第7話 衝突
戦場を舞う細かな砂塵の向こうに、馬蹄の響きを連れて軍影が迫る。
「来るぞッ……絶対通すな!」
隣り合う仲間に叫んで重装備の歩兵は大盾を構える腕から肩、そして下半身に力を込めた。
直後、砂膜が内から破れる。進撃する騎馬の勢いをその鋭い先端に乗せて、円錐状の突撃槍が白馬隊の壁に激突してきた。
「ぬっ……! リリー様……!」
トッド副官が叫ぶ。彼の瞳にもリリーの瞳にも映っている光景は同じ。
今まで鉄壁を誇ってきた兵士の壁が、一突きで三人分ほど穿たれた。槍を直接受けとめた一列目の兵士はすべからく大盾ごと背後へ吹き飛ばされ、その身体を支えようとした二列目や三列目の兵士たちが滑りこんできた尖端によって鎧ごと貫かれる。
そんな衝突が、銀鳳・金獅子両隊を抜けて展開した総勢二百の槍騎兵によって次々と生み出される。最前曲三列、数百の歩兵達の命が激音ごとに傷つけられ、貫かれ、凄惨に奪われていった。
――大型の突撃槍をあれだけ揃えるとは、この日まで蓄えていたのか……?
ギリッと歯軋りをして、トッドは再びリリーに顔を向けた。彼女の指揮が必要だ。中曲後曲を動かして壁を強化しなければ。
しかし、眼前の白備えの指揮官は両目を見開き、肌から血の気を失い、薄く開いた唇を微かに震わせたまま言葉を失っていた。
そう、彼女が将軍となって指揮を執り始めてから今日まで、これほどに激しく自分の部下が破られ断末魔の声をあげていく場面はなかったのだ。彼女は五千を数える自軍の兵士全員の名前を言える。負傷した彼らを必死で看病し、彼らはそんな彼女を護りたいと何度も戦場に立つ。食事の輪に彼女を招いては家族の話や恋人の話、故郷の村の思い出や将来の夢を熱く語り、そんな時にはきらきらと少年のように目を輝かせて意見を求めてきた。歌い、踊り、満天の星空を篝火で焦がして、リリーの下で白馬隊の一員として大切なものを守れることに感謝を繰り返した。その姿を彼女はいつも少しの哀しみを隠して微笑みながら眺めた。……そんな
「――リリー様! しっかりして下さい!!」
トッドとは逆の方から、悲壮な懇願が彼女の耳の奥へ飛び込んだ。
凍りついていた表情にハッと目覚めが差し、呆けていた瞳に光が戻った。
一瞬、その声の主である青年へ顔を向け、たくさんの想いを込めて彼女は力強く頷く。そして前へ向き直ると手綱から離れた両手がそれぞれに勢いよく突き出される。
「右翼の二、七! 左翼の一、五!」
声に震えが見られたのは最初の一息だけ。続く言葉は彼女の全身から絞り出したような強さで吐き出された。
トッドは刹那の笑みを浮かべ、すぐさま彼女の指揮を中曲に伝えるべく怒鳴った。
仲間達の惨状を眼前にしながら指揮官を信じて待っていた彼らは、待望の号令を得て弾かれたように素早く動く。傷つく壁を自らの身で塞ぎ、負傷者を背後へ退かせ、水のように流動的に強度を変えていく。
「負けねぇぞ! ここはダナスの最後の壁なんだ!」
誰かが叫ぶ。
「おう! 撥ね返せ! 絶対リリー様まで押し込ませんな!」
誰かが応える。
あちらこちらで立ちあがる気炎は一挙に白馬隊の隅々へと燃え広がり、続々と打ち寄せてくる強烈な突撃槍にそれ以上の前進を許さなくなった。
そして、何度でも勢いをつけようと旋回しながら騎馬を駆りたてる槍騎士達に、彼らを遥かに上回る速度で黒い風の塊が突っ込んでいく。
「―――お前らぁ! 調子に乗ってんじゃ……ねぇぞッ!」
非常に通る高い声が砂埃を裂いて響き、馬よりやや低い位置を縫う黒豹の背から黒尽くめの少年が跳躍した。
全身鎧と深い兜に包まれた槍騎兵といえどもその背中に取りつかれたなら弱点は隠せない。ジョシュのナイフが背後から兜と鎧の僅かな隙間に滑り込み、そして鮮血を連れてすぐ引き抜かれる。
その馬の尻を踏み台にして宙を舞い次の騎兵に飛びかかる時には、背中を取られていた騎士は呼吸を終えて土の上へと転げ落ちる。
「くっ……“プレイグ”だ! こんな後方で待ち構えていやがったのか!」
槍を構える騎士が顔を覆い隠す兜の中から籠った声で畏れを叫ぶ。
――“疫病”なんてイヤな呼び名だよ。ま、その代わりそんな鎧くらいじゃ防げないってのは―――
宙へ突き出された槍を二本の短剣で叩き落とし、ぐっと腕に力を込めるとそれを踏み台に空中前転を決めながら兵士の顔面に蹴りを打ち下ろした。頭から落馬した騎兵の首が挫ける。
「――覚悟してんだろうなっ!」
あっという間に恐怖の嵐の眼となって吹き荒れるジョシュ。そして彼に続いて疾風の騎馬戦を挑む黒狼の戦士達。
対する鉄槍部隊も数こそ多くはないがその鎧の防御力の高さを恃みに激しく応戦し始める。
白馬隊の壁にもまだ何波もの突撃が繰り返される。
さらに、彼らが切り開いた銀鳳・金獅子隊の綻びから紫竜鉄鎖騎士団の騎兵たちもまた少しずつ吐き出されてきた。
ついにダナス関を前にして戦場は乱戦の様相を描き始めたのだ。
そして、戦塵舞い上げる彼らの頭上で、暗灰色の雲が中天の陽を呑み込もうとしていた。
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