16.0話 数学教師再登場



 ―――5月9日(火曜日)




「……と言うわけで本日、立花さんは10分ほど遅れて1時間目の授業に合流する予定となっています。添桝そえます先生。配慮をお願いしますね」


 教頭のわずらわしい声が聞こえる。


「……はい」


 適当に返事しておいた。今日もわざわざお出ましか。たかだか転入生1人の為にご苦労な事だ。


 俺は権力が嫌いだ。特別扱いと言うものはもっと嫌いだ。

 虫唾が走る。


 立花 憂。整った容姿。綺麗な声。それは間違いない。


 認めよう。


 今朝も職員室では、あの小娘の噂で持ち切りだ。


 ……気に入らない。


 学園側から遅刻を要請するという異常事態。


 ……気に入らない。


 これから、1人の転入生の為に学園長の印の押された文書を配布だ。


 ……気に入らない。


 学校とは全ての生徒を平等に扱うべきだ。何故、たかだか1人の転入生を特別扱いするのか。

 答えを知った時、僅かな時間で積もった『気に入らない』は許せないへと変貌した。



 蓼園の総帥の後見。



 職員朝礼の前に偶然、知り得た。隣の現代文の女と教頭がこそこそと話しているのが偶然、耳に入った。施設の子とは聞いていた。その情報により、少しはあったあわれみは消し飛んだ。


 学園長も教頭もクソッタレだった。総帥の権力の前にひざまずくく愚か者だった。


 俺はそんな権力を傘に着た特別扱いを許さない。大体、たかが施設の小娘がどうやって総帥に取り入った。せいぜい、あの小さい体を差し出したのが関の山だ。それを今日、いぶし出してやろう。



 さて……朝礼の時間か。行くとしようか。




「立花さんは本日、遅刻です! 見に来ても本人は不在ですよー!」


 学園主任と体育教師。それと警備隊……。暇人どもが雑踏整理か。下らない。

 渋々去っていく者、尚も居残る者。朝礼直前だと言うのに2年3年の数も多い。SNSと言う物の存在が問題では無いか。以前より噂の広がりは格段に速い。たったの一日でC棟全体に広がってしまったように思える。由々しき事態だ。待ってろ。俺があの澄ました表情の裏にある淫乱な本性を暴いてやる。


「君たち邪魔ですよ! 散りなさい!」


 俺の一喝で大半の生徒が自分の教室へと向かう。


「ちっ……クソ桝が」


 悪態を付く餓鬼も存在する。だが、手出しはして来ない。こいつらは権力に屈する糞どもだ。お前らの言葉など、どうでもいい。消えろ。

 俺は権力に打ち勝つ。その為には権力が必要だ。俺が表面上、権力に従っているのはその為だ。今は耐え爪を砥ぐ雌伏の時。


 3組のドアを開く。俺が受け持つのは特進クラス。ここから有名大学に進学する者を多く輩出すれば、俺の評価は跳ね上がる。


「「「おはようございます」」」


 いくつもの声が重なる。

 ふむ。今日も我がクラスは素晴らしい。朝礼前から予習している生徒の数を見ろ。


「おはよう。今日は学園長自らしたためた文書がある」


 廊下側最前列の生徒に紙束を渡すと、そいつは自分の縦列の人数分を取り分け、残りを隣に渡す。その要領で俺の手を煩わせる事なく全員に行き渡る。


「おい、これって……」

「あぁ……例の転入生の……」

「後遺症だって……可哀想だね」


「静かに!」


 すぐに静かになる。ふん。どうやら同情を誘う文面のようだな。俺は読まなかった。下らんものを読む必要は無い。



 我が教え子たちが一通り目を通すのを待ち、一言伝えてやる事にした。


「学生の本文は勉学です。他所よその……それも一般クラスに入った転入生など気にしない方がいい。他の特進の連中が馬鹿な事をしている間に差を付けて下さい。以上」


 3組を後にする。1時間目は例の5組での講義だ。楽しみで仕方ない。


 職員室に戻る際、5組の前を通過せねばならない。そこで目にした光景はまたも混乱だ。不愉快で仕方がない。

 職員室に戻り、教材を手にするとすぐに廊下を取って返した。


「君たち! 立花は遅刻と言ってあるだろう! 今、来ても無駄です! 散りなさい!」


 またもや俺の一喝で蜘蛛の子を散らす生徒たち。ふふ……実に下らんな。




 5組のドアを開け入室する。


 一瞬で静まる教室内。勉強している者は皆無か。所詮、落ちこぼれ集団。止むを得んな。一握りのエリートを除いて残りは全て落ちこぼれだ。落ちこぼれと言うやつは、そこに甘んじ這い上がろうともしない。本来、俺が受け持つ連中ではない。


