5 竜が消えた国
「〈黒きアープ〉って……」
それは、おじいちゃんとアープが竜騎士だったときの、戦場での異名だ。何でこの人が、それを知っているの。
アープは、ハロルドさんの顔を見てしばらく考えていたが、
「ヴィシーの主人、か? 名前は、ハロルドではなかったと思うが」
「覚えていてくれて嬉しいよ。その通り、バーナードだ。ハロルドというのは、この街に住むときに使い始めた偽名だよ。ノートンは、最期まで本名で暮らしていたみたいだな」
「旅に出た最初の頃に、『ノートンと呼んではいかん理由がわからん』と言ったら、諦めた」
「なるほど。人ではない君に、事情を納得してもらうのは難しかったか」
苦笑するハロルドさん。……ではなくて、バーナードさん? え?
「知り合いなの? おじいちゃんとも?」
「申し訳ない。君をほったらかしにしてしまった」
ハロルドさん(とりあえずこう呼ぶ)は、私に軽く頭を下げた。
「私の本名は、バーナード・グレイヴス。元はベルナデッタ王国の竜騎士で、ノートン・フェイの後輩だった者だ」
あまりの急展開に頭がついていかない。
落ち着いて座って話でも、と言われ椅子に腰かけても、何から聞いてよいのやらと混乱していたら、隣りのアープが先に口を開いた。
「よく俺だとわかったな。ベルナデッタでは、俺は竜だった筈だが」
「ノートンが、その姿の君と街を歩いているのを、何度か見かけたことがあるよ。もちろん、そのときは竜のアープと同一人物だとは知らなかったが」
そう言って、向かいの椅子に座るハロルドさんは目を細める。
「『〈郵便配達アーリィ&アープ〉なら、ラプラスからだってクッキーを届けられる』という話をブラント君がしてくれた際に、〝アープ〟と〝フェイ〟という名が気になってね。数日迷って、自分の素性と、〈黒きアープ〉について話した。彼から〈竜人〉という存在を聞いて、そういうことだったのか、と納得したよ」
「ブラントさん……」
「それでブラント君に頼んで、君たちにモルゲンティーナまで来てもらったんだ。昨日、彼からの手紙にノートンの名が書いてあって、間違いないと思った」
そっか、ブラントさんはわかって協力してたんだ。
「半分騙すような真似をして、申し訳ない」と、ハロルドさんがまた頭を下げる。
「いえあの、私は構いませんけど……アープは、予想してたの? ハロルドさんが、バーナードさんだって」
「誰かは知らんが、ベルナデッタの者かもしれんとは思った。あれは、ジュネイの西側の歌だ」
「〈誰もいない〉か。酔った折に口ずさんだら、ソフィアとヨーンに妙に気に入られてしまってね。ジーラに訊かれて初めて、あれは極西地域固有の歌だったんだと気付いたよ」
ベルナデッタ王国と言うのは、ジュネイ山脈の遥か西にある国なのだという。
「歌だけなら、単にハロルドとやらも西側出身の人間から聞いたのかもしれんが、竜の噂が引っかかった」
「ヴィシーに乗って、近くまできたんだ。それを目撃されたらしいな」
ハロルドさんの竜の名前だろうというのは、話の流れで何となくわかる。
「野生の竜も普通にいる国で育った私からすると、竜を見ただけで噂になるとは思わなくて驚いたよ。ジュネイ山脈より東側には、竜はほとんどいないんだな。そのおかげでブラント君が来てくれたんだから、結果的には、噂になって良かったようだ」
「ヴィシーはどうした」
「好きなところに行っただろう。もう、竜騎士の竜ではないからな」
おじいちゃんとアープのように、ハロルドさんとその竜も、竜騎士を辞めたのだ。そして、ハロルドさんはモルゲンティーナに住み着き、竜はどこかへ去った。
「ベルナデッタから、野生の竜が減りつつあったのは、覚えているか? みな、何故かどこかへ去っていくんだ。新たに、竜騎士のパートナーになる竜もいない。我々は、竜騎士の最後の世代だ。ノートンと君が去ったのち、私を含めても五人しかいなかった。
今はもう、ベルナデッタに竜騎士は、一人もいない」
「いない?」
「……十年前に、国王が急逝した。二人の王子が継承権を争い、双方が竜騎士個々人に接触して、自分の側に付くよう要求してきたんだ。我々は、どちらの味方もしたくなかった。だから全員で一斉に、家族のいる者は家族も連れて、国を離れた」
「相変わらず、内紛の絶えん国だな」
珍しく、アープがやれやれという感じの声音で言う。「俺がいた最後の頃は、他国との戦より、反乱鎮圧のほうが仕事が多かった気がするぞ」
「急逝した王は、人望がなかったからね。先王の治世では、反乱など起きなかったんだが」
竜騎士だった時代のことを語るアープなんて、本当に珍しい。おじいちゃんはあまり、昔の話はしたがらなかったから。ハロルドさんという、当時を語り合える相手が目の前にいるからだろうけれど。
――ということは。もしかしてハロルドさんなら、知っているのかもしれない。
「あの。祖父はどうして、ベルナデッタ王国の竜騎士を辞めたんですか」
ハロルドさんが、ちらりとアープを見た。
「ノートンに頼まれて、俺は話さない、と約束した。だが、アーリィが聞きたいと思うのを、止める気はない」
その言葉に、息を呑む。
――アープは、知ってた? いや、事実として知っていても不思議はないけれど、人間側の事情には関心がないから、アープにとっては話すべき内容がないのだと思っていた。
でも、おじいちゃんと約束して、黙っていた? どういうこと?
「そうか……アーリィさんは、あのときの赤ん坊だね?」
「ああ」
私には意味のわからない会話を交わす、ハロルドさんとアープ。もやもやとした不安が、心の中に広がっていく。
ハロルドさんは、改めて私のほうに向き直り、静かに口を開いた。
「アーリィさん。我々は、君に侘びなければならない。君のご両親が亡くなったのは、我々のせいなんだ」
「え……」
今度こそ、息が止まりそうだった。
アープは何も言わず、ただ私の隣りに座っていた。
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