第5話 私の世界



 ゆっくりと浮かび上がるように、私は意識を取り戻した。



 うっ……



 何かに打たれたような痛みが頭を巡った。目を閉じているというのに、視界が歪んだ様に畝っている。



 頭が痛い……気持ち悪い……



 意識が戻ってから暫くは頭痛と眩暈で何も考えられなかっが、徐々に眩暈はなくなってきた。未だに頭は重たい。

 頭を摩ろうと手を動かすが、まるで自分の手じゃないかのように動きが鈍い。


 私は、ゆっくりと額の上に手を乗せた。



 え?



 私の額に置かれたその手は、私の知っている手の大きさではなかった。ゆっくりと重い瞼を開けると、そこには小さな可愛らしい手があった。


 それは紛れもなくだった。


 霞む視界から周りを見渡すと、太い梁があり、隅には少し蜘蛛の巣が掛かっている見知った天井がそこにはあった。



 ここは私の家だ。



 そう確信したのだが、何かがおかしい。


 私はゆっくりと瞼と閉じて、重たい頭で思考を巡らせていく。


 私は『遺跡調査』で洞窟にいたはずだ、あれ? トール兄さんに連れられて『洞窟』に探検に行ったんだっけ?

 そもそも『イセキチョウサ』って何だろう? いや遺跡調査は遺跡調査だ。過去の人々が生活した痕跡を調べるということだ。


 そんなの事をなぜ疑問に思ったのだろう。


 しかし、何故かあの時の記憶が曖昧である。もしかすると頭痛のせいで記憶が混濁しているのかもしれない。


 兎に角、私は『洞窟』で気を失って、家に運ばれ寝かされていたのだろう。


 一体どれくらい寝ていたのだろうか。今日は何曜日なのだろうか。『仕事』はどうなったのだろうか。


 時間が経つにつれて様々な疑問が徐々に浮かび上がったが、まだ起き上がれる程の状態ではなかった。



 暫く横になっていると、部屋のドアが開いてお母さんがやってきた。



「ユティーナ! やっと気が付いたのね」



 私が起きていることに気が付いたお母さんは瞳に涙を浮かべながら、私の頭を優しく撫でてくれた。

 霞んでいた視界も徐々にはっきりと見えるようになって、普段は意識して見ていないお母さんの顔をまじまじと見る事ができた。


 よく見ると、お母さんは凄く顔が整っていて美人だった。



 もう少し綺麗にすればいいのにな……



 そんな事を考えていると、心配そうにお母さんが続けた。



「3日間ずっと気を失っていたから、本当に心配したのよ」



 3日間!? そんなに私は気を失ってしたのか、道理で身体中が痺れている訳だ。



 その後お母さんは、泣きながらトール兄さんが私を背負って帰ってきた事、トール兄さんには十分説教しておいたので無茶な事はしないだろうという事を教えてくれた。


 そして、今日はまだ安静にしなさいと強い口調で言われた。が、そもそも未だに体が痺れて動かないのでそうぜざるを得ない。私は素直に頷き、今日はゆっくりと休む事にした。


 お母さんはホッと胸をなで下ろして、もう一度私の頭を優しく撫でた。


 それじゃあとお母さんは私に背を向け部屋を後にした。



「お母さん、『遺跡調査』はどうなったの?」



 ドアが閉まる寸前、私はお母さんを引き止めて気になっていた事を訊ねた。


 私の質問に、お母さんは振り返り、首を傾けた。



「ユティーナ。何、訳のわからない事を言ってるの? 今日はもう寝なさい」



 そう言うと、お母さんはバタンとドアを閉めた。



 え、どういう事だろうか。『遺跡調査』が訳のわからない事? なんでお母さんはそんな事を言うのだろうか。

 遺跡調査なんて小学校の教科書にも載っているような事である。お母さんはそんなことも知らないのだろうか?


 そういえば、部屋で寝てばかりだからよく知らないけど、私は学校に行かなくていいのかな?



