5 イネヴィアの麓で

 山から吹き降ろす風は、冷たく激しい。

 時折、風に白いものが混じる中で、複数の男たちが何事か言い争っていた。

「おい、ドース。こんな奴、いつまで連れ歩くんだよ?」

「食糧だって、そんなに余裕があるわけじゃねぇんだぞ。これからこの山を登んなきゃいけないってときに、こんなのただの無駄飯喰らいだぜ」

「わーってるよ、それくらい。でも、仕方ねぇだろ」

 ドースと呼ばれた男はうんざりした顔で、一人離れたところにいる男を指さす。

「こいつが、どうしても〝とにかく上〟以上のことを言わねぇんだ。そんなんで、どーやって〈竜の宝石箱〉見つけ出すんだよ?」

「だから今ここで聞き出そうって言ってんじゃねぇか」

「――教えないよ?」

 離れたところにいた男がそう言って、薄笑いを浮かべた。その顔には殴られた跡があり、両手は固く縄で縛られている。

「何だと?」男たちが殺気立って振り向いたが、

「言ったが最後、あんたら俺を殺すだろ? いくら俺にだって、それくらいの見当はつくさ。だったら、せめて〈竜の宝石箱〉を拝んでから死にたいもんなぁ」

 他人事のように、軽く言う。

 この男――ブラント・レックをキルシュ近郊で捕らえたのち、ドースを中心とする五人の宝探しの男たちは何度も、〈竜の宝石箱〉のありかを吐かせようとした。が、ブラントが頑として口を割らない。「あの丘の向こう」だの「この川の少し上流」だの当面の目的地だけは言うのだが、それより先のことは目的地に着くまで絶対に喋らないのだ。

 となると、その目的地までブラントを連れて行かざるを得ない。捕まえた最初のときは痛めつけすぎたため本人が自力で歩けなくなり、男たちが交代で彼を運ぶ羽目になった。よけいな労力がかかってしまったのでそれ以降、殴るのも手加減するようになっている。

 自力で歩かせるためには、食事もそれなりに食べさせる必要がある。量をケチるとブラントの体力が落ち、歩く速度が遅くなるのである。それでは先に進めない。キルシュの宿屋では無防備に「赤い目の竜の死んだ場所がわかるかも」と話していたブラントが、こうまで手がかかるとは正直彼らも思っていなかった。これではひたすら厄介な荷物である。

「……もう我慢できねぇ! こいつ、最初からずっと俺たちを馬鹿にしてやがるんだ!」

 男たちの一人が殴りかかろうとしたが、仲間に後ろから羽交い絞めにされた。

「やめろイーゴル。吐かせずに殺しちまっちゃ元も子もねぇぞ」

「そうそう」

 ブラントは涼しい顔で言う。「〝とにかく上〟だよ、上。〈竜の宝石箱〉が見たいんならね」

 だが、その手は固く握り締められている。そこに到達したとき、自分の命が終わるのも、わかっているから。

 でも、だからこそ、せめて見ておきたかった。赤い目の竜が、大切にしていたという宝石を。それはきっと、この上なく美しいものであるに違いない。

「……畜生! 財宝を見つけたら、そのときは覚えてやがれ!!」

 イーゴルと呼ばれた男が悪態をついて、振り上げた拳を下ろした、その時だった。

 ――雪まじりでもともと薄暗かった空が、不意に真っ暗になった。みな、思わず空を見上げる。

 いや、空が暗くなったのではない。彼らの上に何か大きなものが浮かび、その影を地上に落としていたのである。全身真っ黒で、大きな翼と長い尾を持ち、イネヴィアの白い空に悠然と舞うそれは――

「りゅ、竜……」誰かが、かすれる声で呟いた。

『愚かな連中だ』

 竜が、金色に光る目で男たちを見据え、静かに言う。『そんなに、宝がほしいか――』

「ひっ……」

 イーゴルが悲鳴をあげる。「ほ、本当に、死後も護って……ひぃぃっ!!」

「うわぁぁぁっ!!」恐慌に陥った男たちが、一斉に駆け出した。訳のわからないことを喚きながら、ちりぢりに逃げていく。

 だが、ブラントだけはその場に残っていた。

「違う……赤い目じゃない。だけど、本物の竜に会えるなんて……」

『お前は、逃げないのか』

「逃げてどうする? せっかくここまで来たのにさ」

 悟ったような笑みを浮かべて言う。

「自由の身になったって、こんなところに一人で放り出されたら遅かれ早かれ飢え死にするさ。食糧は連中が背負ったまんま逃げちゃったし。どうせ死ぬなら、竜だって怖くはないよ。だから。

 ――頼む。俺をイネヴィア山脈へ、もっと高いところへ連れて行ってくれないか?」

 それを聞くと、竜は少し考えたあと、奇妙なことを言った。

「――だ、そうだが。どうする?」


 ……どーしよう。

 アープの背中で、私は頭を抱える。ブラントさん見つけたあとのことを、全く考えてなかった。

 イネヴィア山脈の麓で言い争っている宝探し連中を見つけて、アープが脅して追い払ったまではよかったんだけど……確かにこのまま置いてっちゃ、ブラントさん本当に死んでしまう。

 私と一緒に、アープに乗って街の近くまで戻ればいいんだけど……そうするとアープの正体がバレてしまうわけで……あああああっ。

 ――とはいえ、ブラントさんを見殺しにするわけにはいかない。諦めて、私は言った。

「……とりあえず、降ろして」

 アープが地面に舞い降り、背中から滑り降りた私を見て、ブラントさんが目を丸くした。

「え……アーリィ、ちゃん?」

「はい、そうです。ラプラスの、〈郵便配達アーリィ&アープ〉です。

 ロドニー先生から、ブラントさん宛のお手紙を、届けに来ました」

 しばらく唖然としていたブラントさんだったが、やがて、お腹を抱えて笑い出した。

「な、なるほど! 道理で配達が早いわけだ! ロドニーから君らの話を聞いてて、不思議だなぁとはずっと思ってたんだよ!

 てことは、その竜が、アープ君なんだね? 〈竜人〉か。本当にいたんだ!!」

 さすがブラントさん、博識だ。〈竜人〉を知っている――なんて、感心している場合ではない。

「あ、あのぅ、ブラントさん」

「わかってる。誰にも言わないよ! 君らは命の恩人なんだからね。いやあ、それにしても……」

 ひとしきり笑い転げたあと、涙をぬぐって、ブラントさんは言った。

「――さっきの頼み、聞いてもらえないかな。

 〈竜の宝石箱〉が、見たいんだ。それだけなんだよ」

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