5 イルファンナ

 私、アープ、ハズリーさんの隠れた戸の向こう側を、ばたばたばたと複数の足音が駆け抜けていった。引き返してくる気配がないのを確認して、ほっと胸をなでおろす。

「全く、危なっかしいことやってたな、あんたら」

 私たちを匿ってくれた人が、呆れたような声で言った。

「よそもんだからこの国の状況知らねえのかもしんないけど、サディカ人に目をつけられても仕方ねえぜ、全く」

「……知ってるんですか? 私たちがやってたこと」

「ランスリング王国、それも前王朝時代のことを知りたがってたってな」

 歳の頃は四十前後、職人風のその男性はあっさりと答えた。「噂になってたぜ。サディカ人の耳には、そこまで正確に伝わってないんだろうが」

 ――まあ、アープとハズリーさん連れて歩いてた時点で、何もしなくても噂にはなるような気はする。かなり状況認識が甘かったようだ。

「有難うございました……あ、私はアーリィ・フェイといいます。で、こっちが連れのアープと、ハズリードットさん」

 ハズリーさんが軽く会釈する。私と彼とは西方語で話をしていたが、文字の読めないハズリーさんも会話は東方語・西方語ともにわかるらしい。

「俺はオットー・ザネルってもんだ。しかし……何でまた、前王朝のことなんか調べてたんだ、あんたら」

「前王朝が主目的なわけじゃないんですが……他に手がかりがなかったというか……」

 少し迷ったが、話してしまうことにした。ほとんどの街の人には警戒されていろいろ訊くことができなかったのだ。この人からなら、もっと多くの情報を得られるかもしれないと思う。

「人を捜しているんです。その人が、前王朝に関係しているかもしれなくて。

 ――あの、かつてのランスリングの名家とかで、ストウって一族はありませんか?」

 その言葉に、オットーさんははっと息を呑んだ。心当たりがあるらしい。

「手紙を預かっているんです。イルファンナ・ストウという人宛に。何か知っているんですね、教えていただけませんか?」

「手紙って、誰から……」

「名前は知りません。ただ、手紙には〈箱庭の王〉、と」

「――ビンゴ、か」

 オットーさんは呟いた。「あんたらがギシュ王朝を調べてるって噂を聞いて、こっちもあんたらを捜してた。何か知ってるんじゃないかと思ってな」

「じゃ……!」

「半分当たりで、半分外れだ。イリーは確かにギシュ家に関係があったが、本人は貴族でも何でもねえ。ギシュ家で働いていた召使だよ」

「イリー?」

「今の名前は、イルファンナ・ザネル。俺のかみさんだ」


「――そう、それでは、カルロッド様は亡くなられたのですね」

 エンシャンの外れの小さな家の中で、その女性は言った。かみしめるように。

「……カルロッドさん、というんですね。この、手紙と指輪の持ち主は」

「ええ」

 かつてはとても美しかっただろうと思える、しかし今は疲れの滲み出た表情を浮かべたイルファンナ・ザネル夫人は、静かにうなずいた。歳は三十歳くらいなのだろうが、かなりやつれて見える。

「十八代目カルロッド・ギシュ。ギシュ家は数百年前に王位をヒリアム家に譲りましたが、王国滅亡までは名門貴族の一つでした。カルロッド様はその跡取りです」

 それから、イルファンナさんは儚げにふっ、と笑った。

「……私は、かつて、カルロッド様の想われ者でしたの。カルロッド様のお父上は、決して認めてはくださいませんでしたけれど。当然ですわね、私はただの召使で、あの方は世が世ならばこの国の王だったかもしれない方ですもの」

 異国の果てで骸と化した王族の末裔と、その人にかつて愛されていた女性。なんと言葉を返していいかわからず、私は黙って話を聞くしかなかった。

「母さん、ただいま! ……あれ?」

 甲高い声に振り向くと、半分開いた戸の陰から十歳くらいの男の子が顔を出していた。

「お帰りなさい、エスデン。今ちょっとお客様だから、お父さんのところへ行っていてもらえる? 鍛冶場にいるから」

「はぁい」

 そう言うと男の子は、ぱたぱたと走っていった。

「……お子さん、ですか」

「ええ」

 微笑んだその顔は、母の顔だ。愛おしそうな目で、我が子の後ろ姿を見送っている。

「……その、何でカルロッドさんは、ランスリングを離れたんですか。あんな遠くまで」

 たった一人で、と言いかけて、私は言葉を呑みこむ。イルファンナさんが答える。

「最初は、お父上のご命令でしたわ。サディカに攻められ、ランスリングが敵の手に堕ちる前です。どこか、援軍を出してくれる国を見つけだしてくるようにと。……そんな国は、一つもなかったのですけれど。ランスリングは負け、カルロッド様のお父上は戦死され、国王陛下もサディカに捕らえられて処刑されてしまった。ランスリングは滅びた」

 遠い目をして、イルファンナさんは語り続けた。

「ギシュ家の方々は、人一倍ランスリングを愛するお気持ちを持っておいででした。ヒリアム朝の初代の王に王位を禅譲されたのも、サディカの侵攻からこの国を守るためだったそうですもの。占領されてしまったあとでも、カルロッド様は諦めきれなかったのでしょうね。救いの手を差し伸べてくれる〝竜〟を、きっと最期まで捜し続けていた……」

「〝竜〟!?」

 驚いて聞き返した私に、彼女は微笑して言う。

「たとえ話ですわ。ギシュ家は、竜を崇めていましたから。指輪の紋章をご覧になったでしょう? ランスリングの危機の際には、必ず竜が助けに来てくれると信じていたのです」

 そのカルロッドさんが最期に手紙と指輪を託した相手は、〈竜人〉のハズリーさんだった。彼は、求めていた〝竜〟に会えたのだろうか?

 沈黙していた私たちに、イルファンナさんは座っていた椅子からゆっくりと立ち上がると、尋ねた。

「――よろしかったら、ご案内して差し上げましょうか?

 カルロッド様の、〈箱庭〉を」

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