第2話 ATLAS

 世界最大級の商業船、ATLASアトラスの建造が発表されたのは、今から確か七年程前の事だった。もちろん、大型の商業船というのは、その当時から既に、海上をゆらゆらと漂っており、さして珍しい訳ではなかった。

 だが、このニュースが特別センセーショナルだったのには、理由があった。それは、建造にあたって、七海連合が全面的に支援をすると発表したのだ。

 当然の事ながら、反発も大きかった。各地の商業海域に出店するような小さな店舗や個人商店などが営業妨害だと声を上げたのはもちろん、中には独占禁止法に抵触しているとして司法機関に訴えを出した者がいた程だった。しかしながらそれは、無駄な抵抗にしかならなかった。

 結局、連合の司法当局による監察が入ったもののまるで形だけ、罪に問われる事は無かった。司法機関も連合の組織なのだから、仮にATLAS建造に法的問題があったとしても、揉み消されるのが落ち。そう思うのは、多分私だけじゃないだろう。

 そもそも、七海連合は何故ATLAS建造に協力を約束したのか。経済の活性化を図る、というのももちろんあるだろうが、真意は別の所にあるようだった。

 ある専門家は、従来型のマーケットの形である商業海域を、この広い海上から拭い去る為だと警鐘を鳴らした。商業海域とは、不特定多数の商店がある場所に集まって形成された、一種のコミュニティだ。無論、出店料金は必要だし、ある程度の審査は行われると聞くが、それは公的な機関が行うのではない。商業海域を運営する組織によるもので、同じくその海域で商売をしている行商人で構成されるものだという。

 そんな商業海域である。誰が何を売って買っているのか、不透明な現状がある。それを利用し、闇市のようなものも一部では横行しているらしい。

 一方、近年建造された大規模商業船の場合、入船の度にID確認が必要だ。IDを介したデータを分析すれば、どこで誰が何を買っているのか、顧客情報が管理がし易い。その分、コミットした商品やサービスを提供できるし、何よりも犯罪防止に役立てる事ができる。

 まあ、そういう小難しい理由は後になって知った事だ。

 その頃の私は、今と同じ船で家族と暮らしていた。まだまだ初等教育段階で、世界情勢がどうとかいう話には興味を持つ事もない年頃だったが、唯々途方もなく巨大な船ができるらしいという話に、何となくではあるが、わくわくしていたのを今でもよく覚えている。

 一年ほど前に船は完成し、進水式が行われ、世界最大かつ最新鋭の商業船として華々しいデビューを飾ったATLAS。それが、何故アルバ商業海域のすぐ横に停泊しているのか。

 漠然としているが、脳裏には迷惑しているであろうアルバの人達の顔が浮かんでいた。



 それはまるで、白亜の宮殿と呼ぶに相応しい巨大さ、そして美しさだった。

 私達を乗せた船は確かにATLASに接近していたが、対象が余りにも大き過ぎる為か、どこまで行っても、船が水面に接している部分が見えてこないのだった。

 それがやっと目に見える頃になると、今度は船全体を視界に入れる事が不可能になっているという、そんな理不尽な大きさだ。

「どうやって入ればいいんだろ」

半分笑ったように口を開けながら、私は呟いた。

 気が付くと、周囲にはいくつかの船影があった。それら全てがこのATLASに乗り込もうとする船だとは限らないが、少なくともほとんどと言ってもいいくらいの数が、私達と同じのようだった。

「よし、ちょっと後をついて行ってみようか」

父の声がスピーカーから聞こえてきた。

 無作為に近くの船を選んで、後に続く。

 壁のように巨大な白い船体の周囲を回るようにして、ATLASの後部へやって来た。そこには、まるで洞穴のような暗い入り口があって、その中に数多くの船が、ブラックホールの重力に捕まった天体のさながらに吸い込まれていくのだ。

 私達の船、キサラギ艇が、それに習って闇の中目指して滑り出そうとした時、斜め後ろの方から爆音を響かせて接近する小船があり、やがて猛スピードのまま私達の船を追い越 していった。

 エンジン音が遠くなり、次第に聞こえなくなった。

 残されたのは水飛沫みずしぶきと、それを浴びて濡れネズミとなった私だった。

「うーわ、びしょ濡れだぁ。何なの、ホント!」

「災難だったね。早く拭いてから着替えておいで」

スピーカーが笑い交じりに父の声で喋る。

「うん。……そうする」

 私は悄然としたまま着替えを済ませた。そして、気を取り直して船はゲートをくぐった。

 外から見ただけでは真っ暗なだけのように思えていた内部が、意外にも明るかった事にまず驚いた。外が明る過ぎたのもあって、中が暗く見えていたのだろうと思ったが、どうやらそれだけが要因ではなさそうだ。

 どこを見回しても、照明の類いが見つからないのに、確かに安定した明るさがある。何というか、壁や天井、海面までもが自ら光っているように感じてしまう。

 どういう現象なのか、熟考している間にも船は手近な桟橋に接岸した。

 私は船を追い出されるように岸へ上がった。それから、父親を乗せた船は、未練も何も残さないままATLASの外へ出て行ってしまった。

 ちなみに、父はアルバの方へ行き、おそらく古い音源を漁るのだろう。何か釈然としない思いを残しつつ、私はしばらくその場に立ち残った。ここに停泊した船がこの後どうなるのか、少し興味を引いたからだ。

 入り口から引っ切り無しに入ってくる船達の中から一隻を選び出し、目で追い掛けた。

 まず、私達がそうしたように、手近な桟橋に接岸し、船の操縦者以外を船から降ろす。その後、船は奥の方へ進み、数秒毎に変わる電光の案内板が示す所定の場所へ停泊する。操縦者はその場所で陸へ上がった。すると、上からクレーンが降りてきて、船体を吊るして天井の更に上へ消えていくのだった。

 推測だが、その後船は、天井一つ抜けた上にある立体的なスペースに並べられて、帰る時にIDを提示する事で、自分の船を呼び出せるシステムになっているのだろう。

 そこまでを想像すると、私は満足げに頷いて、船内への廊下を進み始めた。

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