第4話 開戦

 数時間の睨み合いにも互いの士気は緩まなかった。

 そして、完全に日が高くなったその時、戦場に銅鑼が鳴り響いた。

 馬が耳を震わせる。兵士が思わず空を見上げる。

 指揮官の拳が振り上げられた。

「進軍ッ!」

 スピナーの高らかな一声で銀鳳隊が次々と駆け出す。

「進軍!!」

 地の底から湧き上がるようなゾイ・バレッド将軍の号令で、紫竜鉄鎖騎士団が重々しく陣を押し出していく。

 陽に柔らかく照らされるダナトリア渓谷。その固い大地からあっという間に砂煙が立ちあがっていく。

 何千という騎馬が起こす地響きは両岸に切り立つ崖をも震わせ、細かな砂利がぱらぱらと欠け落ちていく。

 谷に滑り込んでいた生ぬるい風をかき乱して、いま雌雄を決する戦の火蓋が切って落とされた―――。


「二槍の陣形! 左翼、私に続きなさい!」

 横一文字で進撃を開始した銀鳳隊の中央と左右の端が速度を遅らせ、双翼は連なる山のような形に変化していく。それは瞬く間に鋭い二本の槍となった。

 右の刃の切っ先を担うのは副官ボードウィン。三十歳の円熟した槍の名人であり、その戦闘力は隊内でスピナーに次ぐ。

 左の刃は当然そのスピナー・フォン・オルトラス。銀の角兜を装着した名馬を駆り、右翼と競うように速度を上げていった。紫のマントが風に泳いで水平にはためく。

 まるで巨大な生物のように鮮やかに姿を変えた銀鳳隊に対して、紫竜鉄鎖騎士団は対応が遅れる。これまで南のサイゴンを攻めるために川縁や水上での戦ばかりを強いられていた彼らは、本来の専門であるはずの陸上騎馬戦にやや訓練が不足していた。指揮官の対応は速やかだった……だが、兵と馬の反応が僅かに遅いのだ。二本の槍に対して二箇所を厚くする前に、スピナーとボードウィンの刃が突入する。

 瞬く間に生まれる無数の三日月。スピナーと斬り結ぶ者達が二合と交えずに血飛沫をあげていく。


「ほぅ、あれがクレセントか」

 ドラゴンを模した兜を被る巨大な騎士ゾイ・バレッド将軍は、自軍右翼に斬り込んでくる長身銀備えの騎士を睨んだ。左翼に目を向ければそちらも勇壮な槍騎士を筆頭に攻め込んでくる。

「ぬっ……!」

 敵軍が二本の槍となったことで割れていく中央の奥に、別の部隊が出現したことに気付く。

 鈍色の重装備で揃えた騎馬軍。その手に槍ではなく剣と盾を握り猛進してくる。

「なるほど……第一陣の攻撃でこちらも左右に兵を集めさせ、薄くなった中央に重騎兵をぶつけてくる算段か」

 実際にその状況になっているというのにバレッド将軍には焦りの色はない。

「エルフィーネ! ルクス! 左右の将に当たれッ!」

 雷鳴のようなその声が轟くと両翼の中から勇ましい声が返ってくる。そしてひと際派手な兜の騎士が二人、それぞれスピナーとボードウィンを目掛けて馬を猛らせた。

「さあ、中央を狙ってくる部隊よ……標的はこのゾイ・バレッドだろう」

 呟くなり右腕を上げる。そして右肩から斜めに突き出していた極太の剣柄を握り締めた。ひんやりとした鉄の感触が手のひらに伝わる。

「その無謀、存分に思い知らせてやろう」

 背負っていた剣が抜き放たれる。周りの騎兵達は十分に間を空けているにもかかわらずさらに馬を離れさせた。それほどに長く、そして幅の広い大剣が将軍の手の中からそびえ立ったのだ。


「―――銀鳳隊は狙い通りの成果を出している! 勝利は我々に懸かっているぞ!」

 右手に長剣を握りしめ、左手で手綱を取り、前傾姿勢で黒馬を駆りながらケイオスは叫ぶ。

「相手は最強の騎士団! 我々もまたダナス最強の金獅子隊だ! 気魄で上回れ!」

 歴戦の部下達が腹の底から吼える。

 ケイオスはもう一本の長剣を抜き放った。手綱を持たず二刀を翼のように構える豪壮な勇姿が仲間の士気をさらに煽る。

「突撃―――!!」

 金獅子隊の前曲と紫竜鉄鎖騎士団の中央部が激突した。

 頭部を挫きあう騎馬、一閃で抉られる鎧、壮絶に軋む盾、そして火花を散らしながら斬り結ばれる剣と剣。

 突き刺すように突入した銀鳳隊の時よりも遥かに巨大な剣戟の響きが、重騎兵団の正面衝突によって戦場を震わせた。そこに数十、数百の怒号も加わり、あっという間に壮大な演奏が幕を開ける。