「先生。まだ早いと思うんですけど」


 健太鷹見とか言ったか。一々、やかましい小僧だ。


「うむ。開始時間にはまだ早い。気にせずゆっくりして貰って問題ありません」


 俺の言葉でひそひそと小声で話し始める5組の連中。敵意剥き出しの奴も居るな。そうだ。その目だ。その怒りをやる気に昇華させろ。泥沼から這い出せ。


 榊は……居るな。いつも1人で過ごしていたはずの生徒ではなかったか? 化ける可能性を感じた5組で唯一の生徒だったが馴れ合いを選んだか。つまらん奴だ。

 ビデオカメラは……持ってないな。俺はこれからC棟の生徒の目を覚まさせる為に立花の本性を暴く。それにはアレが邪魔だ。

 PTAに教育委員会。クソッタレだ。何が指導方法の改善だ? 俺の教育方針に間違いは無い。俺の指導法こそが生徒のやる気を引き出す唯一の方法だ。




 キーンコーンカーンコーン



「始業です。挨拶は必要ありません。時間の無駄です。そこ、早く席に付いて下さい」


 愚鈍な奴らだ。講義はスピードだ。一切の無駄を省くべきだ。


 点呼を取る。欠席は1人だけか。後、他は遅れてくる立花……か。


 そう。立花のような頭を壊したような者に合わせる必要など無い。早い内に排除を。腐った蜜柑は捨てねばならない。腐った蜜柑は周囲をも腐敗させる。


「今日は小テストを行ないます。中間テスト直前の大切な物ですので集中して行なってください」


「えー」


 また鷹見か。五月蠅い奴だ。俺のする事に文句を言うな。黙って付いて来れば上手くいく。



 プリントの束を窓側最前列の女生徒に渡す。


「え? あ……えっと……」


 立ち上がり、縦列の人数を数えながら取り分けていく。遅い。機転も効かんのか。イライラさせるな!



 クラス中に行き渡る為に要した時間は3組の倍か。無能は好かん。好かんが拾い上げてやる。一握りのエリートとは雲泥の差だが、学年平均は超えさせてやる。有り難く思うといい。


「何をしていますか? 早く始めなさい」


「あの……先生……」


「なんですか? 千穂漆原さん?」


「立花さんの事……」


 言い淀むな。最後まではっきり言え。


「遅刻する者に配慮はしない」


「そんなっ……今日の遅刻は立花さんのせいじゃ「黙れ」


「言ったはずですよ。私は誰1人として特別扱いしないと」


「………」


 黙ったか。ふふ……悔しそうな顔だな。そうだ。その顔がやる気のいしずえとなる。


 さて……静かになったところで始めるか。


「君たちスマートフォン、携帯電話を出しなさい」


 多くの者が息を呑む。


「どうしましたか? 皆さん持っていますよね? 机の上に出して下さい」


 餓鬼共のスマホを確認する。案の定だ。


「ふむ。テープレコーダ機能ですね。全員、今すぐ電源を切りなさい。私の講義にそのような物は必要ありません」


 悔しさに塗れた顔で電源を落としていく餓鬼ども。これだけじゃないだろう?

 一番、警戒せねばならない生徒の横に歩み寄る。



「榊。ポケットに入っている物を出しなさい」


「何もありません」


 ははは。目が泳いでいるぞ。その京訛りのゆったりした口調は好かん。時間を考えた場合、効率が悪いと思わないか?


