第35話 ロレンスと懐中時計
最早見飽きた草原が先程から視界に入ってくる。勿論この景色がこの後も続くという事は昨日トリスタンから教えられていたので知っていた。
しかし、知っているという事とそれを体感するという事は全くの別問題であって、初めて見る景色に感動し興奮していた昨日とは打って変わって出発して間もなく私はこの景色に飽きてしまった。
それでも退屈せずに馬車での移動が出来ているのは隣で馬の手綱を握る彼のお陰だろう。
『そういえばユティーナは昔の建物とかに興味があるんだっけ?』
昨晩の夕食の際に約束した通り、私達はロレンスの幌馬車に乗っていた。
ロレンスは余程私の事が気に入ったのだろう、馬車が動き出してから随分と私に話しかけてきた。そのどれもがたわいも無い話題だったが、一人で過ごす事の多いロレンスにとってはそんな会話も楽しいようだった。
とは言え太陽は高く昇り少し傾きかけた頃には次第に会話も少なくなっていた。私は御者台に座りながら果てしなく続く平原が流れていく景色をボーッと眺めていた。
皆、今頃何をしてるのかな。
ロレンスにチェド村の事を話したりしていると昨日村を出発したばかりなのに、それがもう何日も前の出来事のように思えて少し寂しくなってきた。
「ユティーナ、聞いてる?」
唐突にロレンスが顔を覗き込みながら話しかけてきた。
「え? あ、うん」
私は慌てて我に返ったが、急に声を掛けられた為か可笑しな顔で返事をしたらしい、ロレンスはハハハと隣で笑っている。
しかし不思議と笑われている事は不快では無い、そして何故が私も思わずクスクスと笑ってしまった。
ロレンスとは昨日会ったばかりである。それなのに、まるで生まれた時から一緒に居る様な自然な親しさと居心地の良さがそこにはあった。暫くの間クスクスと何が可笑しいという訳でもなく私達は顔を見合わせながら笑い合っていた。
こんなに笑ったのはいつ以来だろうか?
「ねぇ、ロレンスは何で行商人になろうと思ったの?」
そういえば少し気になっていた事を聞いてみようと、私は大きく呼吸を整えてからロレンスに尋ねてみた。それを聞いたロレンスは少し表情に陰りを見せながら遠くの方に視線を送った。
「あまり楽しい話じゃ無いけど、それでもいい?」
此方に視線を戻したロレンスは先程とは打って変わってゆっくりとした口調でそう述べた。真っ直ぐな視線を向けるロレンスに私はコクリと頷いた。
「僕は物心ついた時から商いをやっていたんだ」
淡々とそう切り出したロレンスは先程と同じ様にぼんやりと遠くを眺めながら話を続けた。
ロレンスは街に店を構える商人の一人息子だったようだ。店と言っても両親が二人で経営する小さな商店だったらしく、仕入れも自分たちで行っていたらしい。ロレンスも物心ついた時から両親の手伝いをしていたらしく将来はその店を継ぐものだと思っていたそうだ。
ロレンスの父親は変わった趣味があったらしく、仕入れの為に彼方此方の街や村に行ってはその土地の昔話や伝説などを集めていたらしい。
その話は酒場などでの話の種にしていたようだ。ロレンスもその話を楽しみにしていた内の一人で父親が帰ってくると眠たくなるまでその話を聞いていたらしい。
「賢者様たちの話、強い騎士の話、見栄を張って大損した商人の話……色んな話を父さんはしてくれた。そして父さんは話の最後、決まってポケットから宝物を取り出してそれを僕に見せながらこう言ったんだ。『お前が商人として一人前になった時にはこれをやろう。だから1日でも早く商人として一人前になれるように頑張るんだぞ』僕は父さんが話してくれる街の外を自分で見たかったし、何よりその宝物が欲しくて早く一人前になろうと毎日頑張ってたんだ」
ロレンスはそう述べると、少し照れたように頰を指で掻きながら微笑んだ。