 オオオッ―――と咆哮を連れて右から斬りかかってくる敵騎。ケイオスはその刃を右剣で弾き、同時に左剣で兜と鎧の隙間を鮮やかに打つ。

 防御に使った剣はすでに次の敵に戦意を向け、突き出された槍を受け流すとすれ違いざまにまたも首へ一閃。

 洗練された彼の戦闘は一息で敵を仕留め、突き進むその馬足を止めさせられることが滅多にない。立ち向かってくる者達はただ雑草が踏み倒されるように次々と彼の後ろで崩れ落ちていく。

 鮮やかな剣術に反して背後に積み上げられていく凄惨な光景、いつからか敵兵は彼と相対することを恐れ、畏怖を込めてこう呼んだ―――“ラット(轍)”。彼の通った後には死者の轍が累々と敷かれていく。



「貴公がクレセント……スピナー・フォン・オルトラスだな?」

 赤い羽根飾りを兜に生やした騎士が、進撃する銀鳳将軍の前に立ちはだかった。

 茶色の馬は鈍色の兜と細かな鎖を編んだ馬鎧に包まれ、その上で騎士自身は面積の少ない動きやすそうな鎧を身に着けていた。紅色のそれに守られているのは胸と肩、腰。他の部分は肌に密着する黒のインナーに覆われているだけだ。

 右手に握るのは槍ではなくひと際長い剣、そして左手には使いこまれた円形の盾。

「貴女は?」

 スピナーはそっと槍を下ろして訊ね返す。彼のそれを隙と勘違いして斬りかかるような敵はいない。

「紫竜鉄鎖騎士団副将、エルフィーネ・オブ・クーデリオ。バレッド将軍の右腕と呼ばれている」

 やや日焼けした凛々しい美しさで彼女は堂々と名乗り上げた。

「女性が右腕ですか……」

 スピナーの呟きを聞いてエルフィーネの目に敵意の焔が盛る。

「女で不足かどうか、まずは一騎討ちに応えてみせよ!」

 馬の後脚が強く土を蹴り、半ば低空を翔けるように鋭く間を詰める。

「女性だからなどと―――」

 答えながらスピナーは馬を左に動かし、槍を左から右へ一閃する。

 エルフィーネは左腕で自分を抱くようにし、右の二の腕を襲った穂先を円盾で弾いた。同時に、防御に使わなかった長剣でスピナーの右腕を狙う。しかし彼が手首を捻ると大槍が鋭く回転し、その柄が剣閃を弾いた。

「―――侮る者は我が軍にはいません。私も貴女を全力で倒させていただきます」

 すれ違った敵へすぐさま馬首を返し、スピナーは槍の尖端をその顔へ向けた。

 彼女もまた速やかに馬を反転させる。結えられている栗色の長髪が背中で躍った。

「それでこそ闘い甲斐がある。貴公の首を我がレストリアの覇道に捧げよう」



 ―――巨大な鉄鎚の一振りで、銀鳳隊の騎士が二人と騎馬が一頭吹き飛ばされた。

「な……一気に三人も……!」

 続く騎士達が驚きの声を上げる。

「皆、回避せよ! この男は私が相手をする!」

 ボードウィンが手ぶりで広がるよう示し、眼前に立つ巨漢に槍を突きつけた。

「我が名はボードウィン・ルーズウェル。銀鳳隊副官を務めている。貴殿も名乗りたまえ」

 巨漢は全身鎧で完全に身を包んでいる。青い羽根飾りを立てた兜までが顔面を覆い、見えるのは横一文字に空いた目の部分だけだ。そしてその双眸が嗤う。

「フッ……ハッハッハッハ! なるほど、貴様が副官か! 肩慣らしにはちょうどいい首だ」

 馬の頭部も一撃で粉砕できそうな鉄の大鎚を片手で軽々と肩に乗せる。

「さぁかかってこい、副官。俺の名前は貴様の死体に告げてやる」

「騎士道の欠片も見えん男だ……。そなたの官位によってはレストリアの品格が知れるな」

 ボードウィンは馬から下りた。男と同じ地上に立つと、そこそこに長身の彼ですら頭一つ以上負けていることが判る。しかしこのまま馬上で闘えば愛馬が無駄に犠牲になる可能性が高い。

「戦は品格でやるものじゃあない。捻り潰すか潰されるか、それだけだ!」

 男が大きく踏み出し、勢いよくハンマーを振り上げた。

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