「手間をかけさせないで下さい。PTAが五月蠅いから身体検査などしたくない」


「身体検……査……」


「自分から出さねば授業妨害として報告させて頂きますよ」


 そうだ。内申だ。お前らの一番の弱点だ。

 悔しそうだな。どうした? 手が震えてるぞ。


 震える手で榊がGパンの後ろポケットからおずおずと取り出した物。スマホではない。本物のテープレコーダーだ。どこで手に入れたのやら。


 バンッ!


 机を叩いてやったら面白いほど体が跳ねた。まだ……あるな。


「それだけじゃないですよね?」


 どうした?


 顔面が蒼白だぞ。



 コンコン



 近くで小さな音がした。


「入れ」


 ゆっくりと後部のドアが横に滑る。小さい体に端正な顔立ち。立花がやってきた。もう10分か?


 いや、5分か……。早めの到着だな。


「――おはよう――ございます」


「座れ。榊は他のを回収しなさい。まだありますよね?」


 榊は立ち上がり行動を開始する。

 立花は困ったように周囲を見渡す。


「憂……こっちだよ」


 声の主は千穂漆原か。未だに自分の席も覚えられんとはな。


「待て」


 席に向かう立花を呼び止める。


「携帯を出せ」


 小首を傾げた。思案しているのか?



「――持って――ない――です」


 持ってないのか? 今時、珍しいな。だが、こいつは違う物を持っている。


「タブレットだ。電源を切っておけ」


 背中のリュックを下し、しゃがみ込んでタブレットを取り出す。遅い動作だ。イライラする。そこでまた首を傾げた。クソ! 一々、時間をかけやがって!


「電源だ!」


 私の声にビクリと体が跳ねた。なんだ、大声に弱いのか。ガタガタ震えているじゃないか。ふふ……怯える美少女か。悪くない。

 震える手でサイドの電源を長押しし、確実に電源が落ちるのを確認する。


「しまっておけ」


 少し間を空けて、言われた通りにリュックに仕舞い直す。


「席に付け」


 立花は自分の席に向けてひょこひょこと歩き出す。不憫なものだ。これが他の生徒たちを勘違いさせる原因だろうがな。化けの皮を剥がす為には行動が必要だ。


 榊を見る。机に置かれた4つのテープレコーダー。大したものだ。それらを没収する。そして教卓へと戻り、全員に声を掛ける。


「これで全部か?」


 鷹見の後ろの女生徒の目線が一瞬、教卓に注がれた。

 目線が示した通り教卓からテープレコーダーを発見する。


 榊の表情は絶望に染まっている! これで全部だ! やったぞ!


 さぁ始めようか!


「特別講義だ!」




「立花! 立て!」


 はははっ! すでに怯えている! 滑稽だ!


「前に! 来い!」


 恐怖に染まったつらで、軽く足を引き摺り、ゆっくりと向かってくる。


「先生!」


「鷹見。私がこの5組の生徒に大切な事を教えてやる。黙りなさい」


「………」


 ようやく到着か。


「上がれ」


 一段高くなっている教壇を指し示す。

 ゆっくりと上がった。緩慢な動作に虫唾が走る。


 ゆっくりと立花に近づく。


「回れ」


「――どう――して?」


 口答えするな!


「やっ――」


 右腕を掴み回れ右をさせようとすると、バランスを崩し膝を付く。

 面倒なヤツがぁ!


「立て!!」


 掴んだままの右腕を引き上げ無理矢理立たせる。

 ふん。なんだ? もう泣き始めたのか。


「先生! 今の行為は後程、報告させて頂きます!」


 イントネーションの可笑しい早口な言葉。どうした余裕が無いな。榊。

 報告? 構わんさ。特進の教師と授業中にカメラを回し続けた生徒。どちらを信じるかは明らかだ。


「聞け! この立花は学園中に混乱を招き、この5組の授業の進行を妨げている!」


 騒めき1つ無い。静かな物だな。私を真っすぐ睨む生徒は……なんだ。案外、多いな。5組もまだ捨てたものじゃあないじゃないか。


「それでも平然と遅れて来られるのは何故だと思う?」


 権力だ。


「前例の無い個人を紹介するビラが今朝、配布されたのは何故だと思う!」


 権力だ!


