越後屋の話 第3話


 このゲンゴロウという男、実は千代菊花魁が気にしていた若者でもあった。

 だが残念ながら色恋や、惚れた腫れたは抜きにして、一度は枕を交わしてみたい……などといった、なまめかしい話ではない。


 ゲンゴロウは若様と同い年くらい……十七、八の若者だが、若様の馬廻りのお世話をしているという。要は御家中ごかちゅうの中でも馬屋に寝泊まりするような、最下層の下男。

 若様は大店の主人に頼み込んで道中を挙げてもらい、主人の客としてお忍びで花魁に会いに来ているから、馬や駕籠などを使って揚屋に来るような派手なことはしない。どう言うことかというとつまりは、馬の世話は要らないのだから、ゲンゴロウも付いてくる必要が無い。

 

 ところがこのゲンゴロウ、一番最初に若様と花魁が会ったときにも座敷の一番下座に膳を用意され、花魁は気づかなかったがさち香がいうには二度目の時にも座敷で茶を飲んでいたという。

 若様のおつきのじいやとお目付役の若侍は若様の傍にいたが、それ以外のお付きの侍達はみな、外に出て若様の居るお座敷の警備に当たっていたというのに……一番働かねばならないゲンゴロウが、座敷でゆったり茶をすすっているのである。

 若様が酒をこぼしてしまったときも……さち香が慌てて若様に布巾をあてたが、ゲンゴロウは気づかないし動かない。ただゆったりと茶を啜り、店から出された大福をほおばるだけ。


 その何ともゆったりした優雅な下男ぶりが、花魁の気に障った。

 千代菊は非常に上下の立場を気にする花魁である。今まで何人の役立たずな禿かむろをいじめにいじめ抜き、それでも物覚えの悪い禿を「あちきの部屋には要らぬ」とばかり、格子や散茶に払い下げてきたことか。

 たかが酒をこぼしただけではあるが、「主の大事に真っ先に駆けつけぬ下男など要らぬわ」とほの香にしか聞こえぬように小さく呟いて眉間に皺を寄せ、まなじりを引きつらせながら何度も何度も舌打ちを繰り返すのを、ほの香から「姐さん、化粧が落ちんす。笑顔、笑顔」と注意された。


 ゲンゴロウはそんな気の利かぬ男だったから、お気に入りの禿であるさち香に一目惚れしたというのを聞いて、ゲンゴロウの女の子を見る目については賞賛したが、当のさち香の方には「ゲンゴロウには絶対に惚れてはならぬ、アレは当代一の役立たずだ」と言って聞かせた。

 

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