6 〈箱庭の王〉

「ここは、ギシュ家の遠い先祖の、陵墓なのですわ」

 エンシャン市の外に出て少し行った、山の中だった。山腹に、茂った草の中に隠れるように、洞窟が口を開けていた。

「この場所を知っているのはギシュ一族だけ。私は、カルロッド様がこの国を離れる直前に教えていただきましたが……ですから、今となっては私だけでしょう、知っているのは」

 洞窟の前まで来ると、イルファンナさんはマッチを擦って、ランプを灯した。明かりの届かない黒々とした闇が、穴の奥へと広がっている。

「足元が悪いので、気をつけてくださいね」

 そう言うイルファンナさんに続いて、私とアープとハズリーさんは洞窟の中へと入っていく。

「陵墓が、〈箱庭〉なんですか?」

 私の問いに、歩きながらイルファンナさんは答えた。

「カルロッド様は、そう呼んでいらっしゃいました。玄室に、素晴らしい壁画が描かれているんですの。その絵に描かれた世界のことを指していらしたんだと思います。ギシュ家は王位を手放した、けれども〈箱庭の王〉ではあり続ける、と」

「その言葉……〈箱庭の王〉って、オットーさんも知っていましたね」

「彼も、ギシュ家に仕えていた者です。カルロッド様からも信頼されていましたわ」

 ここです、とイルファンナさんが立ち止まったところは、天井が高くホールのようになっていた。壁面に音が反響する。部屋の中央に、石棺らしい四角いものが二、三あるのがうっすらと見える。

 壁の前にランプをかざすと、赤や緑や黒や白や、かすれかけてはいるが何色もの色彩が私たちの眼前に現れた。

「ランスリングの地に伝わる伝説を、描いたものです」

 その壁画に、私は息を呑んだ。

 空を埋め尽くす、翼持つ生き物。

 大地には、大勢の人間。めいめい、手には武器らしきものを掲げている。

 人と、竜との、戦の光景だった。

「遥かなる昔、ランスリングの地で、人と竜との壮絶な戦が繰り広げられたそうです。天が赤く染まるほど。大地が裂けるほど。長の年月、戦は続きました。多くの人や竜が犠牲となっても、まだ戦は終わりませんでした。戦に関係のない者も、多くが死にました。

 ……けれども、そこに。戦をやめさせようとする者が、現れたそうです」

 語りながら、イルファンナさんが一歩進む。ランプの明かりが、違う絵を照らし出す。

「巨大な竜です」

 そこには、黒い翼をいっぱいに広げた、雄大な竜の姿が描かれていた。

 二つの赤い目が、まっすぐにこちらを見つめている。

「その竜は、自らも傷つき血を流しながら、人と竜とを引き離しました。双方が滅びてしまう事態だけは、何とか逃れることができました。戦っていた竜たちはどこか遠くへ去り、巨大な竜も東へと帰っていきました。生き残った人間たちは、この地に国を築きました。自分たちを救ってくれた竜に、強く感謝して」

 戦が終わった後の世界。空は青く、作物が実り、人々が忙しそうに立ち働く。さんさんと降り注ぐ日射しまでが、目の前に見えるようだ。

「カルロッド様は、巨大な竜に救われたこの国を、よその人間の手に渡したくなかったのですわ。最期まで、ランスリング王国の復興を諦めていなかった。もし自分が死んだら、次の〈箱庭の王〉にそれを託すつもりだったのでしょう。だから、国を出る前に私にこの壁画を見せて、もし生まれたのが男の子だったらカルロッドの名を継がせてくれ、と」

「え、じゃあ……!!」

「エスデンはカルロッド様の子ですわ。オットーとは仮の夫婦です、サディカの目をくらますための。エスデンの命を守るための。オットーは全てを知っていて、協力してくれているのです」

「エスデン……」

「カルロッドとは名づけませんでした。だってそうでしょう? この、サディカに支配された地でその名をつければ、捕まえてくれと言っているようなものです。私は正式にはカルロッド様の妻でも何でもなかったから、エスデンが実はギシュ王朝の血を引く者であることを誰も気づいていませんが……エスデン自身にも、教えるつもりはないんです」

 イルファンナさんは、ランプを持っていないほうの手で、カルロッドさんからの手紙と指輪をぎゅっと握りしめた。

「この指輪はギシュ家の当主の物、国を離れる時にお父上から受け継いだ物。あの方は死ぬまで〈箱庭の王〉であり、死んでからもエスデンにそれを継がせようとなさった……最期まで、わかってくださらなかったのですわ。

 私は、ランスリング王国のことよりも、ただのカルロッド様とエスデンに生きていてほしいのに。そばにいてほしかったのに……」

 一瞬、悲痛な響きを帯びた声はすぐに、全てを諦めたような、妙に穏やかな調子へと変わった。

「……十二年間、待ち続けて、くたびれました。エスデンも、オットーのことを父親だと信じています。私も、本当の夫婦になってもいいかもしれない、と思うようになりました。

 あの方の死の報せを受け取った今、迷いがなくなったと言ったら、私はとても冷たい女でしょうか?」


「……人間とは、不思議な生き物だな。どうにも掴みどころがない」

 イルファンナさんのもとを辞去し、エンシャン市の外の山の中を歩きながら、ハズリーさんが呟く。

「『中に入ってみなければ、誠の姿は見えぬ』。かつてお前が言っていたのは真実だな、アープフォルド」

「え? アープが言ったんですか、それ」

 驚く私に、ハズリーさんは微笑して言う。

「ああ。だから、アープフォルドはアーリィのそばにいるのであろう? なかなか興味深い観察対象だからな」

「観察たいしょ……」

 どう反応していいかわからず、言葉を失う。そんな私を無視して、アープは言った。

「ハズリードット。お前の今後の予定は」

「また一人で徘徊する。『中に入ってみなければ』、だからな。だがその前に、カルロッド・ギシュとやらの墓に詣でるか。手紙は確かに渡したと、知らせてやらねばな」

「――あ、じゃあ、私も一緒にお参りさせてください。いいでしょ、アープ?」

「嫌だと言っても無駄だろう、お前には」

「ひっどぉい、何よその言い草は!」

 その様子を見て、ハズリーさんがフッと笑った。

「なかなかに、面白そうだな。何者かがそばにいるというのは」



第三話 終

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