マツの話 第2話
だが、マツにはテツジについて、一つだけ気に入らないことがあった。
桃源楼で出逢った振袖新造の、ほの香のことである。
ほの香が十六歳の頃、腹痛で倒れていたところを助けたのがテツジで、それ以来の付き合いだというのだが、これがまた、新婚の夫婦のように仲が良い。
花魁の部屋に呼ばれるときも二人はいつも寄り添って座っているし、忘八である信五郎の前でもそれは同じ。マツが桃源楼にテツジを訪ねるとき、テツジはだいたい、ほの香の膝枕で眠っている。
そんなに仲が良いのに、二人はお互いに恋仲ではないと主張する。
「ほの香は俺の妹みたいなもんでなあ……せっかくの俺の魔羅が、ほの香にはぴくりとも動かん」
テツジはそんなことを言ってしょぼくれた顔を見せるし、ほの香はほの香で
「テツジのダンナはほんに手がかかって……故郷に残してきた弟のようでありんす。弟にしてやれなかったことを、ダンナにしているだけでありんす」
など、お互いがお互い、自身の「下の子」のようだという。
それで一度、テツジに「本当に、ほの香とは恋仲ではないのだな」と確認してみたら、「なんだ、お前、ほの香に惚れてんのか」と、マツの気持ちがあっさりテツジにバレてしまった。
「遊女に恋など、やめておけ。お前が苦しくなるだけだ」
マツの恋路の邪魔をしたいわけではなかったが、テツジはそれでも首を振る。
「そんなこと、わかってらあ」
二つも年下に諭されて、マツは憎々しげに舌を打つ。
だが、テツジの言うことはもっともだ。
相手は遊女。しかも、振袖新造ともなると将来は花魁となり、一つの郭をしょってたつ運命の娘。まだ新造であるにもかかわらず、ほの香が花魁になった暁の一番道中は日本橋呉服店の大黒屋、潮五郎か……はたまた、ちょっと変わったところで柳川の老舗料亭、助川の御曹司、春之丞ではないか……そんな下世話な噂が飛び交うほど、ほの香の美しさは江戸の町にも響き渡っていた。
「好きだ」
そんな簡単な言葉を、相手に伝えられない。
もどかしいわけではなく、ただ、自分が情けない。
「金があれば……」
ほの香が遊女となる前に、ほの香を身請けする金を貯めることが出来たなら……。
「お前がほの香の亭主になってくれるのならば、俺だってその方が……」
テツジは覆面だから、その表情はわからない。だが、その言葉はまるで、心の底から娘の幸せを願う、父親のように思えた。
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