4 竜の紋章
そして私たちは西方地域――サディカ王国内、旧ランスリング領へとやってきた。
「なぜ自力で飛ばんのだ?」
「服の着脱が面倒臭い」
「それは俺も一緒だが」
「お前の服のほうが簡単だろう」
「人間形態だろうと〈竜人〉を乗せるのは重いぞ」
「人間社会では、女に重量の話をしてはいかんのだ。知らんのか」
……この二人の会話って、聞いているだけで疲れるなあ。
とにかく、この地へ来たのは私とアープ、ハズリーさんの三人である。旧ランスリング領と一口に言っても国一つ分の広さはあるわけだけど、とりあえず旧王都のエンシャンという街に来てみたのだった。
十二年前に支配者が替わったこの地は、戦の爪跡を感じさせぬ程度には街も復興し、一見平穏だ。今は他国との交易に力を入れているとかで、私たち以外にも外国人らしい姿が結構見受けられる。しかし、どことなく空気がぴりぴりしている気がするのは、そこかしこに見えるサディカ兵の姿のせいなのかもしれない。
「ずいぶんと由緒の正しそうな指輪だし、その〈箱庭の王〉って人はいい家柄の人なんじゃないかな。これを贈られた、イルファンナ・ストウという女性も」
クーヴェルタの図書館で指輪を見ながら、ブラントさんはそう言っていた。
王族や貴族なら、きっと都に住んでいたに違いない。ストウという家を探すか、指輪の紋章から〈箱庭の王〉の素性を突き止めてイルファンナなる女性へと辿っていくか、手段として考えられるのはそんなものだろう。ただ、ブラントさんはさらにこうも言った。
「問題は……ランスリング王国の旧支配階級は、今じゃどうなってるかわからないってことだね。手がかりもごっそり失われてるだろうし」
ここに来て、ブラントさんの言葉の意味が、実感としてわかる。
エンシャン内の歴史のありそうな立派な建物、かつて王宮や貴族の居館だったであろうところはほぼ全て、今ではサディカ王国の色で塗り替えられている。代官の館、軍の詰所、裁判所やさまざまな役所……。
歴史資料館がある、という話を聞いたので行ってみたのだが、そこもほとんど戦勝記念館のような代物だった。もともと、サディカ王国とランスリング王国との間では領土争いが絶えなかったらしい。サディカに処刑されたリフェルド五世の前の王朝がこの地を治めていた時代から、何度となく戦が行われていたようだ。その歴史を、サディカ側を美化する描き方で綴っている。――ランスリング自体の歴史は、失われたに等しい。
「参ったなあ……」
資料館を出て、街を歩きながら、私はぼやいた。「本当に手がかりなしよ、これじゃあ」
「だからと言って、諦めるわけではないだろう。お前のことだからな」
「もちろんよ」アープの言葉に、即座に応じる。
「絶対に見つけ出してみせるわよ、イルファンナって人を。ただ、どうしたらいいのかがわかんないのよねえ……」
「相変わらず無計画な奴だ」
「悪かったわね!」
その会話を聞いていたハズリーさんの口から、フッと笑いがこぼれる。あちゃ、笑われた、と思って、何となくばつが悪くなった。
異国の者だから、というのもあるのだろうが、エンシャン市内でもアープとハズリーさんはやっぱり目立っていた。ハズリーさんのどこか超然とした雰囲気もあって、さっき入った資料館では「外国の貴婦人か」と尋ねられたくらいである。エスコート役がアープ、そして私はお付きの者程度にしか見られてないんだろうなあ、と少し落ち込んでしまった。
誰がどう見たって、アープとハズリーさんのほうが、きっと。
それに、外見だけじゃなくて、彼女とアープとは同じ種族なのだ。千年以上も時を重ねてきた〈竜人〉たちからすれば、私なんて、たかだか十八年しか生きてなくて考えも浅い、人間の小娘なんじゃないの? ふう、と小さくため息をつく。
「どうした?」
不意にアープが問いかけてくる。いつもと同じ淡々とした声だったけれども、心配されたような気がして、一瞬胸が詰まった。
「な、何でもないわよ」
ごまかすように、ぶっきらぼうに言い返す。
「アープフォルド。アーリィ」
突然ハズリーさんに名を呼ばれ、私は驚いて立ち止まった。「は、はい?」
「あれを見ろ」
ハズリーさんが右手をまっすぐに伸ばし、ある一点を指さしている。
それは、街の中心にそびえたつ時計塔。この街に着いてすぐからその姿は目にしていたのだが、いつの間にかかなり近くまで歩いてきていたらしい。サディカの国旗が掲げられてはいるが、旧ランスリング王宮よりもさらに古そうな造りだ。時計を護るように、翼の生えた、長い首と尾を持つ動物の彫刻が、塔に絡みついている。
はっとして、私は例の指輪を取り出した。〈箱庭の王〉が、ハズリーさんに託した指輪。それに、描かれているのは。
「――竜。この紋章、竜だったんだ」
それから私たちは、時計塔と、竜について街の人に聞いて回った。ただ、街の人たちは総じてランスリング王国時代のことについて口が重く、なかなか話してくれなかったが、幾つかのことはわかった。
時計塔は、ランスリング王国の中でも前王朝の頃の建物なのだそうだ。そして竜は、その王家の紋章だったらしい。リフェルド王朝を示すものはサディカも相当払拭して回ったようだが、時計塔に堂々と刻まれた前王朝の名残は見逃してしまったのかもしれなかった。
「――お前達」
呼び止められて振り返ると、そこには数人のサディカ兵の姿があった。
「怪しい奴らめ。ちょっと詰所まで来てもらおう」
(――うわ、まずい!)
あまり意識していなかったのだが、今のこの地でランスリング王国時代のことを聞いて回るというのは、かなりの危険行為だったに違いない。しかも一緒にいるのがアープとハズリーさん。目立ちまくっていたのは確実だ。
「とりあえず逃げるわよ!!」
アープとハズリーさんならたとえ捕まったところで牢くらい軽く壊せるとは思うのだが、それだと事態が大きくなってしまう。捕まらないほうがきっと得策だ。
エンシャンのごみごみした市街に、私たちは駆け込んだ。しかし、逃げるといってもどこに逃げていいかわからない。後ろからサディカ兵が追ってくる足音がする。
「こっちだ!」
不意に横から現れた手が、私をどこかの戸の中へと引き込んだ。
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