4 デレの森

「……村の伝説では〈林檎の城〉と呼ばれていますが、実際は、石造りの普通の家でしたよ。歴史はありそうでしたが」

 状況によっては届けられずに帰ってくるかもしれませんが、それでも良ければ。ということで、とりあえず詳しい話を聞かせてもらうことになった。ダニールさんも自分の経験上、私たちが〈林檎の城〉に着けなくても仕方がない、と思っているらしい。

「例えば、クーヴェルタなどの街ならば、あれくらいの民家は珍しくないと思います。ただ、一人で暮らすには広すぎるでしょうね」

「そこに、〝彼女〟は、一人で住んでいたんですね?」

「ええ。私がいた間は、二人で」

 淡々と話すダニールさん。だが、元・吟遊詩人だけあって、思わず聞き入ってしまうような深みのある良い声だ。

「ベッドの上で目覚めた私に、彼女は、ユールカ・メリエと名乗りました」

 穏やかに、声は紡がれていく。

「当時、私が二十五歳。正確な年齢は聞きませんでしたが、私より数歳上に見えました。長い金髪がとても印象的な、美しい女性でした」

 林檎の城に誰がいるの? 黄金きんの髪した女王さま――という、詩の文句を思い出す。

 ダニールさんが、その家に滞在していたのは、およそ三ヶ月。その間は、特に何も変わったこともなく、静かに日々が過ぎていったという。周囲には林檎の花が咲き乱れていて、「収穫の季節には、干し林檎やジャムを作るので大忙しなのよ」と、微笑む彼女。ダニールさんの身体が回復してからは、小さな畑を二人で耕し、汗を流した。夜には、月明かりの下でダニールさんが詩を語り、彼女が耳を傾けた。

「そんな幸せな生活が、いつまでも続くのだと思っていました。ですが……少しずつ、ユールカの表情が翳っていくことにも、気が付いていました。理由は判りません。尋ねることも、この平穏を崩してしまうような気がして、怖くてできなかったのです。

 そして――ある日、唐突に、終わりが訪れました」

 目が覚めると、そこはどことも知れぬ森の中。家も、林檎の木々も、影も形もない。

 あとは、ラプラスの秋祭りでジョアンさんが語ったとおりだ。〈林檎の城〉を探して、猟師になった〝旅人〟が森の奥深くへ踏み入ろうとするたびに、銀狼の群れが彼を追い返す。

「その、銀の狼が現れるのは、いつも同じ辺りですか?」

「そうでもないですね。結構、出没範囲は広い。……何というか、〈林檎の城〉の場所を特定させないようにしているんじゃないかとすら、思えてきます」

「銀狼なら、それくらいの知能はあってもおかしくないな」

 ずっと黙って聞いていたアープが、口を開いた。「恐らく、群れの長老は、数百年単位で生きているぞ。本で読んだ」

 ……多分、『幻獣事典』にでも、書いてあったに違いない。アープのお気に入りらしく、図書館で何度か借りたのを知っている。

「数百年?」

 ちょっと驚いたダニールさん。「それは凄いですね」

 ……まさか、目の前にいるアープが千年生きているとは思うまい。

「確かに、あの狼たちは頭がいいと思います。どんな方向から森の奥に向かっても、必ず私を見つけて、進路に回り込んで邪魔をしてきます。行動に統制がとれていて、威嚇のために唸ったり吠えたりはしますが、必要以上に襲いかかってくることはありません。

 ……正直、どうやったら狼たちを出し抜けるのかと、頭が痛いですよ」

 そう言って、ダニールさんはため息をついた。


 しかし、私としては、漠然とだけれど策がないわけでもなかった。

 アープの背に乗ってデレの村へと飛んでくる際に、空から、村を抱くように広がる森も目にしている。人間の足で歩き回るのは大変だが、竜の翼ならば大した範囲ではない。

 午後からもう一回アープに乗って森の上を飛び、デレ周辺の大雑把な地図を描いて、夜にダニールさんに見せた(「どうやってこんなもの手に入れたんですか」と驚かれたが、そこは適当にごまかす)。銀の狼がダニールさんを追い返した地点を記入して貰い、〈林檎の城〉があると思われる範囲をある程度絞ると、森全体の半分くらいの面積にはなった。

 平屋だという話だから、上空から見て〈林檎の城〉を発見できるかは疑問だけれど。少なくとも、空からならば、狼に邪魔されることもなくその範囲内に降りられるだろう。

 ただ、気になる点は、他にあった。

「アーリィ。人間の平均寿命は、何年だ」

 不意のアープの質問に、私は驚く。アープがそれに気付いているとは、思わなかった。ダニールさんが近くにいないことを確認してから、小声で答える。

「……ダニールさんが、もうすぐ六十歳。男の人なら、もう長生きの部類に入るわ。女の人だと、もう少し寿命が長いかも」

「それってつまり」

 フィオリスにも、その問いの意味が解ったようだ。「じょおうさまが、もうしんでしまっているかも、ってことですか?」

「生きているかもしれないし、そうでないかもしれない。とにかく、私たちにできることは、〈林檎の城〉を探して、手紙を届けることだけよ」


 村に宿屋がなかったので、その晩は三人で、ダニールさんの家に泊まらせて貰う。そして翌日、ユールカ・メリエさん宛の手紙を託された私たちは、村から少し離れたところから、デレの森の上空へと飛び立った。フィオリスも一緒だ。〈林檎の城〉を見つけるには、目は四つよりも六つあったほうがいい。

 ダニールさんが範囲を絞ってくれた地図を見ながら、森の上をできるだけ低速飛行する。ところで、一つ誤算。

「ねぇアープ、もうちょっとゆっくり飛べない?」

「墜落したいのか」

 アープ、空中停止はできるんだけど、いざ飛ぶとなると低速といってもスピードが速く、私の動体視力では森の中を確認するのに限界が……。

「アーリィさん、あそこ!」

 フィオリスが一点を指差した。「いっしゅん、なにか、みえました」

 ……案外、フィオリスは目が良かったらしい。場所は、地図のほぼ真ん中付近だ。

 とにかく、このままでは埒が明かない。フィオリスが何か見た場所の近くで、アープが着陸できそうな場所を見つけて、降りてみることにした。後は、徒歩だな。

 だが、着陸するが早いか、周囲の森の様子を見渡したアープが、鋭く言った。

「銀狼が近づいてくるぞ」

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