ゲンゴロウの話 第3話

「なんでです!」

 とんだ迷惑を抱え込まされる形になった信五郎が、これ以上のことは勘弁してくれとばかりにマツに詰め寄る。

「この方は俺たちと違って、思ったことが顔に出る素直なお方のようにお見受けする。このまま江戸屋敷に返してタガメに会ってみろ。不信感丸出しの顔をするに決まっている。警戒されたらどうするんだ」

「知ったこっちゃあ、ございませんよ。お武家様のご遺体はもうお奉行所にお渡し申し上げてます。盗難のことも、この桃源楼には何ら関わりはございません。遊女達に、心穏やかに仕事させてやるのが忘八としてのあたしの仕事ですよ。もう、これ以上桃源楼にやっかいごとを持ち込むのはご勘弁くださいませな」

 懇願するようにゲンゴロウを帰らせてくれとせがむ信五郎には、マツも申し訳ない気持ちになるのだが、しかし、このゲンゴロウはどうも身も心も軽い人間に見える。それは「優しい」「育ちが良い」などという言葉に置き換えることも出来るのだろうが、そんな言葉に置き換えたところで、江戸屋敷に帰らせたゲンゴロウがタガメに余計なことを悟られるという事実は変わらない。「ゲンゴロウを帰らせてくれ」と願う信五郎に困ったようにマツが顔をしかめる。

「ではこのゲンゴロウ、あちきがお預かりいたしんす」

 突然の花魁の言葉に、マツとゲンゴロウは首をかしげ、信五郎は大きく首を振る。

「またまた、余計なことを思いついたね! いいからお千代はお黙りよ!」

 そう言って止める信五郎の口を塞いで、花魁はマツを見つめる。

「あちきが、この若君を誘拐たしんす。おマツ様、ゲンゴロウのお屋敷に、脅迫状をとどけてくりゃしゃんせ」

「は?」

 花魁の突拍子もないことばに、流石のマツも驚いた。

「花魁が、若君を誘拐するだと!?」

「ええ。さいざんす」

 千代菊がしれっとそう答える。

 若君が千代菊に呉れた腕輪がどうもおかしい。

 不審に思って知り合いの宝石商に見せたところ、これは蒼玉などではなく、水晶の珠だと言う。

 花魁である自分に本物の宝石ではなく、水晶の球を持たせるとはなんたることかと憤慨していたところ、江戸と浦賀で立て続けに二件、蒼玉、紅玉の宝物が盗まれたという事件を聞く。

 もしや若君がその盗品を花魁に呉れたわけではあるまいかと問い詰めたところ、心ここにあらずの有様ありさまにて、このまま桃源楼にとどめおき、お気の向かれたときに洗いざらいお話いただきたく御座候ござそうろう……

 要は、若君が呉れた宝石が盗品であるかと疑ったところ、どうも答えがハッキリしない。ちゃんと喋るまでは帰さないからそのおつもりでと言っている。

「お千代! 厄介なことを思いつくもんじゃありませんよ! お前はひとつの御家中ごかちゅうを敵に回すつもりかい!?」

「親父様、心配ござんせん。ご実家にはちゃあんと、若君がおわしんす」

 信五郎の言葉にかぶせるように花魁はそう言って、ゲンゴロウに目を遣る。

「ゲンゴロウと、タガメが入れ替わったこと……ご存知なんはどなた様?」

「タガメの父親……馬番のカゲロウだけじゃ」

 ゲンゴロウの答えに、花魁は「やはり」と呟く。

「つまり、御家中の大半の方々には、この脅迫状はごととしかうつりんせん。驚き、あわてふためくのはタガメの父親、ただ一人……」

 花魁は信五郎の手を握り、口を閉じたまま、口角だけを押し上げる。

「ねえ、親父様。心配ありんせん。すべてはあちきに、お任せくりゃしゃんせ」

 美しく、妖艶な微笑みで、甘えた声で信五郎に寄り添う花魁ではあるが、その目はまったく笑っていない。

 花魁の艶やかな微笑みには信五郎だけでなく、マツもゲンゴロウも、ぞっと背筋を凍らせ、お互いを見つめ合って身を震わせた。




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