第2話 師匠からの誘い



 足音だけが響き渡り、それもすぐに溶け入ってしまう。まるで時が刻むことを忘れた様な空間をこの場所はうみだしているのではないだろうか。


 そして、ここにある『』たちは、悠久の時間をその内に秘め、ここに存在している。



 私はこの時間がとても好きだ。張り詰めた様な静寂が満ちた館内を歩き、『展示品』を1点づつ確認していく。その一つ一つに意味があり歴史がある。

 平日の午前中に博物館に足を運ぶ人は僅かであるが、そのほとんどが私と同じ様に、悠久の時を憂いながら感傷に浸っている。


 ほとんどの人は、である。一部の例外を除いて……



「ユティ〜ナ〜」



 紳士服に身を包んだ白髪の男性が静寂を破る様に、ニヤニヤと笑みを浮かべてこちらに近づいてくる。

 私は彼が誰なのか知っている、が私は仕事中である。別に私を呼んでいる訳ではなさそうなので、とりあえず無視しておく。



「ユティ〜ナ? なんで私を無視するんですか〜?」



 彼は私の隣に来て、顔を覗き込みながら片言で喋りかけてくる。やはり私に用があったようだ。


 私は展示品の確認作業を止めて白髪の男性に視線を移した。



「何かご用でしょうか? クリストファー・フェルディナント教授」



 出来るだけ不愉快に感じる様に、余所余所しく嫌味たらしくフルネームで呼んでみた。

 彼も私の苛立ちを理解したのだろう、片眉をあげて、不可解な物を見る様な目で私をみる。



「どうしたんだい、ユティーナ? 今日はやけに機嫌が悪いじゃないか」



 そう言って首を傾げながらも、彼は尚私に問いかけてくる。別に私は特別機嫌が悪い訳ではない、寧ろ今日は朝から興奮していて館長に呆れられるくらいだった。展示品の確認が終わり、今からやっと展示品の補修に取り掛かろうとしていたタイミングで彼がやってきたのだ。

 誰だってお預けを食らったら機嫌が悪くなるだろう。況してや、彼はいつも私の名前を



「私の名前は本多友紀奈です。ユティーナではないと何度も言っているじゃないですか!」



 成る程。と彼は手を打ったが、こういう時は絶対に理解していない時だ。



「ところでユティーナ、どうしても頼みたい事がなるのだけど、いいかな?」



 そう言って彼は、顔の前で手を合わせてお願いのポーズをとる。やっぱり理解していない。どうせいつものお願いである、いつもいつも断っているのに懲りない人である。



「サインの件ならいつも断っているじゃないですか。諦めて下さい、仕事がありますので私は失礼しますね」



 本当に懲りない人である。溺愛している孫娘の『ユティーナ』が私の彼氏がボーカルを務める『ialim』というバンドのファンである為、事あるごとに私にサインを貰って欲しいと言うのである。

 私の事をユティーナと呼ぶのも孫娘と名前が似ている為である。本当に勘弁してほしい。


 溜息を吐いて、その場を去ろうとしたその時。



「今度の長期休暇の際に、調査団に参加する事になったので、私の助手をユティーナに頼もうと……」


 

 教授の口から出てきたのはまさかの遺跡調査に関する事であった。


 私は教授の話を半ば遮るように条件反射でその依頼に反応した。



「是非参加いたします!」



 あまりに大声で返事をしたため、来場者が私を睨みながら咳払いをした。そして教授はというとニヤっと不敵な笑みを浮かべて、満足そうに頷いた。



「じゃあまた連絡するからね〜」



 そう言って教授は去って行った。



 クリストファー・フェルディナント教授は私が在籍していた大学の名誉教授である。先行は考古学で、様々な遺跡の発掘調査や補修に携わっている。

 在学中はほとんどの時間を教授について回り、様々な遺跡・遺物の調査や補修を手伝った。そのお陰で大学院を経て、国立博物館の学芸員として日々展示物の管理、補修を行なっている。私が卒業してからも、時折ここへサインを強請りに来ていたが、私を助手に指名するために来るなんて初めてである。




『……先日、種子島宇宙センターから打ち上げられた''調査衛星アリス''は衛星軌道上の国際宇宙ステーションでの最終調整を終えた後、''調査船アリス''として太陽系の外側である銀河系の調査へと……』



「私が人類の歴史を研究している間に、人類は更なる宇宙へと進出するくらい文明が進歩したわけですか〜」



 部屋で、ニュース番組を肴に缶ビールを煽っている姿は、どっからどう見ても中年のおじ様である。しかし今日くらいは許してほしい。久々に教授と共に遺跡調査に行けるのである。前祝いとして少しくらいのお酒は構わないだろう。



『……査船アリス''には最新の学習AIが搭載されており、無人でデータ収集、送信を行……』



 バタンッと玄関が閉まる音が聞こえる。浩嗣が帰って来たのだろう。



「おっかえり〜」



 上機嫌の私を他所に、部屋に入ってきた浩嗣の顔が少し引きつる。久しぶりに会ったのに何故そんな顔をするのだろうか?



「ただいま。……なあ友紀奈、お前酒のんでるよな?」



 浩嗣は改めて確認する様に私に問う。彼の顔には悲壮や喪失といった感情が伺えるが、久々に彼女に会ったのだ、もうちょっと喜んでくれてもいいのではないだろうか。



「今日ね〜師匠から助手に任命されたんだ〜」



 普段、私は自分から好んでお酒を飲まない。別に嫌いなわけではないが、あまりお酒が強い方ではないのだ。…寧ろ下戸である、飲むと他人様に迷惑をかけることが多いので、宴会などの席では自重して控えている。が、今日は特別だ! 缶ビールの1本や2本許してほしい。


 そういう意味を込めて言った一言に浩嗣はため息をついた。



「よかったね。俺は仕事がひと段落したから、しばらくはこっちにいるから」


「りょ〜かい」



 荷物を降ろした浩嗣は、風呂場へと向かい浴槽にお湯を張り始めた。この部屋は私の名義で借りている部屋だが、ツアーやレコーディングなどが終わると浩嗣はこの部屋へと帰って来る。自分の家は音楽が沢山あって、帰っても気が休まらない時があるらしい。


 それにしてもいつ以来だろうか? この間あったのが去年のクリスマス前だったから、3ヶ月ぶりくらいかな?


 付き合い始めの頃は、あまりにも音楽を優先するので『私と音楽どっちが大事なの?』とお決まりのセリフを言ってしまったこともある。勿論、音楽と答えた彼に、別れるという選択肢を選ばなかった私も、彼に対して同じような後ろめたさがあったからだろう。なんだかんだで、交際4年目になる。



「友紀奈? このあいだ……」



 浩嗣が戻って来て何か言っているが、そろそろ眠気が限界だ。数日はこっちにいるみたいだからまた今度話を聞こう。


 私は温かく柔らかい泥の中に入っていくような感覚に身を委ねた。

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