第37話「母の日の話」

母の日にまつわる事を思い出した。


◇◇◇


「ミズキ君は、お婆ちゃんの顔を描いてね」


保育園の頃から始まった、僕にとって今一つピンと来ない行事「母に日」。我が家には、母親の存在がなかったからだ。


僕が1歳半の頃、父母は離婚した。僕は父方で引き取られその後、父とのマンション生活をした。4歳から父の実家へ引っ越し、爺ちゃん婆ちゃんとの生活になった。


保育園では、3歳児クラスから「母の日」の絵を描いた。それまでの2歳児クラスまでは、保育園からもらったカーネーションを、僕は婆ちゃんにあげていた。3歳児になると、母の日に向けて絵を描いて渡す事になったのだ。


「それでは母の日にむけて、お母さんの絵を描きましょう」


と、先生が言った。僕はすぐに……


「お母さんは」


と、言おうとしたら……


「ミズキには、お母さんいないよ!」


と、2歳時から友達のカミが言った。続いてメグちゃんも心配して言ってくれた。


「ミズキ君は、お婆ちゃんのお顔を描いてね」


と、先生は言った。その時から始まった母の日の恒例行事、似顔絵とカーネーション。それは小学校に入ってからも続いたのだった。


クラスにも慣れた頃、母の日に向けて図画工作の時間に絵を描く事になった。担任の先生が言った……


「それでは母の日にむけて、お母さんの絵を描きましょう」


僕はすぐに……


「お母さんは」


と、言おうとしたら……


「ミズキには、お母さんいないよ!」


と、保育園時代から友達のカミが言った。続いて同じクラスになったメグちゃんも心配して、先生に言ってくれた。


「ミズキ君は、お婆ちゃんのお顔を描いてね」


と、先生は言った。僕は、あれ?どっかで聞いたようなセリフだなあ~と思っていた。何のことない同じ事の繰り返しだ。

書いていて思い出したが、カミとは高学年でもクラスが一緒で、その時もまた……


「ミズキには、お母さんいないよ!」


と、先生に言ってくれていた。先生が変わる度に言ってくれていたのだ。


そうそう、婆ちゃんにカーネーションを買ってあげたのを思い出した。5年生の時だったかな?確か美術の先生に……


「ミズキ君、お婆ちゃんにカーネーションの一本でも買ってあげたら?喜ぶわよ!」


と、言われ。そういうものか?と思って、母の日に市場の花屋で、ピンクのカーネーションを一本買った。


「婆ちゃんこれ」


と、言ってカーネーションを手渡すと……


「あら、カーネーションかい?ミズキが買ったの?」


と、言って。とっても嬉しそうな顔をしていたのを覚えている。


おしまい

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