花魁道中の話

花魁道中の話 第1話

 テツジとマツがその若様とやらに会う機会は、意外に早くやってきた。

 花魁おいらん道中を挙げて二十日と経たないのに、くだんの若様がまた、花魁を呼びたいと申し出てきたのだ。

 それでテツジとマツが妓夫ぎうに名乗りを上げたわけだが、テツジはともかく、マツを妓夫として花魁に付き添わせることに忘八ぼうはちがいい顔をしない。「花魁の側には絶対に近寄らせぬ」という条件でやっと忘八の首を縦に振らせて、マツは花魁の部屋の新造であるの付き添い妓夫として花魁道中に付き従うことになった。


 一枚歯の高下駄を履く花魁に肩を貸し、道中を導くのは妓夫頭である"まつり"の役目だと決まっている。

 普段、テツジは妓夫のまねごとをするといっても客が暴れれば呼び出される、仲裁担当の用心棒のようなもの。普段の道中に付き従うことなどないのだが、今日はテツジの身長ほどに大きな傘を、忘八に手渡された。

「なんだあ、これは」

「ダンナもそろそろ、千代菊花魁ちよぎくおいらん妓夫ぎうとしての心構えっていうもんを身に付けた方が良いと思いましてね。今日は、最初から最後までまつりについて、花魁のお世話をしていただきますからね!」

 日頃からテツジを花魁の妓夫にと狙う忘八が、花魁にさしかけるための派手な傘をテツジに押しつける。

「親父様。俺は何をすれば良いんだ?」

 マツが不安げに、忘八に訊ねた。

「おマツさまは、ただ、に付いて横を歩いていてくれれば良いんです。けして、道中の邪魔はなさらないように。ああ……ほれ、その怖い顔。笑って、笑って。はい、笑顔」

 忘八はマツの眉間に手を伸ばすと、その深く刻まれた皺を丁寧に伸ばし、マツの口角を人差し指で軽くつついて、笑顔の見本を見せる。

 だが、忘八の指導は無駄だった。

 マツは笑顔が怖いのだ。

 普段、師匠以外の他人と会わないマツは、微笑む必要がない。だから、人に対する微笑み方を知らない。忘八に教えられて一生懸命口角を上げ、目尻を下げるのだが、その笑顔は引きつって、逆に目を見開いて歯を剥きだし、忘八はそのマツの顔を見て思わず「ぎゃ!」と声を上げて逃げ出した。


 入れ替わりに、ほの香がマツの側にやって来た。

「おマツさま。今宵こよいはどうぞ、よろしうに」

 今日は自分のお供にマツが付くと知り、はしゃいだ様子のほの香がマツに微笑みかける。そしてそっと、自分の手をマツの方に差しだした。

「え?」

 驚くマツの手を引くと、ほの香はその上に自分の手を軽く乗せる。マツが更に驚いて辺りを見回すが、他の新造達もお付きの妓夫に手を引かれている。「まだ下駄に慣れない新造達が道中でこけて花魁に恥をかかせないないように、妓夫が支えるのだ」と、ほの香がマツに教えた。

 道中のほの香は、他のどの新造たちよりもはるかに美しかった。花魁道中を見に集まった野次馬達が、花魁の名を呼び、一生懸命振り向かせようとする。だが、花魁の名に混じり、「よ! ほの香!」などというかけ声も聞こえる。

 そんなほの香の小さい白い手が、マツの大きなごつごつした分厚い手に、ちょこんと可愛らしく乗っている。指先と指先が重なる程度の、ほんの少しの重なりだったが、マツはただ、それが恥ずかしく、そして嬉しい。

 マツはほの香に感づかれぬようにちらりと視線を送っただけのつもりだったが、ほの香はその視線に気づいて、ただ静かに、優しい微笑みを浮かべた。

「え・が・お」

 ほの香の唇がそう動いた気がして、マツは目尻を下げ、口角を上げる。

「こう?」

「もうちょっと、優しうに……」

 ほの香の笑顔に釣られるようにしてマツが困ったような微笑みを浮かべると、ほの香が嬉しそうに微笑み返した。

「そう。おマツ様の笑顔、可愛らしうありんすよ」

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