りにやって来た。トリスタンはいつくか注文をした後、私に視線を送った。
「ユティーナはミルクとジュースどっちがいいんだ?」
どうやら『ソフトドリンク』もあるらしい。私は少し悩んだ後、ミルクを注文した。私の注文を聞いた店員は一瞬片眉を上げて可笑しな物を見る様に私に視線を送った。そして私の注文が最後だった様で注文を取り終えた店員は直ぐにカウンターへと注文を通しに行った。
何か可笑しな事でも言っただろうかと私が首を傾げている内にそれぞれが注文した飲み物がテーブルへと運ばれて来た。
「それでは道中の無事を祈って、乾杯」
トリスタンの音頭の後にトリスタンとガラハッドは杯を交わしていた。私がどうしていいのかわからず杯を両手で持ったまま固まっていると、ガラハッドは杯を軽く合わせてくれた。
マズッ
杯の中のミルクを口に含んだ瞬間、生臭さが口一杯に広がった。このミルクは私が知っている『牛乳』とは違った。思わず私が顔を歪めるとトリスタンはクスクスと微笑した。
「やはり知らずにミルクを注文したのか」
どうやらミルクはチーズやバターに加工して食べるのが一般的らしく、栄養価が高いがそのまま飲むと生臭くて飲めた物じゃないらしい。酒場などでは1番安い飲み物として懐が寂しい人達の為にメニューとして提供されているのだが、それでも好き好んで注文する飲み物ではない様だ。
そう言われれば先程の店員の態度も頷ける。
「知っていたなら教えて下さいよ!」
私はトリスタンを睨みながら訴えた。
「知っていて、大きくなる為に頑張って飲もうとしているのかと思ってな」
半ば半笑いになりながらトリスタンはそう述べたので、私は頬を膨らませて機嫌の悪さをアピールした。私の態度に悪かったとトリスタンは直ぐにジュースを注文してくれた。
そして、やっぱりねと言わんばかりに店員は肩を竦めながらジュースを運んで来てくれた。口直しに飲んだジュースは林檎をそのまま絞った果汁100%のジュースで、口一杯に林檎の爽やかな甘さが広がり先程のミルクの生臭さを打ち消してくれた。
その後はトリスタンが注文した料理が次々とテーブルに運ばれ、それらをガラハッドが食べやすい様に小皿に取り分けてくれた。
蒸したじゃがいもにバターを乗せたもの、炒った豆を塩で味付けしたもの、香辛料を効かせた鶏肉を焼いたもの、牛肉をニンニクと一緒に焼いたステーキの様なもの、そのどれもがお酒の味に負けない様に濃いめに味付けされた料理だった。
とても美味しかったのだが、家では薄味の料理ばかり食べていたのでお腹いっぱいになる前に味に飽きてしまった。
この豆の料理はリュウへのお土産に少し持って帰ろうかな。
粗方料理が片付いた所で、私はガラハッドに頼んで残っていた豆料理を少し布に包んで貰った。そしてトリスタンは店員を呼んでお会計を済ませると、行くぞと私達を連れて店を後にした。
店を出ると直ぐさまリュウが私の肩に止まりピィと鳴いた。私は先程ガラハッドに包んで貰った豆料理をリュウに差し出した。
「これお土産だよ」
私がそう言うとリュウはピヨピヨと鳴いた後、豆料理を啄ばんだ。
やっぱり雀にしか見えないよね。
私が心の中でそう呟くと一瞬リュウが此方を睨んだ様に見えた。
『ユティーナ』
そう呼ばれて顔を上げると店先にロレンスが立っていた。先の酒場にロレンスも居たのだろう。しかしロレンスは慌てた様子で私達に駆け寄って来た。
「メディオさんが君の事を酒場で言いふらしているんだ、気を付けた方がいい」
ロレンスの慌て様から十中八九悪い噂を流しているのだろう。トリスタンとガラハッドも顔を見合わせ頷いている。酒場に入った時に感じた視線は、メディオによって流された噂も原因だったのだろう。ロレンスは心配した様子で私を見つめている。
「大丈夫だ。そんな時の為に俺たちが護衛についている」
トリスタンがそう述べると、ロレンスは安心した様子で胸を撫で下ろした。
「それじゃあまた明日。おやすみ」
「おやすみなさい、ロレンスも程々にね」
ロレンスは少しばかり頬を赤く染めていたが、いつもの事だとばかりに手を振って酒場へ戻って行った。
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