私サイドの話

 この時の私には 旦那様という存在がありながら

「彼氏」と呼んでも良いと 許可をもらっている方にも

2人いて頂いておりました。


 M君では ありません。M君だって この日

初めて 実物のM君と 会ったんですもの。

M君との関係は、後に 説明するとして。

 2人の 彼氏さんの事を、書きます。


 前回 第1話の話は、今・現在から見て 10年前の事です。

この小説は、当時の設定で 年齢や、状況を書いていく事にします。

 因みに 今から書く、2人の 彼氏さんとは、只今も 細々と

関係があります。いずれ どこかで、詳細に 書く日が

来ると思うので

         サクサクーっと


 おっと、その前に!!


 大事な 旦那様の事? 私の事を含めて、家庭内の事を 軽く。

旦那様は 1つ年上の方、この時は 単身赴任をして下さってて

月に2回程 帰ってこれてたか、どうか位。

 旦那様とは 仲間内でも、評判な 仲良し夫婦。私という人間を

認めてくれて、穏やかで 優しい方です。


 私は 旦那様に、甘えてさせてもらっていて。

時々 子供を預かってもらって、お出かけ(外泊も)

したりして、結構 自由にさせて頂けています。

 何となく 出かけた時に、男と会ってるんじゃないかと 

わかっておられる感じがするけど、どこで 何をしてたとか

特に 尋ねてこない。私も 話さない。

 言わない事が 暗黙ルールになっています。

 かと言って 旦那様自身が、浮気をしているのか…

というと、全く その気配はない。

 旦那様の事を 好きだし、旦那様が 私に呆れて「出てけー」

とでも言わない限り、私は 別れるとか思った事も無い。



 そして 2人の、彼氏さんの 話。


 1人は 東京に住んでいる方。この方も 私より 一つ年上。

知り合ったきっかけは チャットです。出会い系とかじゃなく 

極健全な ネット初期の頃の、チャットのサイト。

 色々な 考え方が似ていて、本音の どんな事を言っても

受け入れてくれる 今も、心の支えになってくれている。

 東京へは おいそれと行ける所ではなかったので

3・4ヶ月に1回程度 私が行ったり、こっちに来てくれたり。

ほぼ毎日 電話をして、心の安寧を 助けてくれている方です。

 この時点で 5年位の付き合い。


 もう一人は 地元の方。私の 4つ年下の方。

友達の紹介で、付き合う事になりました。地元の情報に 詳しい方で。

私達は 転居してきたから、色々と 教えてもらえて、ありがたかった。

 離婚されて 独りで暮らしておられたから、夜な夜な 抜け出して

彼の家へ 上り込んだりしていました。話も 楽しいし

良い人なんだけど、私てきには sexの相性が合わなくて。

この時点で 3年程 付き合っていましたが、地元でありながら

年に3・4回会うかな位? 用事があれば、電話で という感じ。


 こういう方々に 居て頂いていて

どちらとも カラダの関係がある相手。


 

 大阪のバルで 同席していた、イケメンの M君とは

ライブチャットで知り合った。お互いに ライブチャットという

サイトが 出来た頃から、出演者として 出る側をやってた。

 2年もしていると 出演者同士で、仲良くもなる メンバーが数人。

M君が 大阪へ行く予定があると言うので、それに合わせて

大阪で 集まれる面々で、オフ会をやろうって話になった。


 企画を提案したのは 私。

 大阪には 楽しく仲良くさせてもらってる、出演者の方が 

多数いたし。大阪へなら 行けない距離でもなかったので。

こういう事やってもいいかなぁ~っての ノリで。

 M君は 関東側の人だけど、大阪で 仕事があるから

というのもあって、じゃっ そうしようと!

声掛けしていって 7~9人が集まる事に。



ーーーーー


 計画が 本決まりになってから、2週間程経った 夏休み2日前。

前夜から 夜通し、ライブチャットに出いて。寝ないまま 

子供を 学校へは送り出した。

 午前中で 帰ってきてしまうから、少しでも 休みたかったけど

洗濯して、片付けをしていたら、もう帰ってきてしまい。

昼食を 食べさせると。

 友達が 誘いに来て、3人で 遊びに出かけて行った。


 『ッうわぁ~ やっと寝れるぅ』

と思って、パジャマに着替えかけると…


「ピンポーン」  と、ドアチャイムが鳴る。 ン? 



 服を 直しながら、インターホンに出ると

「 … … 」 ?

『はいィ?』

「 … … 〇〇君が ぁ … … 」


とても小さな声の 子供の声、聞き取りにくい。

『うちの 〇〇君?』

「 あぁ …はぃ」

『あぁ 〇〇君は、さっき □□君達と 出掛けたんだけどぉ』

「 ン… 〇〇君がぁ … … … 車と ……」

???

『〇〇君が 車?』

「車と 当たってぇ」


へっ?!

受話器を 戻して、服を整えながら 玄関へ。

出てみると さっき、誘いに 来てくれた

□□君 と △△君が、気弱そうに 立ってる。

『どうしたの?』

「〇〇君がぁ 車と当たってぇ」

『?! 〇〇君 事故ったの??』

「ン 車と当った」


えーーー!!

『えっ? どこ?』

「こっち…」


 そのまま 飛び出して、彼らは 自転車で

案内してくれ、現場へ。走るなんて もう10数年して無いし

日頃の 寝不足もたたってか、すぐ 息も絶え絶え、、、


 あー 救急車の音がする!


 現場に着くと 救急車と、1台 車が停まっており

今 まさに、担架で 子供が 乗せられ様としてる!


