花魁道中の話 第3話

 盗賊稼業に就いてから、テツジは一年、マツは十ヶ月とつきほどになるのだが、天井裏を伝って屋敷の中を移動する……というのは初めてだ。


 掃除の施されるはずもない天井裏は蜘蛛の巣だらけ、ネズミの巣、御器噛ゴキブリだらけ。真っ暗な中で蜘蛛の巣が顔にまとわりついたり、鼠の糞や天井裏を走る御器噛を思わず手や膝で踏んでしまうで気持ちの悪さに、テツジは顔をしかめた。

「おや、テツジのダンナは意外と繊細だな」

 そんなテツジをマツがからかう。

「お前は平気なのか」

「俺は日頃、山の中で暮らしてるからなあ……蜘蛛や鼠や御器噛ゴキブリに加えて、蛇やイタチ、果ては山犬から狼まで出るぞ」

 マツがあまりにも平気そうに話すので、都会育ちのテツジは「俺に山籠もりは無理だ」と、ぶるっと震えた。


 天井裏にも、音楽や人の声がうるさく響いていたが、ひときわうるさい天井板の上で、マツは立ち止まる。そこの板を少しだけ切り取ると、マツはその穴から下を覗き込んだ。

「お前は盗賊と言うよりはまるで素破スッパだ」

 テツジが呆れたように笑って、マツが開けた穴をのぞかせてもらう。


 ちょうど、視線の先に例の赤と金の着流しを着付けた若君が、脇息にもたれかかって座っている。時折花魁の方を向いてなにごとか話しかけているが、残念なことに太鼓と三味線の音がうるさすぎて若君が花魁とどんな話をしているのかまでは聞こえない。

 だが、そこで花魁が顔を上げた。

 花魁からこの小さな穴が見えるはずもなかったが、テツジは花魁と目があった。ような気がした。

「ねえ、若君……?」

 花魁は先日、若君からもらった蒼玉の腕輪をつけた手首を見せて、にこりと微笑む。

「おや、それは……」

 若君が嬉しそうに微笑んだが、それに対して側に控えていたご家来衆が驚くような仕草を見せた。

 その仕草を、テツジは見逃さない。

 ご家来衆は若君に何事かを囁くと、嫌がる若君を花魁から引きはがした。

「おい、マツ。廊下の方にも穴開けろ」

 テツジが命じると、「承知」と頷いてマツが廊下の天井にのぞき穴を作る。

 程なくして、年老いたご家来衆と若君が廊下に出てきたようだ。マツが穴に目ではなく、耳をつける。かすかだが、二人の会話が聞き取れた。

「なぜ、アレを千代菊花魁ちよぎくおいらんが持っている!」

「目立たないところに隠せといったのはお前だろうが。木を隠すのは森って言うじゃねえか。ほどの派手な女なら、あの水晶だって……」

 なるほど、と、マツは合点がいった。水晶で作った腕輪を蒼玉の腕輪だと偽り、若君は花魁にあげたのだろう。

 蒼玉の腕輪なら百両を下らぬものもあるのだろうが、水晶の首飾りならばせいぜい五両が良いところ。蒼玉に見えるというのだからよほど質の良い水晶なのだろうが、花魁も随分と安く見られたものだ。

 テツジはマツがしていたように天井の穴に耳を近づけた。廊下の老人が、若君に向かって何か喚いているように聞こえる。

 テツジはマツに「後は任せて良いか?」と訊ねる。

「……おい、お座敷置いて帰るのかい?」

「お華の薬の時間だ」

 こんな大事な時に、テツジは娘の薬の時間だから帰るという。

「それに、このあとは若君と千代が布団の中さ。このまま穴からのぞいていたいなら止めねえが、俺は他人のねやをのぞく趣味はねえんでな」

 そこまで言って、テツジはマツの耳に顔を近づける。

「千代の囁き……吐息……荒くて、切なくて、あったかくってよう……聞くだけで、今夜と明日は眠れなくなるぜ」

 マツの耳元でそんなことを囁いて、テツジはその場を後にした。

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