タガメの話
タガメの話 第1話
花魁の手紙を託されたマツだが、江戸屋敷の前に来て、これは無理だと肩を落とす。
門番に立っていたのは、花魁のお座敷の時に「顔の良い男は要らぬ」と、マツとテツジをお座敷から追い出した、あのときの侍だった。
小さく舌打ちをしたあと、マツは裏門に回る。裏門にも勿論門番はいたが、その死角を確かめたあと、軽々と塀を跳び越えて屋敷の蔵の裏に回る。
赤鼠を始めてずいぶん経つが、当然のことながら昼間に他人の家に忍び込むのは初めてだ。
見つかると厄介だ……と、マツは蔵の奥から少しだけ、廊下の方の様子を見る。廊下の方では、若い男が数人、バタバタと忙しそうに走り去り、その後を追うように女の足音が三人分、聞こえてきた。マツはさっと頭を引っ込める。
ここでマツは、普段【赤鼠】として忍び込んでいる商家の御店の間取り図を思いだした。広い館の中で、主人の部屋と言えばだいたい屋敷の奥の方。お勝手と風呂、
マツが居る蔵より更に向こう側に中庭があり、小さな池にはご丁寧に小さな赤い橋が架かっていた。
その向こう側に今居る館より装飾が美しい館がある。どうやらそちらが母屋のようだと踏んで、マツは足元の砂利に気をつけながら、足音静かに母屋の方に近づいた。
ここから先は……テツジよりは
慣れた手付きで天井裏に忍び込むと、
三回ほどその作業を繰り返したとき……目的の人が、そこに居た。
じっくりとみた【若君】の顔に、マツは驚く。
花魁のお座敷の時に確かに一度は会った顔だが、ゲンゴロウを見てからその顔を見ると確かに、双子だ。どちらがどちらか……タガメに比べてゲンゴロウの方がどこか洗練された優しい顔立ちをしている気がするが、二人並べてみない限りはどちらがどちらか見分けが付きづらい。
タガメは一人で酒を飲んでいる最中だったから、マツはこれ幸いと押し入れの天井板を外して下に降りると、タガメの真後ろに立ち、首元に物差しを突きつけた。
「ひい!」
「しっ!」
突然の賊の来訪に大きな声を出しかけたタガメの口を、マツが塞ぐ。
「タガメだな」
「……な、なんだお前は……」
「質問に答えろ! お前はタガメだな!?」
「…………そうだ」
マツがタガメの首に突きつけているのは単なる竹の物差しだが、タガメにはそれは見えない。何か得体の知れない刃物を押しつけられたと思っているタガメは怯えに怯え、ガタガタと震えながら小さく何度も頷いた。
「ゲンゴロウの身は預かった」
「なに!?」
タガメが驚いて振り向こうとするが、それをマツが止める。首に突きつけているのが竹の物差しだと、タガメにバレては面倒だ。だから、タガメにはずっと前を向いているように命じる。
「ここに、花魁のしたためた手紙がある」
マツはそう言って、タガメの手に千代菊からの手紙を握らせた。
「父親と一緒によく読むんだな」
マツはそれだけ言って、竹で出来た偽の凶器をタガメの首元から離す。
そして、このことは他言無用とだけ言い置いて、まだガタガタと震えるタガメを部屋に置いたまま、天井裏に戻った。
突然、背後からのマツの殺気が消えて、タガメは「ひぃ!?」と小さく叫んで、辺りを見回す。
「……い、いない……」
夢かと思った。
だが、花魁の手紙を握りしめた左手が固く硬直したまま、小さく震えている。
「……ある!」
タガメは自分の右手で左手首を握ると、何度も何度も大きく振って、手紙をふるい落とそうとする。だが、硬直した手はほぐれず、手紙が手から離れない。
「なにをしている?」
手紙を握りしめたままうずくまるタガメに、養父のカゲロウが声をかけた。
「……おとっちゃん! これ、これとって!」
タガメがカゲロウに手紙を取るように懇願する。
その様子を……天井裏から、マツはじっと見ていた。
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