旅日誌~1~「歌姫の心」part1
プロローグ
どこにいても、誰といても、何をしていても、声は届く
そう信じていいんだ・・・この空はつながっているんだから
数少ない、多分親父との思い出の言葉。
たまには背中を押してくれたかもしれない、少しは大事な言葉。
だが、そんな、なんだか素敵そうな言葉では、この道は開けそうにない。
この困難な問題は。
それは…あえて言葉にするならば、
「ここはどこだろう」
…有り体に言えば?・・・まぁ、迷子だ。
こういうとき、状況を打開してくれそうなよくあるパターンは、偶然通りかかった人とのちょっとした出会いなのだろう。
けれど、それは難しい。
なにせ、いるのは断崖絶壁。
下から見上げるならば、通常そこには、鷲あたりが休んでいるのが似つかわしいような場所。
眺めはいいが、人っ子一人見当たらない。
風に揺られ、海のように波打つ森だけだ。
ただ、それでも期待したい。
だって、この世界は・・・
旅日誌~1~ 「歌姫の心」
静かな朝。
肌寒い季節に移る頃、夕べの雨のせいで森は霧かかっている。
切れ間切れ間に見える空はとても青く、近く見える。
空に天井があるとしたら、木の上からなら手が届きそうな気さえする。
(…まぁ、届かないんだけど)
そんなことを考えながら、1人の少女が森の一本道を歩いていた。
歩く影は彼女だけではない。
ちらちらと、同じ年頃の少女や子供もいる。
けれど、とても静かだ。
3人の子供たちが、朝早くから元気よく手を握って走り抜けていく。
…けれど、声はない。
足音と、鳥の羽ばたきと、風が葉を揺らす音が朝の音を創り上げるだけで、そこには、「おはよう」という挨拶すらない。
なのに、それは、不気味ではなかった。
例えるなら、『厳か』というのが適切だろう。
彼、彼女らは、今、この場所では、声を上げてはいけないと分かっていた。
正確には、この場所に、まだ声を聞かせてはならないと、信じているのだ。
彼女たちが目指す先にある、教会に辿りつくまでは。
彼女が協会の門をくぐり、二重扉を開けると、静けさは一変して子供の元気な挨拶が聞こえてきた。
集まったのは子供はちょうど20人、村の子全員だ。
いるのは子どもだけではない。
数人の大人の女と1人の男がいた。
長いテーブル奥で座っている男は神父。
子供は、奥から歳の小さい順に座り、間にシスターが混じって席についている。
「みなさんおはよう」
「おはようございます」
「朝ごはんは行き届いていますね。では、いただきましょう」
「いただきます」
言葉の少ない挨拶、感謝の祈りだが、彼らのそれには、ただ形式をなぞっただけのものではなく、何年も繰り返してきた品格が感じられる。
「ほーら、口についてる」
「ディア姉ちゃん…いいよ分かってるから」
「こぼれてるでしょ。…それは、食べ物を粗末にすることじゃないの?」
「・・・ごめんなさい」
小さな男の子に優しく声をかけたディアは、先程空を見上げていた少女だ。
この中では一番の年上のお姉さんになる。
彼女は、子供たちが、楽しそうに、でも真剣に朝の挨拶や祈りをしているのを眺めていた。
いつも通りの朝のように。
食事が終わると、子供たちは速やかに決められた仕事に就いた。
机や椅子を片付け、簡単な掃き掃除をし、参拝用の霊水を汲み、2階と4階の窓をそっと開けた。
1~2分もかからずにそれらを終えると、一同がホールの中央、祭壇の前に集まる。
子供は半円形に整列し、列の後ろには、オルガンとその奏者のシスターが1人。
列の前、半円の中心には、ディアが立っていた。
彼女がすっと上を見上げると、先程開けた窓が、吹き抜けのホールを囲うように位置しているのが確認できる。
彼女は、上を向いたまま深呼吸をすると、目をすっと閉じ、ゆっくり息を吐きながら前を向いた。
どうやら緊張しているらしい。
「準備はよろしいですね、フィーネ・エウディア」
「…はい」
シスターの言葉からももプレッシャーが感じられる。
いつも歌ってきた歌。
みんなと一緒に歌ってきた歌。
本来なら楽しいだけで緊張なんてしない歌だ。
だけど
(今年こそは、上手に歌わなきゃ)
数日後に迫った”あること”が、彼女のいつもを脅かしていた。
彼女は、しっかりと、息を吐く。
(しっかり、練習から集中しなくちゃ)
彼女の準備が整うと、古いオルガンから音が1秒に1つずつ4つ重なり、基本の和音が鳴らされる。
すると、子供たちが、歌の最初の音を確認する。
そして、一瞬の息を吸う静寂の後、彼女の声を中心に子供たちの歌が広がり始めた。
開けられた窓から、ようやく、静かだった森へと”人の声”が届けられる。
それは、全ての生き物、いや、きっと天使にまで届くと思えるほど透き通った『目覚めの歌』だった。
広がった歌は、木々に反射し、太陽で淡くひかる霧をはらしながら、森中に降り注ぎ…そして
「ん?今何か聞こえた?」
迷子だった2人の旅人へと届いた。
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