着物の話

着物の話 第1話

 翌日、吉原では朝も早くから桃源楼で赤鼠が奉行所の役人を殺したと言う話で持ちきりだった。

 はその話を聞いた忘八が心労のあまりに倒れてしまうのではないかと心配していたが、案の定、昨日っくり返った忘八は、今日になっても布団から起き上がることはなかった。


「だから! 心の臓の病で、さっさとホトケを極楽にお返しした方が良いと申し上げたんです!」

 はマツに訴えたが、それをテツジが制する。

「馬鹿野郎! 病死体ならいざ知らず、刺されて死んだホトケを奉行所に黙って処分するなんざ、まつり! お前、沙汰によっちゃあ石抱かされても文句は言えねえぞ!」

 いつにないテツジの剣幕に、まつりとマツが目を見開いてテツジを見つめる。

「吉原には吉原のやり方がございます」

「吉原のやり方? 馬鹿野郎、吉原ここ天領てんりょうだ!! おかみのやり方に従ってこそ、ご公儀こうぎの旗印掲げて商売が出来るってもんじゃねえのか!」

 まつりがテツジを見上げて睨み付け、テツジがまつりを見下ろして睨み付ける。どちらも大きな身体で睨み合うが、そこにマツが割って入った。

「まあ、まあ……どっちもおさめて。な。喧嘩しても始まらねえし、もうお武家様の遺体は奉行所に行っちまったんだ……あとは奉行所に任せて……」

「奉行所はもう、として動いてるんだ!」


 仲間の死である。

 南町奉行である浅野一学は南町奉行所の全精力を上げて赤鼠をとらえると息巻き、朝から吉原には眉をつり上げた南町奉行所の連中が黒紋付きをたすきで結わえ、あっちの郭、こっちの郭に入っては、事件に関係のありそうな、なさそうなものを持ち出している。

 テツジはその様子を花魁の部屋の窓から眺めながら大きく溜息を吐き、力なく窓の桟に寄りかかる。

「……勘弁してくれ……」

「では、ダンナ方は、あのお武家様を殺したのは赤鼠の仕業ではない……と、こうおっしゃるんで?」

 まつりがマツに訊ねる。

「あのお武家様と赤鼠の接点は、お武家様が赤鼠の痕跡を追っていたということだけ……かろうじて考えられるのが、痕跡を追われることを嫌った赤鼠がお武家様を待ち伏せし、刺し殺して行李こうりに詰め、この桃源楼の花魁の部屋に持ってきた……ということだが」

 そこまで話して、マツが大きく溜息を吐く。


 赤鼠の仕業でないことは、当の赤鼠であるマツとテツジが一番よく知っている。だが、そのことをまつりやほの香に言うわけにもいかず、マツは途方に暮れて更に大きな溜息を吐いた。だが、花魁の部屋の窓から吉原の喧騒を眺めているテツジは、更に大きな溜息を吐く。

「赤鼠ではない……とは、言い切れん」

 テツジの意外な言葉に、まずマツが驚き、次いでまつりも驚いた。

「赤鼠は一人なのか複数なのか、それすらわからねえんだろう」

 テツジの言葉に、マツがはっと目を見開いた。

「ゴウ……」

 おもわず、名前を言いかけたマツの口を、テツジが塞ぐ。

「なんですかい。それではテツジのダンナは赤鼠は複数の人間で、そのうちの誰かがあのお武家様を殺めたと……こう、おっしゃいますか」

 まつりがテツジに訊ねたが、テツジはマツの口を塞いだまま、ゆっくりと首を振る。

「そう考えられなくもない。ただ、それだけのことだ」

 ただそう言っただけなのに、まつりは何かを早合点し、「こうしちゃあいられねえ!」と花魁の部屋を慌ただしく出て行く。


「まさかダンナ、ゴウやバクがお武家様を殺したと思ってるんじゃねえだろうな」

 まつりがいなくなったのを見計らって、マツがテツジの手を振り払い、だが、ふすまの向こうの廊下に行き交う妓夫ぎう禿かむろの目を気にして、出来る限り小さく叫ぶ。

「ゴウやバクに人を殺める根性なんて、ない! あいつらは筋金入りの小心者だぞ!」

「そんなこたぁ、俺が一番よくわかってらあ……」

 テツジが、窓の外を眺めながら呟いた。

「じゃあ、なんで……」

 マツの問いかけに、テツジは思い詰めたような目つきでマツを見つめる。そしておもむろに自分の覆面に手をかけた。

 するり、するりと布をとり、目の前に現れた顔に、マツは思わず目を見開く。

「……ダンナ……あんた……」


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