ゲンゴロウの話 第2話

 ところが、自分は花魁の禿かむろであるに惚れてしまったし、タガメの方が花魁にぞっこんになった。

 生まれてすぐに捨てられた兄に何かしらの償いがしたいと考えていたゲンゴロウは、江戸に居る三ヶ月みつきの間だけ……という約束で、若様とお付きの者という身分を、こっそり取り替えてやったのだという。


「若様であればこのようなところに来るなどじいにとめられておったが……ゲンゴロウの姿は良いのう。誰にも止められぬ。あるじよ。さち香はどこじゃ、連れて参れ」

 無邪気にさち香を連れてこい……と、信五郎にせがむゲンゴロウを、花魁は驚きを隠せず、わなわなと両肩を震わせ、目を見開いたままで見つめつづける。

「若君。禿(かむろ)は駄目だ」

 マツがゲンゴロウを止めるが、ゲンゴロウはにこりと笑って、懐から赤い腕輪を出して来た。

「わかっておる。タガメがこれをれた。花魁には青い宝石だったが、赤いのはさち香に似合うだろうと思って、持ってきただけじゃ。これをやれば帰る故、ほれ、早よう連れてこぬか」

 ゲンゴロウが懐からだした宝石を見て、今度はマツが目を見開いた。

「これ!!」

 ゲンゴロウから奪い盗るように赤い宝玉の付いた腕輪をひったくると、マツはろうそくの光にそれを照らして見せた。だが、哀しいかな、マツには宝石の知識は無い。これをテツジに見せたところで無駄だろう。あの朴念仁ぼくねんじんにも宝石の知識があるようには思えない。

「こら、返さぬか!」

 ゲンゴロウが、背の高いマツを睨み上げる。

「お前、これ、何処で手に入れた!」

「タガメが呉れたのじゃ」

 まるで意地悪な兄が弟のモノを取り上げたときのように、マツは自分の顔の高さにその腕輪をぶら下げてみせる。

 それを取りたくてゲンゴロウは手を伸ばして飛び上がるのだが、いかんせん、十七にしては少し小柄なゲンゴロウがいくら跳ねても、標準身長よりはるかに背の高いマツが持つ腕輪には届かない。

「お前ならともかく、タガメが何故こんなものを手に入れられるんだ!?」

 マツの問いに、ゲンゴロウは、はたと気づいて跳ぶのをやめる。

「若君であるお前なら、殿様に頼めばこんなものの二つや三つ、すぐに手に入れられるだろう。だが、お前ではなく、馬廻りの伜(せがれ)であるはずのタガメが、一体何処でこんなものを手に入れたと言うんだ」

「え?」

 マツの問いに、ゲンゴロウも「あれ?」と首をかしげる。そして、しばらくかんがえたあとで、ゆっくりと首を横に振った。

「存ぜぬ」

 ゲンゴロウが、嘘をついているのでは無いかと思った。

 だから、マツはゲンゴロウの目をまっすぐに見つめた。ゲンゴロウもそれに気づいたのだろう、まっすぐにマツの顔を見上げる。

 マツとゲンゴロウはしばらく、お互いの目を見つめ合っていたが、やがてマツがゆっくりと溜息を吐いた。

「以前、お前が花魁に渡した蒼玉の腕輪は、蒼玉ではなく水晶だと……タガメとお付きのじいやがそう言っていた」

「水晶じゃと!?」

「そうだ、だからこの紅玉の腕輪も、水晶である可能性が高い」

「……何としたことじゃ……タガメが、儂をたばかったと申すか……?」

 ゲンゴロウはマツに訊ねたが、マツは「それは知らん」と首を振る。

「タガメとお前の友情や兄弟愛など、俺は知らん。お前が花魁に興味があるのか、さち香に興味があるのか、そんなことも、俺には関係ない。だが、この腕輪の宝石が、紅玉ではなく水晶かどうか。俺はそこに興味がある」

 マツは一度腕輪を右の掌の中に一度握りこむ。ところが次の瞬間、どうしたことか、今度は開いた左手の掌の上に右の手に握りこんだはずの腕輪がちょこんと乗っていた。ゲンゴロウも、花魁も信五郎も驚いて、マツの左手に置かれた腕輪を見つめる。

「ゲンゴロウ様よ。この腕輪にはな……盗品の疑いがかけられている」

 マツの言葉に、ゲンゴロウも、花魁も、信五郎までもが驚き、「ええ!?」と同時に声を上げて、マツの顔を見つめた。

「そして、盗難事件を調べていた南町奉行所の同心が殺害された」

「そう、そう、そう、あのお武家様のご遺体はね、この、この桃源楼に運ばれたのですよ! いい迷惑だまったく!」

 信五郎がここぞとばかりにマツとゲンゴロウに訴える。

「この二つの事件の関連性を調べ終わり、下手人を見つけるまで、この腕輪はさち香に渡すわけにはいかん」

 マツの言葉に、信五郎が「勿論です勿論です、どうぞどうぞ、お持ち帰りを!」と叫ぶ。

「いや……ゲンゴロウ様、そなたさまを屋敷にお帰しするわけにはいかん。しばらく桃源楼の妓夫としてでも、働いていてもらおう」

 信五郎の意に反して、マツがゲンゴロウに告げた。

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