越後屋の話

越後屋の話 第1話

 越後屋……といえば、大概の現代人はお代官様の側に寄り添い、黄金のお菓子を差しだしてなにがしかの便宜を図ってもらう極悪非道な人物像が思い浮かぶものだが、薬問屋越後屋の長男、佐平はなんとも柔和な顔をした、細めた目が可愛らしい穏やかな風貌の男だった。


 四十を来年か、再来年か、迎える頃だろうか。越後屋の父は亡くなったが、未だ存命の母が大女将として越後屋を切り盛りしているため、本人はもっぱら店の中で薬の調合に勤しんでいる。

 七年ほど前に見合い結婚した妻との間に子はなく、商家の跡継ぎ息子にありがちだが、遊女上がりの女を妾にして、吉原の片隅に小さな家を与えて囲っているという。


 哲治郎の妹、お華はこの越後屋佐平から薬を調合してもらっていたのだが、哲治郎はその薬を安くしてもらう代わりに、吉原の片隅に住んでいるという佐平の妾に薬を届けてやっていた。

 吉原に住まわせていたのでは妾に逢いに行くのも面倒くさかろう、引き取ってもう少し越後屋に近い場所に住まわせたらどうだというのだが、佐平の妻は気の強い性格らしく、妾がいるなどとしれたら自分も、その妾もどうなるかわからぬなどと言って身を震わせる。


 そんな佐平に覆面のテツジは「気が小せえくせに、妾なんて持ってんじゃあねえよ」などと言って呆れはするが、男と女の恋模様に口を出すなど性に合わない。だから黙って一ヶ月か二ヶ月に一度、佐平の妾に薬を届けてやっていた。


 とテツジは、その佐平の妾が縁で出逢った。


 テツジが桃源楼に出入りしているという話をしたら、「おや、奇遇ですこと」と、かへでを呼んだ。

 佐平の妾は子泣きの里から一番気が強そうで元気そうだったかへでを気に入り、引き取って身の回りの世話をさせていたというのだが、さて、自分の余命があと幾ばくかと不安になったとき、妾はまっさきにこのかへでの将来を案じた。

 それで桃源楼の忘八である信五郎に相談し、桃源楼で引き取ってもらうこととなった。


 桃源楼は、かへで改めにとって、格段に居心地の良い場所だった。


 さち香は他の禿かむろより身体が大きく、誰よりも賢かった。

 佐平の妾がさち香に施してきた教育も良かったから、美しく、賢くて踊りも三味線もなんでもこなし、すっかり花魁のお気に入りとなった。


 そして、それが良くなかった。さち香は天狗になった。


 もともと、人に好かれる性格ではないことは自覚している。

 自分が生まれた里ではハッキリとものをいい、欲しいものがあれば奪い取ってでも自分のモノにしなければ、誰かに奪われてしまう。

 人と協調するなどどうでも良く、強くなければ生き残れない。


 佐平の妾のところでは「一人っ子」だったから欲しいと思ったものは妾に言えばなんでも買ってもらえたし、何を食べ、何を使うのも自由。佐平の妾は気が優しい人だったから、さち香の気のキツイ性格もすべて受け入れて愛してくれた。


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