着物の話 第2話
獅子のよう……そう表現するのが最もふさわしい。
同じ男のマツですら、思わず見惚れて感嘆の声を上げてしまうほどに凜々しく美しい顔が、そこにはあった。
「火傷の痕はどうした」
テツジは赤子の頃に囲炉裏に落ちて付いた火傷の痕がひどく、人に見せられる傷の状態ではない……という触れ込みで覆面をしていたはず。頬や眦などに痛々しい傷痕が残っているのかと思い込んでいたが、何処に火傷の痕があるのか、目を細めてもわからない。日頃、刀鍛冶の仕事で鍛冶場の火に焙られているマツの顔の方がよほど、火傷との闘いの痕跡が深いといえる。
「ああ、これか?」
そう言って、テツジは自分の右の首筋をマツに見せた。その傷痕を見て、マツは「はあ?」と眉をしかめる。囲炉裏に落ちたときに押し当たったという火箸の痕が二本、右の首筋から耳の後ろにかけて生々しい傷痕を見せてはいるが、何も覆面をしてまで隠すような傷ではない。
「なんでい、その綺麗な顔! 覆面で隠すなんてもったいない!」
覆面をしてでもあれほど遊女にモテるテツジだ。覆面のない姿を見せれば、花魁千代菊ですらイチコロだと、マツはまくし立てる。
「まあ、覆面をするには他に理由があってよ」
テツジの言葉に、マツはテツジの寸分違わず歪みなく結い上げられた髷を見つめる。そして花魁の部屋の窓から吉原には似合わない風体の同心達の姿を見下ろすと、ゆっくりとテツジを見つめ直した。
「まさか、アンタ、あいつらの仲間だとかいうんじゃあねえだろうな」
「そのとおり。俺の名は、南町同心、
自分が赤鼠だと言ったときと同じくらいにあっさりと、テツジはマツに自分の身分を告げた。
「どうりで遺体のお武家様の名を知っているわけだ」
マツはなんだか、驚くことが馬鹿馬鹿しくなった。それで深い溜息を吐き、テツジを睨み付ける。
「なぜ、同心が盗賊など……」
「俺には金が要る」
テツジは自分のことをあまり話さない。だが、病気がちな娘がいると言っていたから、赤鼠の分配金は娘の治療費に充てているのだろう……という予測は付いた。
同心は武家である。武家ではあるが、広い官舎が与えられ、月給として男一日コメ五合、女一日コメ三合の二人扶持、俸給として年に三十俵のコメを与えられる以外は実はそれほど庶民の暮らしと変わらない。
テツジ……哲治郎の家は祖父が同心であった岡部家に婿入りしてから哲治郎で三代目になる生粋の武家であるが、同僚の中には長兄の穀潰しになることを嫌って同心の家に婿入り、養子入りした元は商家の次男坊、三男坊などザラにいる。
実家が商家の同僚達は実家の援助もあって比較的裕福な暮らしをしたり、幕府から与えられた官舎の使っていない部分を庶民に貸し出ししたりして大家となり、家賃を取って生計を立てていたが、コメの現物支給である同心の給料だけでは病弱なこどもの医療費を捻出することすら、叶わないだろう。
マツはそう考えて、目の前にいる哲治郎に憐れみの視線を送る。
「どうして、俺に本当の姿を見せた」
「お前なら誰にも言わぬ」
またも、哲治郎はあっさりとマツに答える。
「徳永は俺の仲間だ。徳永は俺と同い年で、大事な友だった。そいつを殺したヤツは、どうしても許せねえ……」
手にした覆面を握りしめ、哲治郎は静かに、静かに呟く。
「頼むマツ。下手人を挙げるのを、手伝ってくれ」
哲治郎の静かな怒りが、張り詰めた空気を通してマツに伝わる。
逃げたかった。
本当は、昨日の一件で、もうすっかり心が弱り切ったほの香を連れて山の家に逃げ、江戸に出てくるのは金輪際、辞めようと思っていた。
だが、自分を信じてその素顔を見せ、頭を下げる哲治郎を見てマツはその考えを捨てた。
「わかった」
マツは、哲治郎の瞳をじっと見つめたまま、大きく頷く。
「ただし、念のため確認させてもらおう。ダンナ、アンタは
「俺は昨日の昼間は奉行所だ。俺の書いた日誌を見せても良い」
ミミズがのたくるというよりは、三日ほど放置されたところてんのようだと形容されるほどの酷い字を書く同心は自分一人しかいない……と、哲治郎は笑う。
「……まあ……いい。信じよう。だが、ダンナの言うように、奉行所の目を赤鼠に向けさせるのは上手い手じゃねえだろう」
なにせ、赤鼠は十六人もの大所帯である。奉行所に睨まれれば裏切り者がでないとも限らない。
特に普段から哲治郎の太鼓持ちを自称してテツジにまとわりついているゴウとバクは、いつ裏切るとも限らないほどに
「俺は奉行所の連中にはここいらでひとつ、赤鼠の姿形の影を見てもらうのもいいんじゃあねえかなあと思っているんだ」
「赤鼠の、影……?」
哲治郎の言葉を聞きながら、マツはゴウやバクの筋肉と脂肪が同じくらいに入り交じったずんぐりむっくりな体つき、前歯のない虫歯だらけの歯を見せて笑う、あばただらけで髭ヅラの顔を思い浮かべる。
そして長身で均整のとれた哲治郎の姿形、それとおなじく長身でやせ形の自分の姿形を上から下までじっくりと眺めた。
奉行所の連中にずんぐりむっくりなゴウやバクの姿の影を見せ、それが赤鼠だと印象づけることで、正反対の体格である自分たちを捜査の目からはずす……と、哲治郎は言いたいようだったが、それにはマツは眉をしかめた。
「旦那が思うように、上手く行けばいいが……」
「ゴウやバクに危ない橋は渡らせねえよ。あいつらが奉行所にとっ捕まったら、あることないことべらべら喋る。それは俺たちだって迷惑だからな」
ゴウやバクと奉行所が接触する直前で助けると、哲治郎は言う。
「ほんの少しの時間で良い。奉行所の目をゴウやバクに向けている間に、俺は徳永を殺した下手人を追おうと思う。マツ、お前は赤鼠を騙って盗みを働く連中を探してくれ」
哲治郎の頼みにマツは「わかった」と頷いたが、一呼吸置いて口を開く。
「……おたがい、同じ相手を追うことになるのだろうが」
哲治郎とマツが、まったく同時に同じことを口にする。そしてお互い、驚いたように目を合わせると、眉間に皺を寄せ、呆れたように苦笑し合った。
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