第21話 刹那 ②

 雨の幕が少しだけ薄くなった。

 行く手に細い陽光が幾筋か滑り落ちてきた。

 激しい震動に全身の深傷が何回も何十回も痛みを生み直す。

 それでも黒い風は、胸の中の不安に押されてさらなる速度を求めた。


 ――リリー!


 しなやかな猛獣の脚が泥濘を強く抉り飛ばした。




「―――ぬぅうッ!」


 スピナーの腰が捻られる。

 振りかぶった右手、その掌中に両刃の長槍が握られていた。

 腰の戻りに追従して右腕が後ろから前へと奔り、寝かされた槍が空気を貫くように一直線に駆けだそうとした……が


「ッ―――!」


 一足、いや、それ以上遅かったか、見上げるあの崖っぷちから一筋の光が放たれるのが見えた。

 スピナーの右腕は振りきることなく静止し、その顔は左の彼方にある白馬隊へと向けられた。




 この渓谷という愚かな牢獄から止むことなく轟き続ける剣戟、怒号、悲鳴……。

 “戦場”とは無数の兵士の集いし場所を呼ぶと同時に、一人一人が懸ける命そのもののことでもあるのだろう。


 ――どれだけの人間が散ったのか

 どれだけの“戦場”が今もここに生まれ続けているのか。

 この戦いを終わらせるのが誰かは分からない。だが少なくとも自分ではない。戦いの終わりを宣言する力は持っていない。

 だから、それが出来るかもしれない人を護る。

 それが、俺の戦場―――


「―――だめッッ!!」


 突然響いたその叫声にランスの身体は一瞬だけ硬直した。

 本当にそれは一瞬に過ぎなかった。

 百分の一秒かもしれない、瞬き以下の時。

 その神か悪魔が気まぐれに肩に触れたような一瞬に、ランスの右頬を光が撫でた。

 灼熱の焼きごてを当てられたような感触。

 頬肉と耳朶が抉り取られてこの世から消滅した感触。

 頬骨の上辺が削り取られた感触。


 ――違う……そうじゃないんだ…… 顔は削られるんじゃなく、刃を突きたてられなくちゃいけなかったんだ…… なんで―――


 ランスの首が静かに回る。


 “なんで、俺はまだ生きてるんだ―――”

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