第20話 刹那 ①

 ――ダナス関の守護者ってのはマジで女だったのか……!


 最終決戦のこの時、初めてリリーを目視したホークはスコープを覗く目に驚きを浮かべていた。

 白馬隊の指揮官が女だと言う話は情報として聞いていた。そしてそれを彼自身は“最前線の過酷さにてられた部下達の戯言”程度にしか受け止めていなかった。本当に居たとしてもただの御輿に過ぎまい、と。

 実際、数瞬前までは、彼女の隣にいる髭を生やした壮年の騎士こそが真の指揮官だと洞察していた。風格のあるその容姿と所作は確信に至らせるのに十分だ。逆に隣の白尽くめの女は何やら泣き崩れているように見えた。エルフィーネのような男顔負けの戦士ならばともかく、あんな見るからに華奢でひ弱な女がこの戦場を見せられれば恐怖に怯えるのも当然至極、あれのどこが指揮官か……と思わず鼻で嗤ってしまった。

 だがその直後だった。何があったのか彼女の佇まいに凛とした強さが生まれ、そして細い腕を前に突き出すと唇を動かした。もちろん声など聴こえてはこないが、その堂々とした姿と、何より表情に宿った真っ直ぐさにホークは息を呑んでしまった。次には彼女の隣で例の壮年の騎士が追唱を叫んでいたが、そこまで見なくても彼の認識は改められていた。一瞬惹かれた自分に気付き、彼女に指揮官としての何かがあることを直感したのだ。“ダナス関の守護者ってのはマジで女だったのか”――胸の中で驚声が響いた。


 そして、このスコープを携える最新兵器“トールハンマー”活躍のラストチャンスが……十年戦争の英雄になる為に必要不可欠な大手柄の、最後の標的が決まったのだ。

 昂揚するホークの頭上で、まるで後押しするかのように雨足が落ち、雲間に太陽の欠片が覗いた―――。



「……ッ? まさか……白馬隊を狙っているのか……?」


 岩壁に見え隠れする危険な射手を目で追っていたスピナーは、これ以上進む足場もないであろう崖の縁に佇んだ三つのシルエットを見て呟いた。煙る雨の濃さで細かな動きまでは見えないが二人が盾で一人を護っているのは判別できた。そしてその護られている人物がダナス関の方へ何かを向けているのも……。

 “それ”は無数のフラッシュバックのように、頭の中で次々と瞬いた。


 エルフィーネへ飛んできた光。

 この左腕を貫く威力。

 従来のクロスボウでは考えられない射程距離。

 レストリアの人間。

 狙われたのは己、銀鳳隊将軍―――。

 そして、今、あの人間が次に狙っているのは……?


「―――ッ!」


 全身に虫が這うような強烈な悪感、骨まで凍りつくような最悪の寒気が駆け抜けた。

 瞬間、彼は愛馬アッシュの背に飛び上がり、驚くエルフィーネを置き去りにして岩壁へと駆けだした。



 痛みが増していく脇腹の深傷に意識が朦朧とする。

 活を入れようと頬を叩き、脂汗と雨水にまみれた顔をその両手で拭う。

 ランスはいま一度負傷者陣営の同志達を瞼の裏に思い浮かべ、そして自らを鼓舞しながら顔を上げた。


 ――え…? あれは……?


 この一息の気の入れ直しがなければ気付けなかったかもしれない。

 少し鮮明になった視力は、渓谷内南側の絶壁の半ばに、今まで一度も目にしたことのないものを見た。

 それが人影であることを認識したことと、その瞬間に敵であると確信したことの間に明確な理由があったわけではない。少なくともこの時の彼にはそこまで思考を回転させる余力はなかった。

 ただ感じたのだ。

 二つの予感を。


 一つは、リリーが狙われているということ。

 ならば可能性はクロスボウしかあり得ず、しかしこの距離で届く矢など聞いたこともない……のに、何故か真実を直感した。


 そしてもう一つ。

 自分が、この瞬間の為にここに存在したのだと。

 この時を目指して人生があったのだということを。


 空から淡い陽光が落ち、岩壁にきらりと反射した。

 “ありがとう” すぐ傍でそんな声が聴こえた気がした。

 馬と共に、身体が自然と動いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る