第3話 朝靄の対峙
微かに冷たさの残る朝靄。
東の大地から世界を白々と染めゆく神の御業。
この暁はどちらの国を祝福しているのか……決戦の時が遂に訪れる。
急速に散りゆく靄の向こうに、騎兵の大軍が姿を現した。
「―――予想通りのお目見えですね、
銀の鎧を纏い、肩からは紫のマントを垂らし、女性と見紛う銀色の麗髪を湿った風に揺らしながらスピナーは敵陣を見つめた。
副官のボードウィンが隣に馬を進めて口をひらく。
「率いるのは当然……」
「ゾイ・バレッド将軍……通称“バニッシャー”と呼ばれる男です」
まだ遠い距離ではあるがダナトリアの渓谷に敷かれている騎兵団。鎧の下に鎖帷子を着込んだ重装兵達の中ほどに、はっきりと頭の抜けだしている巨漢がいる。その周囲が僅かに空間を空けていることを見ても間違いなく、彼こそが指揮官だろう。
「彼を倒すことが出来れば
脇に抱えていた兜を被りながら念を押す。
副官は短くも頼もしい声音で応え、そして背後の陣形を確認するように振り返った。
最前線で渓谷の幅いっぱいに布陣したのは銀鳳隊。ダナス軍随一の突破力を誇る槍の部隊だ。槍術と馬術の天才スピナー・フォン・オルトラス率いる三千の精鋭達。
その背後にはやや細く縦に長い方陣(四角形)を敷く金獅子隊。切り裂くような突破力ではなく押し潰していくような突進力が敵にも恐れられている重装騎兵団。双剣を振るう豪傑ケイオス・オブ・スタンフォードと共に敵を潰していく四千の勇者達。
彼らから距離を空けて、渓谷の終点付近。ダナス関を塞ぐように布陣をしているのが、重装備と大盾の歩兵で構成される白馬隊だ。扱う武器はレイピアと呼ばれる細身の長剣。盾で敵を押し留め、剣は常に一撃必倒の瞬間にのみ振る。殺傷ではなく防衛を主とする不退の兵士を率いるはリリー将軍。兵数五千。
そして最後尾で五百騎ずつ二つの方陣を敷いているのが黒狼隊。ダナス最速の機動力を誇る黒一色の騎馬隊だ。戦況を見て縦横無尽に戦場へ突入し敵陣をかき回す。馬には軽い素材の馬具を与え、背に乗る戦士達は全員軽装備で剣やダガーなどを駆使する。電光石火の一千を指揮するのは黒豹に跨るジョシュ。
彼は渓谷の高い壁を見上げ、それに切り取られた明け方の空を眺めていた。
「少し雲が出てきている……風も昨日から湿り気が増す一方だね」
口を大きめに開けるとピンク色の舌を出して空気に晒す。
「降りますか?」
斜め後ろの兵士が彼の可愛らしい横顔を見ながら訊ねる。ちなみに副官は、もう五百の陣に指揮官として入っている。
「……昼過ぎまでは持つかな。出来ればそれまでに決められればいいけど……」
機動力が武器の黒狼隊にとって雨は天敵だ。ぬかるんだ地面は瞬発力が命の駿馬を並の馬に落としてしまう。
――ケイオス、勝ってよ
濡れたような黒髪を揺らして、少年は戦場の彼方へと眼差しを下ろした。
「―――ちくしょう……バレッドの野郎っ……」
渓谷を抜けて西、レストリア関の外、一万五千強の軍勢を従えながら援護役に回されたホーク将軍は苦々しさを隠さずにいた。
レストリア家の血縁関係にある名門ハインド家の長子、ホーク・ルイ・オブ・ハインド。
陛下から授かった二万の軍に
逆にこの二年で自軍の将を何人も失い、王都から補充される人材を追いつかなくさせる事態を招いている。つい二日前にはレギューヌ将軍と三千の騎兵も敵の策から救えなかった。これが決定打となり、北上してきたゾイ・バレッド将軍に決戦の指揮権を明け渡す事となってしまった。
渓谷に入って布陣を終えている紫竜鉄鎖騎士団の背中を忌々しげに睨みながら、辛うじて副指揮官の座にあるホークはいま、手元に到着した一包みの布を近従の兵に解かせていた。
――このままバレッドがダナスを打ち破っても、あるいはその前に王軍が到着したとしても、殆ど功のない俺は今の地位を取り上げられるに決まってる……
顔を覆うように右手を被せながら、ぎりぎりと歯軋りを鳴らす。
――戦乱の英雄として名を上げ、さらに権力の中枢に昇り詰めて為政者として名を残す。我が野望の為にこの苦境から逆転する手は……
「ホーク様……これは……」
包みを解いて現れた頑丈な長方形の鉄箱の蓋を開けて、その中身に兵士は目を丸くしながら将軍を振り返った。
「俺が設計したのさ。この土壇場に間に合ったとは神の思し召しに違いあるまい。クッ……クッククク……!」
兵士の全身が冷たく怖気立つ。
噛み殺すように笑うホークの顔面には、まるで悪魔のような表情が張りついていた。
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