 ぁワワ…

駆け寄ると 気付いた〇〇君は

「お母さん…」 て 起き上がらろうとして隊員に止められる。

あぁ 意識はあるのね!見た感じ ひどい外傷は無い。

想像してたより、深刻な状態ではない事に 一先ず、安堵。


 隊員の方に 説明を聞いていると、傍へ 車の運転手らしき

私より 少し若そうな主婦の方が、申し訳なさそうに、寄ってくる。

 双方とも 「頭を打ってるかもしれないんで、病院に」と。

隊員の方から 一緒に、乗っていきますか?と 尋ねられたけど

妙に 冷静で、後で 帰る心配をして、自分の 車で、病院へ行きますと。


 先に 救急車で、子供を運んでもらい。その主婦と 

連絡先の交換をして。とにかく バッグだけ持って、病院へ。

 いざ 運転しようとした時、こんな精神状況で 運転して

あの主婦の 二の舞にならないか、ちょっと ハンドルを持つ手が

ガクガク 振るえた。

 けど!そんな事してる間にも 子供が どうにかなってしまっては!


 無事 病院に着いて。

子供は 救急外来に居ると聞いて、そっちへ。受付に 声を掛けて

しばらく経っても、何も言われないから 堪らず。

『どうなってるんですか!』と聞くと。レントゲンを 撮りに

放射線科の方へ行っていると。

 『そう言ってよ!』と 思いながら、放射線科へ 向かう。

丁度 子供が、ストレッチャーで 出てきたところ。

数人の医師や技師さんに 囲まれている。その中の1人

顔見知りのドクターが、私に 気付いてくれ

「〇〇さん」と 声をかけて下さった。が、明らかに 顔が曇る?

早く 子供の顔が見たいのに、ドクター2人が寄ってきて

説明をしかける。


 廊下で 一人にされてしまっている、子供が 気になって

説明も 聞けてるかどうか『とにかく 処置してやって!』と

思っていたら…

 子供が 急に、噴水状に ゲボゲボ吐き出した。

咄嗟に ドクターを割って、近寄り 顔を横に向けさせ

手で 吐物を、受け取った。

ドクターの呼びかけで 技師の人が、飛んで出てきて 

ティッシュで 拭き取ってもらった。

 『説明は 後で聞きますから、とにかく 処置して下さい!』と

ドクター2人に ストレッチャーを押してもらい、私は 顔を固定

しながら、『大丈夫やからね 大丈夫やからね』と、泣く子に

声をかけながら、移動した。


 頭頂部を打ったらしく 出血し始めていて、出血の具合に 

寄っては、オペをしなければならないかもしれないと。


 集中治療室に入れられ 出血がひどくなるからと

頭が動かせない状態。段々 顔が腫れてきて、苦しそう。

 10歳にも 満たない子に、動かすなと言う方が 無理で

私は 片時も離れる事が出来ず、ずっと 頭を抑え

ながら、『大丈夫 大丈夫』と 声をかけ続ける。


 そうしながら 私は、自分の事を 責めていた。

自分が 楽しいからと、夜遅くまで 起きていて

旦那様が 居ないのを良い事に、好きな事だけ 勤しんで。

家事だって しっかりやれてるとは言えない。

 子供に 対しても、ずっと 一緒に寝てやっていたのに

ここんとこ それも出来てない。子供は 何も言ってないけど

きっと 愛情不足に、感じていたに違いないと。

 これは 自分に課せられた、罰なんだと。『大丈夫 大丈夫』と

声掛けつつ、心の中では 『ごめんなさい ごめんなさい』と。


 何の 前触れもなく、噴水状に いきなり 吐き出すし。

吐いても 頭を動かせないので、全部 顔にかかってしまって。

首回りや 後頭部に、吐物が 溜まって。処理して なだめて

また吐いての 繰り返し。

 本来 集中理療室には、泊まり込む事は出来ないけれど

特別に 許しをもらって、ずっと 頭を支えたり

吐物の 処理をしたりして、2晩 寝ずの看病をした。


 その甲斐あってか 最初の出血以降、大きな出血も無く。

オペはしなくても良いと 判断され、小児科の 病棟へと

移れる事になった。

 ありがたかったー。子供も わりと、言う事をきいてくれて 

動かしてはいけない事を、理解してくれたのも 大きいと思った。

本当に 感謝しました。


 病棟では 4人部屋でしたが、1人切りで 付き添いベッドを

用意してもらって、引き続き 頭の支持をしていました。

回数は 減ってはいってましたが、いきなり吐くのは 継続中。

 いつ吐くか わからないので本当に 離れる事が出来ず

夜 寝付いた1時間だけ、家に戻って やれる事だけして

すぐ戻る。5日間位は そういう生活をしていました。


 徐々に 吐く事もなくなり、普通に 起き上がったりも出来て

順調に回復してくれ。普段と変わらない 感じになってきました。

 その頃に 病室へ、1人 入院が入ってきて。少し重症な子の様で 

夜な夜な泣いて、子供も 私も眠れないから。

 わりと 強引に、退院許可をもらって 自宅療養をするという事で

運ばれてきてから 11日目に、退院してきてしまいました。


 帰宅してからも 安静にしていないと、いけない事を 

理解してくれてた 子供は、しっかり 言いつけを守り。

大きな変化も無く 過ごせて。

 それから 2週間程かけて、じわじわと いつも通りの

生活へ 戻していきました。


 夏休みも 半分程過ぎてしまって

お盆weekに かかり始めていました。 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る