6 〈早春の娘〉

「どういう……こと、ですか」

 私は、おじいちゃんが旅の途中で、乳飲み子の私を見つけて、拾われた筈。両親なんて、知らない。

 呆然とする私と、アープの顔を交互に見やりながら、ハロルドさんは話を続けた。

「さっきアープも言っていたが、ベルナデッタ王国は、ある時期から、反乱が続発するようになり、我々竜騎士隊も反乱鎮圧に駆り出されるようになった。

 今から――約、十八年前になるか。山間の砦に立て籠もった反乱軍と我々の小競り合いの最中、たまたま近くを通りかかった幌馬車を攻撃に巻き込んで、崖下に転落させてしまったんだ。

 戦闘終了後、ノートンとアープが、崖下まで確認に行った。だから私は直接は見ていないが、馬車に乗っていた若い男女は、既に死んでいたそうだ。装束や荷物からして、恐らく他国人の旅の夫婦で、名前や身元がわかるものは見つけられなかったらしい。母親がしっかり抱きかかえていたという、唯一生き残っていた一歳くらいの赤ん坊を、ノートンが抱いて戻ってきた。

 それが、君だ。アーリィさん」

 ハロルドさんが言葉を切ると、部屋中に、物音一つしない静寂が広がった。

 建物の外から、モルゲンティーナの街の喧騒が聞こえてきたけれど、私の耳には、どこか別世界の出来事のようだった。

「……戦の処理を済ませたあと、我々は王都に戻った。しかし、それからしばらくして、ノートンが、アープとその赤ん坊とともに姿を消した。理由は誰も聞かされていないから、彼の本心は不明だ。だが、ノートンが竜騎士を辞めたのは、その一件がきっかけで間違いないだろう」

 そう言うハロルドさんの表情が、少しかげる。

「他国との戦ではなく、自国民をほぼ一方的に殺すことばかり命令されて、あの頃、竜騎士隊はみなんでいたんだ。その上、反乱軍ですらない、ベルナデッタの内紛には全く無関係の他国の民間人を、殺してしまった。

 誰のどの攻撃が、馬車を転落させてしまったかはわからない。責任は、我々全員に、或いは内戦を起こしたベルナデッタ王国全体にある。ノートンだけが悪いわけではない。だが……直接確認した彼は、我々以上に、思うところがあったのだろう、と思う」

 おじいちゃん。

 私とアープと三人で、ずっと各地を転々としていて。アープの本名を教えてくれなかったりとか、割と適当なところもある、明るい楽しいおじいちゃんだったけれど、竜騎士時代のことは、あまり話したがらなかった。

 ……そう、いえば。郵便配達の仕事を始めるまで、私は、ジュネイ山脈のある地方には行ったことがなかった。なるべく、極西地域方面には近づかないようにしていたのかもしれない。

 おじいちゃんは、ずっと、何を考えていたのだろう。

 何を思って、私を育ててくれたのだろう。

 おじいちゃん。

「ベルナデッタを発つ前、」

 それまで黙っていたアープが、口を開いた。

「これから、赤子を何と呼ぶかが問題になった。親がつけた名前があったんだろうが、俺たちにはわからん。それで、名前をつけることになった。ノートンが幾つか候補をあげて、俺に『好きなのを選べ』と言うので、何となく響きが気に入った奴を選んだ」

「アープ……」

 お互い座っていても、私より高いアープの横顔を見上げる。黒い髪。金の瞳。前を向いて、どこか遠くを見ている。

「ノートン曰く、〝アーリィ〟というのはベルナデッタ近辺でよく見られる花の名前だそうだ。冬から春に変わる頃、一番乗りに咲く小さい黄色い花で、別名〈早春の娘〉。抜いても抜いても勝手に生えてくる、やたら生命力の強い雑草らしいが」

「……ああ、あの花か」

 ハロルドさんが呟いた。

「懐かしいな。雪が解けると、丘一面を黄色に染めるんだ。こっちでは、見かけないな」

 ほとんど見たこともない、見たことがあったとしても覚えていない、遥か西の国の春の風景のイメージが、私の脳裏に広がる。雪解けの丘一面に咲く、小さな黄色い花。

「奴が、『人間社会は、綺麗事ばかりではない。それでも、もう少し、世界と人間の綺麗なところを、お前とこの子には見せたい』と言うので、そうか、と答えた」

 そして、アープがまっすぐに私を見る。金色の瞳に、私の姿が映っている。

「アーリィ。……すまん」

 その一言に。多分、十八年間のいろいろなことの、全てがこめられていて。

 アーリィ。

 おじいちゃんとアープがつけてくれた名前を、アープが呼んでくれる。そう考えたら、胸がぎゅっと苦しくなって。

「アー、プ……」

 名前を呼ぶことしか、できなくて。

 隣りに座るアープの胸にしがみついて、アープの服をくしゃくしゃになるほど握りしめて、子供の頃みたいに大声をあげて泣いた。


 翌日。

 ハロルドさんご所望のチョコレートクッキーの材料を、ジーラさんが揃えてくれたので。〈誰もいない家〉で、ソフィアやヨーンも交えて、みんなでわいわいとチョコレートクッキーを作った。

「お前が焼くのはやめとけ。また炭になる」

とアープに言われ、反論できなかったので、結局、ナリーナさんのレシピ(西方語訳)を見ながらジーラさんが焼いてくれた。焼きたてをみんなで食べた。とても美味しかった。

(でも、私が練習した意味はどこへ……。ちょっと悲しい。)

 そして、ハロルドさんからブラントさんへの約束の本を預かり、私とアープはラプラスへと帰っていった。


 私の名前は、アーリィ・フェイ。ラプラスの街で、〈郵便配達アーリィ&アープ〉の看板を掲げている。

 ラプラスはこれから本格的な冬が来て、雪に閉ざされるけれど。

 どんなに厳しい冬も、必ず過ぎて、やがて暖かな春が来る。



第五話 終

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