第三章 大地の国

のどかな草原

 生い茂る草原。多くの旅人が歩くうちに、踏み固めた大地は一本の不器用な道となり、村と村を繋ぐ物言わぬ標となった。慌ただしく飛び交う野鳥の声が耳をつき、旅人たちは早足に獣道を歩くのであった。


「何もいねぇな」

 ハヤブサが欠伸をする。勇者とハヤブサは何も現れないのどかな草原を歩いていた。

「もう半日も歩いてるってのに、怪しい気配すら感じねぇぞ」

「平和だな」

 勇者もつられて欠伸をした。前回は村から村までの距離がなかったが、今回は三日は歩くと言われた。互いに特に話すこともなく、ハヤブサが「何もいない」とたまに呟くだけだった。

「俺は勇者扱いだけど、元々は商人の生まれなんだ」

 勇者は気を紛らすために自己紹介を始める。

「へぇ、そうだったのか。だから、銃なんて持ってたんだな」

「まあな。前の勇者と同じ村だって理由でこうなっちまったわけ。旅は好きだから良いんだけど」

 勇者が、船を使った商いだと付け足すと、ハヤブサは興味を示した。

「疾風の国には行ったことがあるか?」

「いや、基本的に行くのは、港が栄える水鏡の国だ。けど、港や船で疾風の人に会ったことはある」

「そうか。疾風の国が俺の故郷なんだ」

 ハヤブサは言う。

「親は村にはいないのか」

「ああ。ガキの頃、人さらいに遭っちまったんだ。そこから逃げてあの村に拾われた」

「疾風の国の近くにはその手の悪事を生業にする連中がいると聞いた」

 勇者の言葉を返すこともなく、ハヤブサは黙ってしまう。

「疾風の国には行くから、そこで両親に挨拶しよう」

「ああ」

 そこから再び、二人の会話は途切れた。

 勇者たちがいるのは「大地の国」と呼ばれ、五つの中で最も広い。小さや砂漠や雪山もあり、生態系は幅広い。

 その他には、海や川が多い「水鏡の国」、生い茂る森林とともに暮らす「疾風の国」、国のほとんどが砂漠の「砂塵の国」、白銀に包まれた「吹雪の国」がある。

 大地の国の国王は、他の四つの国をまとめ上げ、共存していくことを望んだ。モンスターや魔王の存在もあり、すべての国が了承し、人間同士の争いは落ち着いていた。


「おい、宿が見えるぜ」

 ハヤブサが指で示す先には小さな宿があった。地図を確認すると、村と城下町のちょうど中間だった。三日かかると言われた道の半分を、半日で歩いた。おそらく、モンスターありきの時間なのだろう。

「一応、寄って行こう」

 勇者が言うと、ハヤブサは「競争だ」と笑って宿に駆け寄った。勇者は軽く舌打ちをして追いかける。

 宿屋には勇者たち以外の客はいなかった。店の者も腰の曲がった老人一人だった。

「ようこそ! いらっしゃいました! お泊りですか?」

 店主は曲がった腰が砕ける程に大きな声を上げた。体は年相応だが目は輝いている。

「いや、休憩だ。何か軽い食事をくれないか?」

 勇者はそう言ってカウンターに腰掛けた。ハヤブサも隣に座る。

「喜んで!」

 老人は仕掛け箱のように背筋を伸ばすと、駆け足で裏に入っていった。

「はは、すんげぇ気合が入った爺さんだな!」

 ハヤブサは笑う。勇者は店内を見回していた。

「多分、客が来ないんだろ。モンスターもいないから、中継地点の役割が消えたんだな」

 勇者は言う。旅の疲れも何も、何も疲れるようなことは起きないのだから、ここへは客が来ることはないのだろう。老人の苦労を考えると、商売をしていた家としては胸が痛かった。

「お待たせしました!」

 老人は元気の良い声で料理を運んできた。新鮮な野菜と薫製肉を挟んだサンドイッチだった。飲み物には柑橘の香りのする液体が注がれている。

「おお、美味い」

 勇者は素直に喜んだ。ハヤブサも同じように舌鼓を打っている。

「裏の畑で採れた野菜を使っておりましてね。空は雲で覆われていますが、やり方次第ではどうにか育てられるものです。……最近は客足が遠のいてしまいまして、その野菜を出荷して生計を立てています」

 老人は寂しそうに説明した。

「昔はたくさんの旅の方々に使っていただいたんですが、いまはもう」

「爺さん、せっかくうめぇ野菜があるんだから、それを売り出して行きゃあいいだろ、観光客くらいは通るんだしよ」

 ハヤブサは野菜サンドを指差して言った。

「こんなにうめぇのがあったなんて知ってたら村から通ってたぜ」

「ありがとうございます……!」

 老人は涙目で頭を下げてきた。そして、チラと勇者を見た。

「もしよかったら、泊まっていっては……」

「いや、このまま行けばすぐに城下町へ行けそうなんだ」

 勇者は首を振る。老人は寂しそうに頷いた。

「そうですか……」

 二人は食事を終え立ち上がる。金貨を支払うと、老人は勇者の手を握った。

「よろしければ、泊まっていっては……」

「いや、だから……」

 そこまで言いかけ、勇者はハッとする。

 同じ目だ。薬草を握りしめた村長と同じ目をしている。輝いているように見えた瞳は血走っている。干からびたように細い腕、にもかかわらずとんでもない力で手を握り締められている。

「さ、さっきのサンドをもう二つ、頼むよ、道中で食べる」

「ありがとうございます!」

 老人は大急ぎで裏に消えた。勇者は痺れた手を見つめながら呟く。

「どんなに苦しくてもあの爺さんは死なないな」

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