6 赤い目
「ブラントさん、本当に赤い目の竜の死んだ場所、わかるんですか?」
イネヴィアの、高いところまで連れて行ってくれと頼まれたものの、そのすぐ後から雪が本格的になってしまった。日没が近かったこともあって、今夜はとりあえず休んで、明日、ということになった。
次の日の早朝。一面雪野原ではあったけれど、降りはやんでいた。まだ太陽は姿を見せていない。闇にかすかに青みがにじんできた空に、漆黒のアープが舞い上がる。背に私とブラントさんの二人を乗せて。
「うーん、正直言って、正確な場所はね……このイネヴィア山脈の、どこかだとは思ってるんだけど」
……ブラントさんの答えは、甚だ頼りない。宝探し連中に〝とにかく上〟としか言わなかった、というのも、何だか無理もないような気がする。
が。
「でも、いいのさ。〈竜の宝石箱〉を見るためには、そこまで正確な場所は必要ないんだ。俺の考えが正しければね」
本人は妙に自信ありげなのだ。私はたずねてみた。
「どうして、イネヴィアなんです?」
「――この、イネヴィア山脈は、昔ルヘンナと呼ばれていた土地の範囲の、境界にある。高さもあるから、ここからはルヘンナの大半が一望できるはずなんだ」
空気が身を切るように冷たい。もうアープは相当の高さを昇っているのだろうけれど、まだ暗いので目の前の白い壁のような山肌しか見ることはできなかった。でも、少しずつ、少しずつ、東の空が青くなってくる。夜明けが、近づいてきている。
「アーリィちゃんは、ルヘンナの竜の詩を通しで聞いたことはあるかい?」
「一応は。でも、部分部分しか、印象に残ってませんけど」
「ま、みんなそうだよな。出だしのところとか、宝石のところとか、覚えてるのはそんなもんだ。でも、俺はちょっと疑問だった」
アープが降りられるような少し開けたところがあって、ブラントさんがそこでいいと言うので私たちは降り立った。大分、空が白んできている。振り返れば眼下には、まだ薄闇に沈んでいるけれど、ルヘンナの広大な大地。
「ずっとルヘンナの地に住んでいて、空と大地と、竜と人を愛していた赤い目の竜……その竜があるとき突然、姿を消した。長い、長い月日が過ぎた後、竜はルヘンナへと戻ってきた。その間、どこで何をしていたのかはわからない。けれども戻ってきた竜は、全身ボロボロに傷ついていた……もう、長くはないと自分でも感じていたんだろう。それで、竜は言い遺した。
我が
この
赤き
汝が光
そして、それを見護りながら、眠りについた……」
ゆっくりゆっくり、朝の中に浮かび上がってくる眼下の景色を見つめながら、ブラントさんは静かに続ける。
「その〝宝石〟を、みんな血眼になって探してるよな。でも、この部分より前に、ルヘンナの竜の詩の中で宝石について触れている個所は、一つもないんだ」
「……そうでしたっけ?」
「ああ。ま、竜は金銀財宝が大好きだって話は世間に多々あるけど、ルヘンナの竜に関しては宝石が好きだとか、貯めこんでるとか、そんなことは全く歌われていない。大体、あの竜の性格にも合わないしな。変だなと思ってて……最近、ふっと思いついたのさ。
竜は、自分にとって大切だったものを、〝宝石〟と表現しただけなんじゃないかって。それを、俺たち人間のほうが勝手に本物の宝石と思い込んだ――」
「え……じゃあ、〈竜の宝石箱〉ってのは……」
「ルヘンナの地に、赤き目の竜あり。
心穏やかなる竜にして、空を愛し、大地を愛し、竜を愛し、人を愛す。
――そう、竜が大切にしていたのは、この世界全体……」
そのとき、山の端から、太陽が姿を見せた。
「〝ルヘンナ〟だ――」
光が、満ちていく。幕が開けるように、一気に照らし出される世界。
どこまでも、どこまでも続く広大な大地。白銀の中、イネヴィアに端を発する無数の川の流れが、きらめく糸で世界を織り上げていく。
全てが、輝いていた。
「す……ごい、綺麗……」
息を呑む私の隣りで、ブラントさんも感嘆のため息をもらしていた。
「ああ……綺麗だろうとは思ってたけど、想像以上だ……」
今は白銀の冬景色だけれど、春になれば一面に緑が息吹き、秋には赤や黄色で鮮やかに彩られて、異なる輝きを放つのだろう。竜が命を終えるとき、そのどの光景を見つめていたのかはわからない。でもきっと、その全てを、竜は愛していたに違いない。
これが、〈竜の宝石箱〉――!
しばらくの間、言葉もなく見とれていた私たちだったが、
「……有難う。アーリィちゃん、アープ君」
ブラントさんが、礼を言った。「君らのおかげで助かったばかりじゃなく、こんな素晴らしいものまで見ることができた……」
「いいえ、そんな」
私は笑って答えた。
「こっちこそ、こんな素敵なものを見せてもらって、感謝してます。
でも……結局、赤い目の竜は、本当に死後も〝宝石〟を、護っているのかしら?」
「護っている」
不意に、それまで黙っていたアープが口を開いた。アープが見ているのは、西の空。まだ沈みきっていない夜の星が、最後の光を放っている。
「俺は、赤い目の竜が死んだ場所は知らん。が、その竜の名は知っている。
〝ルフェニール〟は、あそこにいる」
「ルフェニール!? まさか、それって」
弾かれたように、私もブラントさんも顔をあげた。西には、今にも沈みそうな大きな赤い星。
――そう、フィオリスが、空を指さして言っていた。
あの赤いのがルフェニール、と。
「そっか……あれが、竜の目だったんだ……」
赤い目の竜は本当に、今も、世界を見護っているのね。
そして、私たちの見ている前で赤く輝く星は地平線の彼方へと去り、ひとときの眠りについた。
第二話 終
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