第29話 サラの弟子入り



 木々の葉の甘い匂いと爽やかな花の香りが仄かに染み込んでいる爽やかな風を受けて、緩くウェーブが掛かったブロンドの髪が靡いている。


 撫でる様に髪を弄んだ風は、彼女の甘い香りを身に纏い私の鼻腔を刺激する。


 宝石の様に輝く無垢な瞳は期待に満ち溢れ真っ直ぐに此方を捉えて離さない。


 その整った容姿は未熟でありながらも艶美な雰囲気を醸し出しており、汚れを知らないで在ろう捥ぎたての李の様な口唇が私の返事を今か今かと待っている。


 また身体を捻って此方に向けているためかワンピースの裾が膝よりも上に捲し上げられてしまって、乱れた裾から覗かせる太股が淫靡な感情を抱かせる。


 まるで女豹の如くジリジリと捻り寄って来る彼女に、一瞬であったが私は見とれてしまっていた。



 っと危ない危ない。



 ハッと意識を取り戻した私はサラが持つ潜在的な才能に憂惧した。



「えっと、トール兄さん事かな?」



 私は先ほどの間を誤魔化す様にサラに訊ねた。



「そうです! 姐さんのお父様の訓練を受けるという話です!」



 興奮したサラの顔が更に近づいて来る。



 近い近い!



 私は興奮するサラを落ち着かせ、話を始めた。



「トール兄さんは今日から仕事が終わった後、お父さんに兵士になる訓練を受けるって言ってたんだ。ただ詳しくは聞いてなかったから今日帰ったら聞いておくね」


「ウチも一緒に受けてもいいでしょうか?」


「え?」



 サラの言葉の意味が理解できず私は思わず首を傾げた。私の反応を見てサラは話を続けた。



「ウチも姐さんのお兄様と一緒に姐さんのお父様の訓練を受けたいんです!」


「サラが訓練を受けるの?」


「はい!」



 どうやら私の聞き間違えでは無く本気でサラはお父さんの訓練を受けようとしているらしい。



 あッ!



 私は昨日の話し合いの中でマグリットが村の為に『騎士』か『士官』になって欲しいという話を思い出した。


 来年の収穫祭で7歳になり住民登録が終われば『能力検査』を受ける為に『騎士見習い』か『士官見習い』になり、マグリット達の手伝いをするという話だ。


 それまでの間は『見習い』になる為に勉強をするっという話だった。


 私は自分の虚弱さから消去法で『士官』を選択するしかなかったし、マグリットも『士官見習い』になる事を前提で話を進めていた。なので一緒に勉強しているサラも『士官見習い』になるものだと思っていたのだが、どうやらサラは『騎士見習い』になりたいらしい。



 勉強嫌いだもんね、サラ。



 私は少し考えた後、マグリットに視線を送った。マグリットは私たちの事など気にも留めずに仕事を進めていた。



「ちゃんと村長さんに話をしたの?」



 私は視線を戻しサラに訊ねた。サラはハッとした様子でマグリットの方に視線を向けた。



「お父様……」


「トゥレイユが良いと言うのであれば、僕は構わないよ」



 マグリットは視線を執務机に向けたままそう答えた。その言葉にサラはパァっと顔に花を咲かせ視線を戻した。



「ですって!」



 私は昨日死にかけたんだけど、お父さんに愛娘を預けて平気なのかな?



 マグリットの淡白な応対に呆れながらも、私は口を開いた。



「じゃあ今日帰ったらお父さんにサラの事を話してみるね」


「お願いします!」



 私達は一通りの遣り取りを終えると、自分の机に向かった。



 コンコンコン……



 椅子に座ると同時にドアをノックする音が聞こえた。如何やら来客があったらしく、デボラが執務室に入って来た。



「今日は来客の予定はなかった筈だが?」



 マグリットは驚いた様子で執務机から顔を上げた。



「エイペスクからの使者がお見えです」



 デボラの言葉にマグリットは立ち上がり、私達に視線を送った。



「今日はここまでだ」



 マグリットはそう述べると、そそくさと執務室を後にした。


 先程まで憂鬱という文字を顔に貼り付けた様子だったサラは、急遽なくなった勉強の時間に大喜びしている。



「姐さん! 姐さんのお父様の所に行きましょう!」



 どうやらサラは一刻も早くお父さんの訓練を受けたいらしく、今からお父さんの所に行こうと言い出したのだ。しかし私はお父さんとトール兄さんがどこで仕事をしているのか全く知らない。


