第6話 ヴァルキリー

 ダナス領。

 戦場からやや南に離れた戦傷者陣営では、二百人強の怪我人が今まさに行われているであろう決戦に居ても立ってもいられない心地で過ごしている。

 特に全員の心中を支配しているのは白馬隊の安否。麗しき女将軍の身を案じる想いだった。


「ランスの奴……ちゃんとリリー様の傍に置いてもらえてっかな?」

 一つの幕舎では身を起こせる者達は寝台から降り、中央で膝を突き合わせて重苦しい空気に耐えていた。

「大丈夫さ。スピナー将軍のあの言葉はリリー様の胸にも響いたはずだ」

「ああ、俺も感動したよ。なんか惚れ直しちまったよ、スピナー将軍によ」

「自分の生き様に胸を張るために、命そのものを張らなきゃならない時がある……ズシンと来たぜ。俺らだって戦場に立ちてえよな。リリー様も、故郷も、そして家族も……この手で護りてえ」

 すると少し離れた寝台から掠れた声がした。

「……俺はランスを信じてる。白馬隊も……銀鳳も金獅子も黒狼も……信じてる。必ず護ってくれる……俺達の国を、必ず」

「エディ……」

 幕舎の中は沈黙に包まれた。


 負傷兵たちが想いを噛みしめているその頃、陣営の少し外で休憩を取っている衛生兵が一人、すぐ眼前にそびえるダナトリア山脈を見上げていた。

 太陽は中天にかかろうとしている。だが、その光を阻むように膨らんでいく灰色の雲が東からこの山へとゆっくり流れてきているのだ。山頂にかかれば間もなく雨となって崩れてくるだろう。

 ――そうなれば戦場もひどい乱戦に発展するかもしれない……

 大乱戦となれば当然負傷者、特に重傷者が大勢出る。衛生兵としてそれはどうしても避けたい展開だが、かと言ってここに立つ自分に何が出来るわけでもない。彼は歯の軋むほどにもどかしさを抱えていた。

「……ん?」

 不意に彼の視線が山頂から山腹へ落ちる。

 ――いま何か聞こえたような……

 その眼差しは眼前の鬱蒼と生い茂る山肌をさまよった。



「さすがにレストリア最強の騎士団……ですが、銀鳳隊も金獅子隊も奮闘していますね」

 軽装備に身を包んだ戦士が、白馬隊の作る防壁越しに戦場を見つめて感嘆する。

「士気だよ。いまのオレ達の士気は最高だ。リリーのお陰、だね」

 器用に黒豹の背中に立ってジョシュは戦況を見守っていた。

「あれは効きましたよ。俺達は幸せ者ですね、戦う理由の一つがすぐ傍にあるなんて」

 ――“どうか死なないでください。どうか生きて還ってください”

 彼女の言葉が何度でも耳の奥に甦る。


「……死を厭わない覚悟の兵と、絶対に生きようと誓う兵―――どっちが怖いと思う?」

 ふと、ジョシュが戦士に問う。

「それは……前者……でしょうか?」

 彼は躊躇いがちに答えた。正解だとすれば、もしやリリーへの非難が込められているのだろうか……と頭の片隅に感じながら。

「うん、自分と引き換えにしても相手を殺す……そういう兵は何より怖い」

 戦士が気まずそうにうつむく。しかしジョシュが「でも……」と続け、彼は顔を上げた。

「……軍として強いのは、絶対に生き抜くという覚悟で戦う方だよ。死ぬ気の軍は相手を殺す代わりに自分達もどんどん数を減らしていく。でも生きようとする兵達は目の前の闘いに粘り強く挑み、勝利を決して譲らない。その結果時間がかかってもいずれ敵を打ち砕き、そして数を減らさないんだ」

 ジョシュは右に視線を送る。その先に見えるのは白馬隊後尾で戦場を見据えている白尽くめの女性。

「少数のオレ達がレストリアの大軍に挑むこの戦。最も望ましい覚悟を貰ったと思うよ」

「……そうですね、そうですよね」

 戦士は安心したように、そして己を再度奮い立たせるように語気を強めた。そしてリリーから戦場へ眼差しを戻す。

「ッ……! 将軍、あれは!」

 彼はその奥に異変を見て取り声を上げた。

 ジョシュも即座に視認する。

「―――黒狼隊、出番だ! 白馬隊の両端を抜け、敵部隊を横から突け! 奴等の勢いを止めるんだッ!」

 右翼にも響きわたる高らかな声で叫んだ。



 最後方でジョシュが指示を放つより少し前、スピナーは紫竜鉄鎖騎士団副将エルフィーネと拮抗した勝負の真っただ中にあった。


 スピナーの愛馬が馬兜の鋭い突起で眼前の馬の頭を狙う。

 エルフィーネは馬首を振らせ鋼鉄の馬兜で左に弾かせた。さらに彼が馬の攻撃と同時に繰り出した槍突きにも遅れず反応、剣身に擦らせて体の右側へと受け流す。そして目の前に晒された長い柄を左手の円盾の縁で殴りつけた。

