5 涙の真実
窓の位置は、私の身長よりもだいぶ高かった。これでは、この部屋に住む少女は日の光と月の光が感じられるだけで、窓の外を見ることもできなかったろう。
塔の屋根の上で待っているアープにロープの一端を持たせておいて、私はそのロープで室内へと滑り降りた。少女は一瞬びくっとしたものの、やがておずおずと尋ねてきた。
「……あなた、空が飛べるの?」
「いや、私が飛べるわけじゃないんだけどね。私の相棒が飛べるというか」
私の相棒は竜なので、なんて言っていいものかと考えていると(普通の人は結構竜を怖がるのである)、少女はじっと私を見て不思議な表情を浮かべた。
微笑んだ、のかもしれない。けれども、唇の端を少しあげた表情からはやりきれなさ、淋しさのようなものばかりが伝わってきて、私まで胸がしめつけられるような気がした。
〈嘆きの姫君〉、フィオリス・ニール。こうしてそばで見ると、多分まだ十二、三歳くらいじゃないかと思う。こんな小さな子が、するような表情じゃない。していい表情じゃない。
「……いいな。私も、空を飛んでみたいな。ここには、街の偉い人しか来ないのよ」
後のほうの言葉に、私はひっかかった。
「街の偉い人って……涙水晶を取り仕切ってる? あいつらここへ来るの?」
私には、街の者でも会っちゃいかんとか言っておいて。
「ときどき。私が泣いているかどうか、見にくるのよ……でも、あなたは街の人とは違うんでしょ? だって、空を飛んでやってきたんだもの」
「ええ、違うわ……私はね、あなたに笑ってほしい人の依頼で、ここへ来たの」
そう言うと、カルル少年からの手紙を、取り出す。
「私の仕事は郵便配達。〈嘆きの姫君〉宛の手紙を、持ってきたのよ――」
「……手紙?」
「本来ならこのままあなたに渡すべきなのだけど、問題はこの手紙、東方語で書いてあるのよね。あなた、東方語読める?」
フィオリスは、悲しそうに首を横に振った。
「……じゃあ、もしあなたがよければこの手紙、私が読み上げてもいいかな?」
少女は一瞬はっと目を見開き、それからゆっくりとうなずいた。
この牢獄みたいな部屋には、灯りのひとつも置いていなかった。私は持参のロウソクに灯をともし、封を開けて中の手紙を取り出した。フィオリスに一度うなずいてみせて、読み始める。
お姫さまへ
ぼくの名前は、カルル・フレッツといいます。トルテの村とゆうところに住んでいます。家族は、お父さんと、お母さんと、おばあちゃんと、ぼくと、弟が二人です。ぼくの年は、十才です。
トルテの村には、楽しいことがいっぱいあります。お父さんは、魚つりが上手です。お父さんと、ぼくと、キースと、コリンと四人で、よく川へ魚つりにいきます。この前は、ぼくがいちばん大きい魚をつって、お父さんにほめられました。
お母さんは、ししゅうが上手です。でも、ぼくもキースもコリンもししゅうはできないので、お母さんはいつも、あとひとり女の子がいたらよかったねえ、と言っています。
今年は、ヤマブドウがいっぱいとれました。村のみんなで、ジャムをつくりました。みんなおいしいおいしいって言っています。お姫さまにも食べさせてあげたいです。
冬になると、みんなでスケートをしてあそびます。近くにみずうみがあって……
たどたどしいと言えば、たどたどしい文章だ。でもきっとカルルは、自分の身のまわりで起きた嬉しいこと、楽しいことをいっぱいいっぱい、この手紙に書いたのだろう。伝えようとしたのだろう。お姫さまに、笑ってもらうために。
読みながら、ロウソクに照らされた少女の顔をそっとのぞいた。
彼女は、一心にカルルの手紙に聞き入っていて、とてもやさしい目をしていた。そして、涙をいっぱいにためていた。その涙が、すっ、と玉になってこぼれ落ちた瞬間――
「えっ!?」
私は、手紙を読むのも忘れて大声を上げた。「こ、これって……涙水晶じゃないの!?」
床に落ちた涙が、小さく丸い結晶になって、ロウソクの光を薄く反射して輝いている。それは、インシュダリアで見た涙水晶そのものだった。
「やはりな。そういうことか」
不意に声がして振り向くと、竜形態のアープが首だけ窓から中に突っ込んでいた。さすがにフィオリスが驚いたようだったが、それも構わず私は訊いた。
「やはりって何よ? わかってるんだったら説明してよ!」
「人魚の涙のようだと、言っただろう」
しれっとしてアープは答えた。「フィオリスといったか。お前、人魚の血をひいているだろう? ある種類の人魚は、涙が結晶化すると、以前読んだことがある」
「え?」慌てて振り返ると、フィオリスはこくんとうなずいた。
「母さまは、街に住んでたの。でも、父さまが亡くなったときに、涙が石になるって街の人にばれて……私はここで生まれたの。母さまは、ここで亡くなったの」
そう言うと、また涙がいく粒かこぼれて、光る玉になった。
「ちょ、ちょっと待ってよ。それじゃ、あの伝説は何なのよ。〈泪の湖〉は。〈嘆きの姫君〉の涙で、魔物から街を守ってるんじゃなかったの?」
「ただの水だと言ったろう」
やはりしれっとしてアープは言った。「そもそも、この周りの森には、そこまで危険な魔物はいない。隊商も、出会ったことはないと言っていたしな」
と、いうことは。
〈嘆きの姫君〉の伝説は、全くのでたらめということ? 何のために。
――涙水晶の、真相を隠すためだ。フィオリスの母親と、フィオリスをここに閉じ込めて、涙を流させるために。もっともらしい理由が必要だったということなの?
「……ア、アープ! そこまでわかってたんだったら、何でもっと早く説明してくれなかったのよ!」
「聞かれなかったが」
「そういう問題じゃなくてえ!」私は拳をぷるぷるとふるわせた。やっぱりこいつ何考えてるかわかんない!
「あの……伝説って?」
ふと見ると、フィオリスが物問いたげな目で私とアープを見比べていた。そうか、当然だけどフィオリス本人には、何も知らされてないんだ。とそこまで考えて、気づいた。あの伝説が、全くのでたらめだということは……。
「――ねえ、アープ?」
「やめろ、と言ってもきかないんだろう、どうせ」
「まだ何も言ってないじゃないの」
「お前の考えそうなことぐらいわかるぞ」
「言ってみなきゃわかんないじゃないの!」
私にアープの考えがわかんないのに、向こうにわかってたまるもんか。
「で、ひとつ提案があるんだけど……」
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