「そんな素敵なお父さんがいるなんて羨ましいな〜」
私は目を輝かせながらロレンスの話を聞いていた。毎晩寝る前に色々なお話を聞かせてくれるなんて本当に羨ましい限りである。
「ユティーナが楽しそうに話をしているのを見ていると父さんの事を思い出すよ、父さんもユティーナのように楽しそうに話を聞かせてくれていたからさ」
「ロレンスのお父さんは今どこにいるの? 私も是非ロレンスのお父さんの話を聞きたいんだけど」
私はロレンスに顔を向けながらそう訊ねると、ロレンスは真っ直ぐ前を向きながら黙ってしまった。
そして少しの沈黙の後にロレンスは再び口を開いた。
「いなくなったんだ」
「え?」
突然の話に私は返す言葉が見つからなかった。そして先程と同じ様にロレンスは淡々と話を続けた。
「ある日、お使いから帰って来ると店先には誰もいなくて、主屋にも父さんと母さんはいなかった。二人ともが家にいない事は日常茶飯事だったので僕は一人で店番をしていたんだ。けど閉店の時間になっても二人とも帰って来る事はなかった。店閉めも教えられていたし、一人で夕食を食べる事はたまにあったので、その日は一人で夕食を済ましてベットで寝る事にしたんだ。朝になったら父さんも母さんも帰って来る、そう思ってね。だけど、ベッドに横になった時枕の下に何かがある事に気がついたんだ。枕を退けるとそこには父さんの『宝物』があったんだ」
当時ロレンスはまだ6歳になったばかりで、住民登録を済ませていなかった。本来ならば『孤児』として、孤児院での生活を余儀なくされる所だったのだが、事情を知った両親の商人仲間がロレンスの親戚に連絡を取ってくれて、親戚は快くロレンスの事を引き取ってくれたらしい。
そのお陰で住民登録は出来なかったものの『孤児』として生活する事なく、7歳になり親戚の伝で組合に見習いとして入る事ができ現在『行商人』として街から街への旅をしながら商いをしているらしい。
「今は街で自分の店を持てるようにお金を貯めているのさ」
話が終わるとロレンスはポケットからくすんだ銀色の『コンパクト』の様な物を取り出し、私の前に差し出した。
「これが父さんの『宝物』なんだ。ユティーナ手を出して」
ロレンスはそう言って私にその『宝物』を手渡した。
うっ……
ロレンスから『宝物』を受け取ると同時にロレンスと面影が似ている男性が頭に浮かんだ、きっとこの人がロレンスのお父さんなのだろう。
その男性は誰かに呼ばれたらしく急いでこの宝物をロレンスの枕の下に隠していた、そこにはもうここには戻って来れないだろうという覚悟とロレンスに対しての謝罪が込められていた。
「ユティーナ? どうしたの?」
ロレンスが手綱を握りながら心配そうに顔を覗き込んできた。
「あ、うん。なんでもない」
私がそう言うとロレンスは気を取り直した様にその『宝物』の説明をし始めた。
「金具があるでしょ、そこから蓋が開くようになってるから開けてごらん」
ロレンスに言われた通りにコンパクトのような宝物の金具付近を触るとそこから開くようになっていて二枚貝のように宝物が開いた。
これって……
宝物の蓋を開くとそこには12個の文字が円状に並んだ『文字盤』とその文字を指し示す2種類の『針』がそれぞれ違う文字を示していた。紛れもなくそれは『時計』であり、この宝物は『懐中時計』であった。
私はこの『時計』という物をを知っている。しかし、それはこの世界と違う世界の代物だ、いったいどういうことだろうか。
私が驚きに言葉を失っていると得意げにロレンスは鼻を鳴らした。そしてそっと耳の側で小さく囁いた。
「これは父さんの知り合いが『立入禁止区域』で見つけた物らしいんだ」
「『立入禁止区域』?」
初めて聞く言葉に私は首を傾げながら手渡された『懐中時計』をロレンスに返した。受け取った懐中時計をポケットに直しながらロレンスは何かを思い出した様子で話し始めた。