 打たれた槍は柔軟にしなり、彼女の狙いであろう切断あるいは変形を被ることはない。加えて両端に刃があるため、スピナーは殴られた側を円の動きで引いて逆端で彼女の首を薙ぎにかかった。

 並の将ならその攻防一致の一閃で首筋に鮮やかな切り口を刻まれているはずだ。

 しかしエルフィーネは違う。読みなのか、勘なのか、殴るのに使ったばかりの左手の盾をすぐさま裏拳の動きで振り開いて、寸でのところで槍を受け止めていた。


「……なるほど、貴女は確かに先日のレギューヌ将軍より遥かに強いです。バレッド将軍の右腕という呼び名は伊達ではないようですね」

「貴公こそ、まさか馬術でも私に劣らないとは感心した。クレセントの名からは槍を振り回すイメージしか抱いていなかったのだが」

「心外ですね、人馬一体がスピナー・フォン・オルトラスの槍術です。むしろ馬術に驚かされているのは私の方ですよ」

 ふ……とエルフィーネの口元に笑みが浮かんだ。

「もし貴公と味方として出会えていたら、競い合ってどれほどの高みを目指せただろうな……残念だ!」

 一度撥ねつけるようにして彼女と馬が下がる。そして改めて踏み込んでいこうとした、その時―――


「―――副将! 道をッ!」


 部下の叫びで彼女は踏みとどまり、背後の気配を察知して素早く横に逃げた。

 直後、いま彼女が身を置いていた場所を大きな突撃槍が吹き抜けていく。円錐形をした、突貫攻撃限定の大槍だ。

 ――馬鹿なッ……援軍の合図は出していないはずだぞ―――?

 円くした目でその騎兵の動きを追いかけると突っ込む場所にスピナーを認めた。

「危なぃ……!」

 思わず口にした言葉。ハッと語尾を消え入らせながらも彼女は眼が離せなかった。

 スピナーは馬兜の銀槍と掌中の槍の柄を順に接触させて、何とか突撃槍の一撃を逸らした。その兵は通りすぎていったが後続が来る。彼は咄嗟に馬を横に逃げさせながら二番目の騎士に対して槍を一閃する。

 ギィンッという派手な音と小さな火花が散ったが、全身鎧と首まで隠す兜のせいで刃は跳ね返された。

 背後を振り返ると銀鳳隊の部下達が止めきれずに貫かれていく。

「正面ではダメだ! 避けて横から当たれ!」

 指示を叫び、次々と駆け抜けていく騎馬隊に自らも横槍を突きこもうとした……が、

「させんッ!」

 気魄のこもる声と共にエルフィーネが斬りかかってくる。それを柄で受け止めて一歩引くしかなく、彼女に隙を見せられぬその間に百騎ほどの槍騎兵をほとんど後方へと通過させてしまった。目の端で確認すると予想通り右翼のボードウィン側も突破されたようだ。おそらく同数だろう。


「貴公の相手は私のはずだ。決着をつけずして他に刃を向けるとは騎士の礼にもとるのではないか?」

「……確かに、失礼をしました。加えて礼も述べておきます。助かりました」

「な、なんの礼だ……!」

 狼狽する彼女にスピナーは片眉をふわりと持ち上げた。

「先ほど私の身を案じてくれたのでは?」

「あ、あれは……鉄槍部隊の投入が想定外だったため……思わず、だ」

 ――ホークめ……勝手なことを

 一瞬彼女は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、それから元のクールな顔を取り繕った。

「正直言えば、あんな連中に貴公の首を取られるのは御免だとも思った」

「貴女が取るから……ですか?」

 スピナーが笑み交じりに付け足す。

「その通りだ」

 エルフィーネもまた好戦的な眼差しと精悍な微笑を浮かべた。

 彼女に応えるべくスピナーは槍を構え直す。


 ――白馬隊……リリーさん、無事を祈ります。ジョシュ、任せましたよ


 再び二頭の名馬が激しく土を蹴った。

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