岡部哲治郎の話

岡部哲治郎の話 第1話

 そうこうしているうちに、赤鼠の窃盗はついに六件目を数えた。

 被害は乾物屋の大分屋。

 被害を受けるほどの大きな御店おたなではないと、南北の奉行所はこの御店に警戒を呼びかけてはいなかったのだが、昨夜、南蛮人の友人からもらった蒼玉サファイアの首飾りを奪われたと申し出てきた。

「……蒼玉そうぎょくの首飾り……なあ……。被害総額は……ほぼ百両。こらまた赤鼠のヤツはすごいもんを盗んだもんやなあ」

 南町奉行、浅野一学は調書に目を通しながら呟いて、大きな欠伸を一つ。

「昨日の、夜番の責任者は誰や」

 浅野は御祐筆に昨日の夜番の者に責任を取ってこの一件の調査を任せよと伝える。

「は……岡部哲治郎おかべてつじろうにございます」

「……岡部か……」

 岡部という名前を聞いて、浅野はがっくりと肩を落とし、大きく溜息を吐いた。浅野にとって、岡部哲治郎はほとほと評価のしづらい男だった。

 顔は、良い。

 あれほど顔かたちの整った美丈夫は江戸広しといえど、まず見かけない。見上げるような大男で、ゴロツキ共のケンカの仲裁、無銭飲食の追っかけに大暴れした酔客の取り押さえは見事なもの。

 だがこの哲治郎、同僚の中でも無類の読書家で、受け答えも丁寧だが、いかんせん、ものごとの要領が悪くてうだつの上がらないというのが、浅野の評価だった。

 そろばんは仲間が弾くさまを遠くから眺めているだけ、字も汚い。仲間内では夜の町の見回りを代わってもらうことを条件に、哲治郎の事務仕事をこっそりかわってやる者がでてくるほどだった。

「あんなもんに赤鼠の案件をまかせて大丈夫かいな」

 不安ではあったが、浅野は哲治郎を呼んで、昨夜の事件の調査のため、大分屋に出向くように命じる。

「え? 赤鼠ですか?」

 哲治郎が素っ頓狂な声を出して、驚いたように目を剥いた。

「……何を驚いてるねん」

「いや、え、その……」

「なにをごにょごにょいうとるんや、さっさと行かんか!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る