蒼玉の話

サファイアの話 第1話

 赤鼠が大分屋おおいたやを襲った一件は、江戸の町の長屋にも聞こえていた。

 長屋の連中は赤鼠が出たと言うことは次の金子は何処の長屋に置かれるのか……と期待をしたが、いつまで経ってもあの赤鼠の懐紙に包まれた金子がどこどこの長屋に置かれたという話を聞かない。


 いてもたってもいられずに、奉行所に「何処の長屋に金子が置かれた!?」と聞きに行く者まで現れたが、日頃、長屋の連中に「赤鼠は物の怪だ、妖怪だ!」などと嘘の報告で煙に巻かれている同心達は、金子のことなど知らぬと突っぱねた。


 だが、宝は思いの外、テツジの近くにあった。

 桃源楼の一番花魁……千代菊ちよぎくである。

 花魁が「見て!」と見せびらかした豪華な蒼玉の腕輪ブレスレットを、テツジは思わず「これだ!」と叫んでもぎ取った。

「ちょっとダンナ! なにをなさいんすの!」

「この腕輪、誰からもらった」

「……あちきのお客様でありんす」

「お前の客? どこのお大尽だいじんだ、大黒屋か、田村屋か坂上屋か……あとはえっと……」

「お武家さまでありんす」

「……は? 武家? 花魁を買う武家の客? どこの大金持ちのお旗本だよ」

「それは、言えんせん」

 せっかく、お客様から贈って貰った蒼玉の腕輪を力尽くで奪われて、気を悪くした花魁がぷいとそっぽを向いた。

「……乾物屋の大分屋は知ってるか?」

「存知んせん」

 花魁は気を悪くしたまま首を振り、テツジから腕輪を奪い返した。

「お前が客にするような一流の御店じゃねえからなあ……まあ、それはいい。その大分屋が、赤鼠に蒼玉の首飾りを盗まれたんだそうだ」

 蒼玉……と聞いて、花魁がテツジを見つめ直す。

「……あちきのものは腕輪です」

「だから。首飾りを腕輪に作り替えたんじゃねえかと……なあ、姐さん、もっと良く見せてくれよ」

「あちきの腕輪は違いんす。曲がりなりにも大名の若君。盗んだものを作り替えてあちきにくださるなど、そんなケチなお方ではござんせん!」

 うっかり口を滑らせて、花魁は「あ」と口を塞いだ。

「大名の若君が、花魁遊びだと?」

 覆面の向こう側からでも、テツジの眉間の皺がみるみる深くなっているのが見て取れる。

「で、その若君とはヤッちまったのかい?」

「やる……ってダンナ……床を共にするとか、一夜のちぎりとか、もっと丁寧な言い方を……」

「枕を交わそうが心と心を寄せ合おうがまぐわおうが交わろうが、やることは一つじゃねえか、おい、姐さん。そんな腕輪に目がくらんで、若君に操を捧げちまったんじゃねえだろうな」

 腕輪に目がくらみ、というところで、花魁がキッとテツジを睨み付けた。

「あちきは花魁。道中を挙げてくださったぬし様を、一晩、せいぜいお楽しませするのがあちきのお仕事でありんす」

 花魁が凛として突っぱねるので、テツジは聞き方を変えた。

「お前がそこまで肩を持つとは……そのぬし様、美形だろ」

「ええ、それはたいそう、お美しい方で……」

「体つきは」

「そりゃあ、ダンナよりは随分と小柄でありんすが……ごく普通のお背です。うちの妓夫ぎう達と比べても、たいして違いはござんせん」

「俺より小柄?」

「ダンナより大きいお人を見つける方が、苦労いたしんす」

「そりゃそうだ」


 大分屋が蒼玉の"首飾り"を盗まれたというのが、一昨日。盗まれたと届け出たのが、昨日。そして、今日になって蒼玉の"腕輪"がテツジの前に出てきた。

 大分屋から首飾りを盗んだ下手人は、実際の"赤鼠"より随分と足の小さい人物だということはわかっているのだが、それを花魁に蒼玉の腕輪を贈ったという若様と関連づけるのはいささか乱暴すぎる話だ。なにより、盗んだ首飾りを一日で腕輪に作り替えることが出来るかというと、それもまた時間的に難しい。


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