ゲンゴロウの話

ゲンゴロウの話 第1話

 だがある日、マツが「これがくるわの玄関に貼り付いていた」と言って、信五郎の部屋にゲンゴロウを連れてきた。信五郎はゲンゴロウの身なりを見つめ、眉をしかめる。

「おマツさま。この子はまだ子どもですよ。うちのお客様にするには、ちょっと早すぎますね」

「おや、ここの妓夫(ぎう)じゃあねえのかい」

 昨日、今日、入ったばかりでまだ店に慣れない妓夫太郎(ぎうたろう)かと思って親切に信五郎の部屋に連れてきたのだが、信五郎は「そんな子は知らない」と首を振る。


 ところが信五郎の部屋に現れた花魁が、「おや、ゲンゴロウ」とその少年の名を呼んだ。

「おや、お千代。この子のこと、知ってるんですか」

 信五郎が訊ねると、花魁がわざと困ったように眉をひそめ、「実は」と呟く。

「あちきのお客様のお付きの方でありんす」

「お客様のお付きの子? ではまた花魁道中のご用命で……」

 どこのお客様かと、大福帳を開きかけた信五郎の手を、花魁が止める。

「ゲンゴロウ。今日は、若様のご用命かえ?」

 花魁の問いかけに、ゲンゴロウは大きく首を振った。信五郎とマツは眉をひそめ、花魁は「やはり」とうなだれてゲンゴロウを追い払うように、二度、手を振った。

「儂じゃ」

 ゲンゴロウが、そんな花魁に向かって自分を指さす。

「ようみい、千代菊花魁。儂じゃ」

 その声に聞き覚えがあって、千代菊は眉をしかめ、首をかしげてゲンゴロウの顔を良く見つめる。

「……わか……!!」

 花魁は思わず声を上げ、二歩後ろに下がって、その場に座り、ゲンゴロウ姿をした若様に向かって両手をついて見せた。

 マツも信五郎もいつになく慌てる花魁に驚き、顔を見合わせる。

「花魁、この子はどなたです?」

 信五郎が、もう一度訊ねた。

「お客様のお付きの方ではないんですか?」

「いいえ。この方こそが、あちきのお客様で……」

「こいつが、あの若様だって言うのかい?」

 マツが訊ね、ゲンゴロウの顔を良く見つめる。若様のことは一度見ただけだが、あの羽毛布団のような柄の着物の若者のことは良く覚えている。美しい顔立ちだが、哲治郎に感じたような武家の気品は感じなかった。むしろ、下卑てひねた笑顔が印象的だったが……。

 このゲンゴロウは違う。確か似よく見ればあの若様と同じ顔をしているが、どことなく優雅で、優しい顔立ちをしている。

「俺の見た若様とは、雰囲気が全然違う……」

 マツが首をひねっていると、ゲンゴロウは背の高いマツを見上げ、「ああ」と納得したように頷いた。

「では、そなたが見たのはタガメのほうであろう」

「タガメ?」

「タガメは儂の双子の兄じゃ。花魁。そなたが一度目に会うたのが儂で、二度目に会うたのが双子の兄の、タガメの方じゃ」

 悪びれもせずに、同じ顔をした双子同士が入れ替わりで花魁を抱いたのだと、ゲンゴロウが言う。

「父上が昔の迷信をようお信じになるお方での。双子は縁起が悪いからと、あとから生まれた弟の儂を嫡男に据え、兄のタガメを馬廻りの下男にやってしまわれたのじゃ」

 今年十七になったゲンゴロウは、参勤交代で江戸に向かう父親について初めて国許くにもとを離れて江戸に来た。

 初めて訪れた江戸屋敷をぶらぶらと散策していたら、馬小屋に自分と同じ顔をした下男が、自分の馬の世話をしている。驚いてじいやに聞けば、自分には生まれてすぐに捨てられた兄が居たことを知った。可哀想に思って小姓に据えたのだが、ちょうど町のお大尽だいじんが自分をもてなしたいというので、国許くにもとでも美人という噂の聞こえていた千代菊花魁の道中を挙げてもらった。

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