消え去ってしまう、届け

久慈くじら

消え去ってしまう、届け

 鳥カゴをこわがってた小鳥は

 何も変えられやしないと泣いてばかりいた

 閉じ込められていたのは心

 逃げ出さずその場で歌うことも忘れ

 折れた翼見つめても元には戻らない

 この手のひらに残されたのもので

 何が出来るかを見届けていかなくちゃ

 その場所へ飛んでいくことはできない

 ならせめてこの歌声だけでも届け

 すべての傷を癒やす女神にはなれなくても

 木漏れ日のような安らぎを

 恐れることなどない この青空の向こうにいる あなたへ

 あなたへと歌う あなたへ


 白銀リリィ「Dreaming bird」




 たとえば、世界の総てを――人間やそれ以外のものを救いたいという思いがあったとして、きっとそれは誰でも抱いたことのある思いで、しばらくしてそんなことは不可能だと悟って諦めてしまうのだろう。

 けれど、やっぱりその思いは捨て切れなくて、だからこそ僕は文章を書いていて、けれど書けば書くほど、知れば知るほど、言葉というのは届くことがない。

 そもそも、物を書くことで他人を救ってやろうという気持ちが間違っていたのかもしれない。そうであれば政治家にでもなっていればよかったし、もっといえば地震学者とか火山学者とかそういうもんになっておけよと思わなくもない。けれど、しかし、それでも僕を救ったのは確実に文章で、それは誰かの思いだったのだ。

 文章というのは、言葉というのは抜けがある。たとえば僕の目の前にあるこの旧い石造りの洋館を描写したとして、それは誰かに完璧に伝わることはない。文章では、いや、きっと写真や映画であってもこの洋館を完璧に他者に伝えることはできないのだろう。だから、文章でなにかを伝えるということはひどくもどかしい。そういうものに全く向いていないのだ。

 だから僕はいまこうやって、ぼうっと洋館をみつめて、いったいこれはどういう人物が作って、どういう人物が住んだのだろう、どういった思いがこの洋館には込められているのだろう、と想像することしかできない。また、そういったことを小説にすることぐらいしかできない。

 そして、僕はいまその小説も諦めたほうがいいのかな? なんて思ってしまっている。心が摩耗してしまったのか、かつての情熱は何処へ行ったのだろうと考えてみても、いやそもそもかつての情熱なんてあったっけ? それはただ他者を救いたいという気持ちではなかったっけ? そう思えば思うほど、じゃあ小説なんか書いていてもしかたないじゃんと思ってしまい、ますます小説なんてやるせなくなるのだ。

 けれど、いったいどれだけのそういった創作物がこの世に存在するのか、僕には検討がつかない。エヴァだってさ、きっとあれは他人とわかり合いたいけどわかり合うことなんて厳密には不可能で、けれどその思いを捨てきることができなくて、じゃあひとつになればいいんだ、という話だったしさ。

 そんなもん表現したって、結局は僕たちはひとつになることはできないし、わかり合うことは不可能だ。

 そんなとてつもない徒労――それだけが世界を満たしている。そうやってうつらうつらと絶望に甘んじているとき、白銀リリィが洋館に入っていくのがみえた。

 は? 白銀リリィ?

 彼女は『アイカツスターズ!』の登場人物で、アイドルで、美しくて、この世の人物ではない。僕が毎週毎週欠かさずそのアニメをみるのは、大きく歳の離れた妹のせいで、だから真面目にみることなんてなかったんだけど、それでもキャラくらいはわかるし、ていうか銀髪タイプだし、と思って、いやおかしいじゃん!? アニメのキャラだぞ!? そう思ったときには僕は駆けだして、白銀リリィを追うように洋館の玄関をくぐった。

 白銀リリィの背中には白い翼が生えていて、洋館のエントランスの真ん中で跪いていた。洋館のなかは廃墟のように埃っぽくて、屋根に穴が空いているのか、白銀リリィの五メートル先くらいの床に太陽の条が降っていて、埃により煌めいていて、神聖な教会のようだった。しかし白銀リリィはその場所ではなく、暗い瓦礫に埋もれるように跪いているのだ。

 彼女の背中の白い翼は付け根に近い部分で折れていて、しかしそれは随分と前の怪我なのか、それが翼の一部のようになって治っていた。彼女は空を飛ぶことはできない。だから陽の当たらない場所にいるのだろう。

 そして彼女は歌う。

 僕はその歌詞がそんな歌詞だとまったく知らなかった。それはつまり悲壮な覚悟だった。あなたへ歌が届くかどうかはわからないが、しかし歌うことしかできないので、届くことを祈りつつ歌うのだ。それは無駄なのかもしれないが、しかし無駄ではないと言い切ることもできないし、もしこの歌が無駄であっても、それ以外は無駄じゃないのかもしれないのだから、それを見届けるまで歌うのだ。

 それは僕だ。

 それを僕はやらなくてはならないのだ。

 僕はいったいなにを忘れていたというのか、そもそも知ってすらいなかったのか、いまとなってはわからない。

 白銀リリィは歌い終えると、折れていないほうの翼をはためかした。すると洋館に満ちていた彼女の歌が、洋館のあちこちにある隙間から全世界へとはためいてゆく。いやそれは、ただ単に抜けでただけなのかもしれない。それは指向性を持っておらず、誰に届くともしれず、ただ空中を漂い、そしていつかは空気抵抗により振動は減衰し、世界に融けて消えてしまう。

 そして彼女も歌のように消えてしまっていた。

 跡に残ったのは天井から指す光と、空気がかき乱されたため踊り狂っている埃と、彼女の歌の届いた僕だ。

 僕は彼女に、届いたよ、と言ってあげたい。けれどそれは不可能だ。不可能かもしれない。彼女はアニメの登場人物で、いや実際に存在したとしても彼女はアイドルで、ステージの向こう側にいるのだ。僕の声が、僕だけの声が届くことはなくて、だから声じゃなくて僕は意思を届けなくてはならないのだ。

 それは、だからこうやって形にすることでしか伝えられない。いつか消えてしまうだろうが、届くかもしれないのだ。世界に満ち満ちて、いつか、なにか、偶然の拍子に。

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