マツの話

マツの話 第1話

 という男は、マツから見ても本当に謎が多い人物だった。

 テツジは小さい頃に囲炉裏に落ちて顔が焼け、火傷の痕を気にして覆面で顔を隠している。だが、身長六尺、土方仕事で日に焼けて、筋肉質な逞しいそのからだ。遊女のみならず、飲み屋の女にも良くモテた。

 昼間の仕事はなんだと聞くと、「ゴウやバクと土方の仕事をしている」と答えるのだが、それも2ヶ月ふたつき3ヶ月みつきのうちで気が向いたときに二十日も働けば良い方で、その他はどこで何をしているか、ゴウもバクも知らないと言う。

 言葉遣いはやたらとおかしくて、吉原の客達と下品な下町言葉でゲラゲラ笑いあうこともあれば、まるで侍のように堅く、古びた言い回しで信五郎や寄合の長老達と真面目に話をしていることもある。

 何よりも、性格に一貫性がないように、マツは感じていた。

 桃源楼では酒をたしなみながら、遊女とふざけてへたくそな踊りに興じているのだが、いざ酔客が暴れた、どこぞの遊女が客に拐かされた、客が逃げたなどの事件があればとたんに飛び出し、一人で下手人を捕らえてしまう。

 マツには、下手人を追いかけるその厳しい表情こそが本物のテツジで、桃源楼でふざけている姿はつくりものに見えた。


 遊女や客達とふざけている間に時折見せる、テツジの疲れたような深い溜息……マツは、本当はテツジが独りで静かな環境をこそ、望んでいるのではないかと……そう思うことがあった。


 だが……何処の誰なのか、知ってはならない。本名も、聞いてはならない。それが、盗賊団・赤鼠の鉄の掟。


 ただ、テツジは「俺が赤鼠だ」と、マツには素直に告げた。


 どんな気持ちでテツジがマツにそう告げたのかは、テツジではないから分からない。だが、テツジはマツに「お前も赤鼠になれ」と言い、マツは黙って頷いた。

 ただ、それだけのこと。

 江戸の町では独りなのか集団なのかもわからない、謎の盗賊という触れ込みの赤鼠だったが、意外にもテツジの腰巾着であるゴウやバクを含め、マツで十六人目の大所帯だった。

 ゴウやバクが手当たり次第に体格の良い男を誘うのが原因で、テツジはいつも二人にこれ以上人数を増やさぬようにたしなめていた。ゴウやバクに誘われはしたものの、特に仕事を依頼されることもなく、「赤鼠」という飲み会の集団だと思って集まる連中もいるほどだ。


 そんな中で、マツは珍しくテツジが自ら誘った仲間である。自ら誘うだけあって、テツジはマツと行動を共にすることを好んだ。

 刀鍛冶のマツは手先が器用で、仕事が丁寧だ。テツジは不器用だが真面目で律儀な男だったから、マツの丁寧さをことのほか重宝した。マツが、字が読めて口数が少ないことも良かった。

 ゴウやバクは土方仕事に従事しているだけあって力仕事には向いていたが、字が読めない上に時間の感覚が無く、とにかく声が大きくてやかましい。

 御店おたなの間取り図を広げて宝の場所を教えようにも居間がどこ、寝所がどこ、蔵という漢字は……と言うところから教えねばならず、戌の刻になればこのカゴをおろし、こっそりと屋敷を抜け出よと教えても、それがいつのことなのかがわからない。

 それで、テツジは壁をふたつ打てばカゴをおろし、床を三つ打てばテツジを待たずに逃げよと二人に教えた。


 だが、マツにはそんなことを教える気遣いはない。間取り図を見せておけばその御店おたなのだいたいの配置を覚え、蔵の中のお宝を見ても変な浮気心を出さずに盗る物だけを盗り、指定の時刻になればテツジのことなどお構いなしにさっさと逃げる。それでいて律儀者だから、次の日にはちゃんと吉原の桃源楼にいるはずのテツジの元に、盗んだ品物を届けにやってきた。

 それでテツジはすっかりマツが気に入り、"赤鼠"たちへの報酬の分配は、マツに任せることにした。


 マツはマツで、生意気だが世間知らずで不器用、それでいてどこかしらお武家の若様のような気品の漂うこの大きな覆面男を気に入っていた。

 テツジの方が年下だったが、テツジから「マツ」と呼び捨てされ、自分が「テツジのダンナ」と呼ぶことに、何の疑問も感じなかった。

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