 未だに重たい頭でそんな事をぐるぐるぐると考えていると、徐々に瞼が重くなってきた。

 まあ起きてからまた考えればいいか、と私は眠気に身を委ねた。




 朝起きると、既に部屋には誰もいなかった。昨日の頭痛はもうすっかり治っており、他に身体の不調も見当たらない。

 ベッドから起き上がり、部屋のドアを開けようとドアノブに手を伸ばした。



 私ってこんなに小さかったけ?



 見知ったドアノブは思っていた位置よりも高く丁度私の頭の高さと同じ位置にあった。そして部屋のドアも私が思っている以上に大きく手で引いても開ける事が出来なかった。

 結局、体で引く様な形でやっとドアを開ける事が出来た。




 隣の部屋では、家族全員が食卓を囲み朝食を摂っていた。


 寝室から出てきた私に気が付いたのだろう、家族全員が此方に振り向いた。



「ユティーナもう大丈夫なのか?」


「無理せずに寝ていてもいいんだよ」



 お父さんとテュール兄さんが心配して声を掛けてくれた。お父さんは農夫をしているからかガッチリした体型をしていてヒゲが生えている、結構濃ゆい系の顔立ちだ。テュール兄さんは細身だけど筋肉質で、顔立ちは整っていてお母さん似だ。



「うん、もう大丈夫」



 私がそう言うと、二人とも安心したのかホッと一息ついて食事に戻った。


 私も自分の椅子に座り用意された食事に手を掛けた。ふと隣を向くと、ばつが悪そうにトール兄さんが座っていた。



「ユティーナごめんな」



 顔を俯かせながらトール兄さんは申し訳なさそうに私に謝ってきた。今回の事で大分反省したのだろう、その声から覇気が全く感じられない。



「もう気にしてないし、大丈夫だよ。トール兄



 今のトール兄さんを見ていると私が悪い事をしているみたいで嫌だった。もう元気になったし、別にそんなに気にする事はないだろうと、私はそう答えた。


 しかし、私の言葉に家族全員が動きを止め、私に顔を向けた。


 何かおかしな事を言ったのだろうか?


 私はパンをちぎって、スープに漬けて食べた。



「ユティーナ、頭でも打ったか?」



 不可解な物を見るように私を見つめながらお父さんはそう言った。



「何もないよ? どうしたのお父さん?」



 私がそう言うと、皆は首を傾げながらも食事を続けた。


 そういえばこの後、お父さんとテュール兄さんは畑へ行くが、私とトール兄さんはどうするのだろう? そう思った私は、昨日疑問に思った事をお父さんに訊ねてみた。



「トール兄さんはに行かないの?」



 またも家族全員動きを止めて私を見た。

 特に変な事を言った覚えはない。



「何、訳のわからない事を言っているんだ? トールは森へ薪や山菜、木の実を取りに行くんだろ」


「寝てる間、変な夢でも見たんじゃないか?ユティーナも元気になったならお母さんの手伝いや、トールと一緒に森へ行ってみたらどうだい?」



 お父さんは少し不機嫌になりながらそう答え、テュール兄さんは笑いながら、そう言った。



 おかしい。



 普通、私やトール兄さんくらいの子供は『小学校』に通っているはずだ。


 でも、お父さんやテュール兄さんが嘘を言っているようには感じられない。やっぱり昨日意識を取り戻してから何かがおかしいのは確かだった。



 どうすればいいのだろうか。



 私が難しそうな顔をしながら黙り込んでいると、隣から元気を取り戻した声が聞こえてきた。



「じゃあ今日、俺がユティーナでも行けそうな所に連れて行ってやるよ!」



 罪滅ぼしに、とでも言うようにトール兄さんは意気揚々とそう述べた。


 すかさずお母さんが私に無理をさせないようにと釘を刺していたが、トール兄さんは大丈夫大丈夫と話半分に顔を輝かせていた。



 本当に反省しているのだろうか?



 でも確かに私は部屋で寝てばかりだったので、家の中やその近所くらいしか余り知らない。

 トール兄さんに外に連れて行って貰えるなら、何がおかしいか少しはわかるかもしれない。



「じゃあ今日はトール兄さんに付いて行く」



 食事を終えた私は食器を片付けながらそう言った。

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