 その事をサラに伝えると『大丈夫です』と足早に館の外に出て行った。急いで後を追いかけると、館の裏にはリュウとローがやって来ていた。



「姐さん、行きますよ!」



 既にローの背中に乗っているサラは私に手を差し出している。私は言われるがままサラにローの背中に乗せて貰った。



「ロー、昨日はありがとう」



 私が昨日のお礼を述べると



『そんな事、気にしなくていい』



 頭の中に直接綺麗な声が響いてきた。どうやらこれがローの声らしい。



「しっかり掴まって下さいね」



 サラがそう言うとローは立ち上がり、颯爽と走り出した。




 森の中を暫く走るとローが足を止めた。



「ここらしいです」



 そう言ってサラは上を見上げる、見上げた先にはリュウが木の枝に止まっていた。ローはその場に伏せ、私達が背中から降りやすい様にしてくれる。



「ありがとう! 行ってくるね〜」



 サラは彼らにそう言うと私の手を引っ張って森を進んで行く。


 森を抜けると、一面に広がる耕作地が姿を現した。



「姐さん! いましたよ!」



 そう言ってサラは前方を指差す。その先には此方を伺うお父さんの姿が確認できた。



「ユティーナ〜」



 私達を確認したのかお父さんは大声を出して此方に手を振っている。トール兄さんも此方に気づいたのか、立ち上がり此方に視線を向けた。



「どうしたユティーナ、畑に来るなんて珍しいじゃないか」



 私達が合流するとお父さんは直様私にそう訊ねた。トール兄さんは私の隣にいるサラを凝視している。



「サラがお父さんに用があるらしいの。あ、トール兄さんこの子はサラ。いつも話してるでしょ?」



 私が要件を述べるとサラは一歩前に出た。



「初めまして、トールさん。私はサラと申します。どうぞお見知り置き下さい」



 デボラに教えて貰ったであろう丁寧な挨拶をサラはトール兄さんに送った。


 サラの中身を知っている私は驚愕の光景に目を見開いていたが、トール兄さんは私とは違った意味で驚いている様だった。



 まあ普通にしていれば、サラは何処かのお姫様に見えるからね、仕方ないか。



 私がそんな事を思っているとトール兄さんも慌てて口を開いた。



「ユティーナの兄貴のトールだ。よろしく」



 トール兄さんがそう言うと、サラは待ってましたと言わんばかりにお父さんの方に視線を送った。



「姐さんのお父様! ウチにも訓練をお願いします!」



 サラ……もう素が出てるよ……



 私は心の中でそう呟いた。


 先ほどの自己紹介から一変したサラの口調にトール兄さんは目を丸くしている。付け焼き刃の所作じゃサラの中身は隠しきれない事を知った私はデボラさんの事を思い、憂いた。



「嬢ちゃんが俺の訓練を受けるのか?」


「はい!」



 お父さんは確認する様に訊ねたが、サラは間髪入れず返事をした。その返事にお父さんはんーっと腕を組んで悩んでいる。



「お父様の許可は取っています」



 サラは念を押す様にお父さんにそう述べた。



「マグリットが、か……」



 サラの言葉にお父さんは更に考え込んでしまった様子だった。お父さんの様子を見て、サラの表情が見る見る暗くなっていく。



「嬢ちゃんみたいな子に俺の訓練は荷が重いと思うがな……」


「そうだぞ、兵士は男がなるもんだ。女のお前には関係ないだろ」



 お父さんの言葉に同調する様にトール兄さんが口を挟んだ。



「大丈夫です!」



 その言葉に食い下がる様にサラはそう述べた。お父さんは腕を組み目を瞑って何やら考え始めた。



『チッ……』



 え? 今小さく舌打ちしたよね、サラ。



 どうやらサラは痺れを切らしたらしく、実力行使に移ろうとしている様子だった。私は慌てて止めようと試みたが、もう既に手遅れだった様だ。



 バシッ!



 サラは地面を蹴りジャンプすると、お父さんの顔を目掛けて回し蹴りを入れていた。しかしお父さんはサラの蹴りを寸前のところで受け止めていた。



「これでもダメでしょうか?」



 お父さんに脚を掴まれているサラはその状態のままそう述べた。トール兄さんは突然の出来事に状況を把握仕切れていない様だった。



「びっくりするだろ」



 お父さんはそう言うと、手に掴んでいるサラの脚を乱雑に投げた。投げられたサラは空中で姿勢を整え、難なく着地した。



「まあ、いいだろ」


「ありがとうございます。ご無礼を働き申し訳ありませんでした」



 一時はどうなる事かと思ったがどうやらお父さんはサラが訓練を受ける事を認めたらしい。トール兄さんはと言うとサラの身の熟しに目を白黒させていた。



「二人とも着いて来い、今日から訓練を始めるぞ」


「うん……」


「はい! 師匠!」



 お父さんの言葉にトール兄さんとサラは直様返事をした。



『ユティーナ、館に戻って来てくれ』



 一人蚊帳の外にいる私は、これからどうしようかと考えていると、突然頭の中にマグリットの声が響いてきた。



「お父さん、私館に戻らなくちゃいけないみたい」


「一人で館まで戻れるか?」



 私がマグリットからの呼び出しがあった事を説明すると、お父さんは頷きそう述べた。



「ウチに任せて下さい」



 ピューー



 私とお父さんの遣り取りに、サラはそう言うと指笛を吹いた。すると森からローがやって来た。


 突然森から『大きい狼』が現れたのでトール兄さんはビックリしてその場で腰を抜かしてしまった様だ。


 お父さんは一瞬だけローを睨んだが、サラの友達という事で何もしなかった。



「姉さんを館まで送ったらまた戻って来ます」



 サラがお父さんにそう言うとローは颯爽と走り出した。


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