2 託された手紙

 とりあえずアープにアルバイトは早退させて、急いで私たちは店に帰ってきた。もちろん、ハズリードットなる女性も一緒である。彼女とフィオリスを店側に残し、アープの手を引っ張って居住部分へと引きずり込む。

「ちょっと! 誰よアープあの人!」

「ハズリードットだ」

「名前じゃなくて! どういう知り合い!? どうしてここに!?」

 完璧に私は動揺していた。突然現れた、〈竜人〉の女性。それも、あんな美人。いや、人間形態の美醜の感覚は二人とも変かもしれないけれど。

 考えてみたら、アープ以外に〈竜人〉がいたって、何もおかしくはないのだ。でも今まで、その可能性を想像してみたことがなかった。

「あいつがここに来た理由など、俺が知るはずはない。あいつに訊け」

 アープは何事もなかったかのように言う。

「じゃあアープ! アープフォルドって何よ!」

「俺の名だ」

「私はずっと、ただのアープだと思ってたわよ!?」

 アープと同じ種族。私よりも、アープに近いかもしれない、存在。

 そんな、私の不安など気づいてもいないのだろう、アープはいつもと同じ調子だ。

「ノートンには最初にアープフォルドと名乗ったぞ」

 ノートン、というのは私の亡くなった祖父のことである。「しかし奴は面倒臭がって、アープとしか呼ばなかった」

「あだ名はあだ名として、本名くらい教えてくれてもいいじゃないの!」

「訊かれなかったが」

「あるって知らなかったんだから、訊かなくて当然でしょ!!」

 叫びすぎて、だんだん疲れてきた。……アープがこういう奴だってのはわかっているつもりだったが、死ぬまで何も言わなかったおじいちゃんもおじいちゃんだ。全く。

 アープと話していても埒があかない。今度は彼女にここに来た理由を訊こうと思って店に戻ると、

「それじゃあ、〝ハズリーさん〟ってよんでいいですか?」

「ああ、それは構わない。

 以前〝はずりん〟などと呼んだ人間の男がいたときは、蹴りを喰らわしてやったがな。人間形態でいると、そういう馬鹿者によく出くわすのだ」

 二人が談笑していた。

「…………」

 何か、どっと疲れが出た。人間形態とはいえ〈竜人〉に蹴られたら、きっとその人、全治一ヶ月くらいの怪我は負ったんじゃないだろうか。

 ふう、とため息をついて、それから声をかける。

「……フィオリス、それに、ハズリーさん? 中でお茶でも飲みましょ。話はそれから」


 お茶を飲みながらハズリーさんが話してくれたところによると、彼女は最近、人間形態でナビオン地方一帯を旅していたのだという。もっとも、彼女の言う〝最近〟が一体どれくらいの期間を指すのかは知らないが。何しろ彼女は、千年生きてるアープよりも歳上だというのだから。

「このところ、『イネヴィア山脈に金の瞳の黒竜がいる』という噂があってな。久々に顔でも見てやろうと思って行ってみたのだが、いなかった。

 その後ルヘンナを徘徊していたら、今度はラプラスという街の〈アーリィ&アープ〉なる郵便配達屋の話を聞いたのだ」

 どうやら、ブラントさんの事件のときにイネヴィア山脈で脅して追っ払った連中から、噂が流れているらしい。彼女がここに来た経緯はそれでわかったのだが、

「しかし、本当に久しいなアープフォルド。もう百年ほどになるか」

「そんなことはない。まだせいぜい五十年だ」

 ……こいつらの時間感覚って、やっぱり間違ってる。

「ところで、アープフォルドはここで何をしているのだ」

 ハズリーさんの問いに、思わず私がどきっとしてしまった。

「ウェイターだ。それと読書」

 ――違うって。ハズリーさんが訊いているのは絶対そーゆー意味じゃない。

 即座にそう突っ込みたくなったが、

「そうか。お前は人間の字が読めるのか」

 ハズリーさんは感心した。……いいんですか、その返事で?

「ならば、これを読んでくれないか」

 そう言って彼女が取り出したのは、封のされた一通の手紙だった。大分しわくちゃになっていて――血らしい、赤茶けた染みもある。

「ハズリーさん……どうしたんです、これ?」

 私がたずねると、ふっとハズリーさんは遠い目をして、語り始めた。

「イネヴィアからここに来る途中で、死にかけた男に会ったのだ。人間は、人間を襲って、相手の所有物を皆奪うのだな。その男も、全身血塗れで、道端に倒れていた」

「……珍しいことではない。人間同士が殺しあうのはな」

 アープの言葉に、胸がずきんとする。そうか、アープは昔おじいちゃんと一緒に、戦場に出ていたんだっけ。私はその頃のこと、何も知らないけれど。

「その男に、頼まれたのだ。この手紙を、この指輪とともにイルファンナなる女性に届けてくれとな。しかし、話ができたのはそこまでだった」

 そう言って手のひらに載せた指輪も、血で汚れている。小さくてよくわからないが、何か翼の生えた動物のような紋章の描かれた、古い指輪。

「表に何か書かれているな」

 アープが封筒を手にとった。「ランスリング――イルファンナ・ストウ。恐らくランスリングというのが地名だな」

 ランスリング。知らない土地だ。

「アープさん、うらにもなにかあります」

 下から見ていたフィオリスに言われて、アープは手紙を裏返す。「これは、西方語か」

「何て書いてあるの、アープ?」

 そこに記されていたのは、不思議な言葉だった。

「庭――〈箱庭の王〉。そう、書かれている」

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