「ユティーナは昔の建物とかに興味があるんだよね? 立入禁止区域にはそういった場所もあるんだ。この宝物はそこで見つかった崩壊前の文明、所謂古代文明の代物って事だよ」
その話に私は思わずロレンスに捻り寄った。そして鼻息荒く私はロレンスに訊ねた。
「それはどこにあるの?」
あまりにも私の顔が至近距離にあったからだろう、ロレンスは一瞬私から視線を逸らすとコホンと咳払いをした。
「そういった場所は王国全土にあるよ、エイペスクにも『迷いの森』って言う立入禁止区域があって、もうそろそろ此処からでも見えるはずだよ。でも大分遠いからわかりにくいかもしれない、でも大きい塔みたいな建物は見えると思うよ。ほら〜」
ロレンスはそう言うと向かって右側を指さしていた。
崩壊前と言えば、相当昔の文明の事である。そんな遺跡があるのであれば是非ともこの目で拝みたい。私はどれどれと言われた方向に視線を送ってみたが見渡す限り平野が広がっているだけだった。
それでも目を凝らすと、言われないと分からないくらい遠くに霞んだ森らしき一帯を確認する事ができた。
「あの霞んで見えるところ?」
「そう! ここからだと霞んでしか見えないけど、よく見ると塔みたいな建物が幾つか建っているのがわかるよ」
ロレンス言われもう一度目を凝らして其方を見ると確かに人工物らしき建物を幾つか発見する事ができたが、それが塔であるかどうかすら遠すぎて分からない。
それでもロレンスの言う通り何かしらの『遺跡』というべき建造物があるようだ。
「もっと近くで見たい! どうすればあそこに行けるの!?」
私は更に食い気味にロレンスに捻り寄った。流石のロレンスもそんな私の反応に苦笑している様子だった。
「ユティーナ、それは無理な話だ」
突然私たちの背後から声が聞こえて、私は思わずそちらを振り返った。そこには、先程まで馬車の積荷に凭れながらウトウトと寝息を立てていたトリスタンが、やれやれといった具合に首を回しながら立っていた。
「何故ですか? そこに遺跡があるというのに、何が私と遺跡の邪魔をするんですか!?」
「ロレンスの話をちゃんと聞いていたのか、このバカタレ」
私はトリスタンに向かって半ば怒鳴るようにそう言うと、トリスタンは両手で私の頰を抓った。
「ひぃたひ、ひぃたひです」
「『立入禁止区域』は国王様によって定められた立ち入りを禁止された区域だ。それは何らかの危険が伴う故に定められている。わかったか」
「はひ、ほめんなしゃい」
私が素直に謝るとトリスタンは直ぐに手を離してくれた。しかし抓られた頰は未だに痛い、私は少し涙目になりながらトリスタンを睨んだ。
「暴力反対……」
「マグリットの旦那にはユティーナが暴走したら実力行使をしてでも止めるようにと伺っているからな」
そういえば、村長さんに二人の言うことをちゃんと聞くようにって言われてたな……
「立入禁止区域は唯でさえ危険な場所なんだが、人が余り近づかない為か凶暴な動物が住み着いているらしい。定めを破って財宝を探しにいった物達の話をたまに耳にするが、あまり良い話は聞かないな。だから馬鹿な事は考えるんじゃない」
溜息を吐きながらトリスタンは念を押すように私にそう述べた。私は頰を摩り不貞腐れながらその話を聞いていた。しかし、どうやら本当に危険な場所らしい、それでも私は諦めきれなかった。
目の前に遺跡があるのにお預けだなんで我慢できない! どうにかして……
「ユティーナ。俺が護衛をしている間は絶対に勝手な行動は許さないからな」
まるで私の心でも読んでいるかのようにトリスタンは睨みを利かせながら再度釘を刺すようにそう述べた。
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