「……この立花の後ろには大物が付いている。その方の権力だ!」


 そう! 権力! 権力だ!!


「この街に住んでいれば知らない者は居ない。その大物とは総帥! 蓼園 肇だ!」


 騒めき始めたか。無理もない。その背後の存在故の特別扱いだ。さぁ、この淫乱に侮蔑の視線を送るといい。


 ん……? なんだ? その視線は?

 俺を睨んでどうなる? やはり所詮は一般クラスの馬鹿どもか?

 それなら言葉に出してやろう!


「どうして施設の子だった餓鬼が、総帥をバックに付ける事が出来たか想像できるだろう!?」



 ……おい。


 なんだお前ら!? その侮蔑の視線は!? 普段なら甘んじて受ける!

 今は俺にじゃない! 今はこの餓鬼へのはずだ!


「立花! お前はどうやって取り入った!? 体を開いたんだろう!? 犯されたんだろ!?」


 さぁ、認めろ! お前が認めれば全てが丸く収まる。学園内に平穏が戻るんだ!


 頷け!






「先生!」


 ウチの呼びかけは聞こえてない!

 いけません! 暴走しすぎてはる!


「認めろ!」


 憂さんが前髪を掴まれたタイミングで、窓を開け放ち、彼が飛び込んできはった。

 即座にその手を掴み上げはる。


「女の子の命に軽々しく触れてんじゃねぇよ」


 康平さん。もう少し早う来て下さい。

 拓真さんも勇太さんも駆けていきはった。いけませんねぇ。このグループの皆さん、下の名前で呼び合うものだから移ってしまいます。


 バキッ!


「うがっ! 貴様、何を!?」


 康平さんが容赦なく添桝の顔面をどつきはった。


「なんだ貴様ら!? 本居! 新城! 鷹見!」


 憂さんの騎士ナイトたちが添桝を取り押さえる。

 一件落着ですねぇ。もっとスマートに解決する予定やったんですけど……。


 教卓側のドアが開く。飛び込んでくる警備の皆さん。お疲れさまです。

 その後に続く学園長先生。教室内は騒然です。


 そろそろ私の出番ですかねぇ?


「添桝先生。どう言う事ですかね?」


「が……学園長!? 私は……そう! 校内暴力です! この鬼龍院に殴られて!」


「それは添桝先生が体罰を加えようとしたからです。何の抵抗も出来ない立花さんに。いや、あれは単なる体罰ちゃいます。イジメ、パワハラのたぐいですわ」


「どこにそんな証拠がある!?」


 教卓の上のテープレコーダーの山を見て、ほくそ笑む添桝。どうにも状況が呑み込めてないみたいですねぇ。クラス全員のスマホの電源を落とさせ、テープレコーダーを回収。この人と5組の間で何かあった事は、誰の目にも歴然ですわぁ。


 でも何かあったじゃいけませんねぇ。はっきりさせましょう。


「証拠ならあります」


 どよめく教室内。そうでしょうねぇ。私が設置したのはポケットの物を含めて、たちまち・・・・5つ。それはクラス全員の周知の事実。添桝が全部を回収する事でクラスの皆さんが動揺しはる。これが必須の事項でした。

 その動揺を察知した添桝は案の定、調子に乗りはった。ここまでは想定内。

 あそこまで暴走しはるとは思わんかったのが想定外。


 ……どよめきが収まりましたねぇ。


「千穂さん?」


 彼女を見やると自分の席で憂さんを優しく抱っこして、あやしてはった。

 いつの間に憂さん回収しはったん?


「はい?」


「憂さんのタブを見てもらえますか? 液晶には触れないで下さいねぇ」


 千穂さんは憂さんに一声掛けはる。憂さんが頷いた後で憂さんのリュックから慎重にタブレットを取り出す。


「あ! これって……録音してる……?」


 千穂さんの声に安堵の溜息と歓声が入り混じりました。


「馬鹿な! 俺は電源が落ちたのを確認したぞ!」


 添枡はん……? 『私』じゃなくなってますよ……。


「ちょっと細工させて頂きました。待機中には何も起きません。電源が落ちて1分後に自動発動するプログラムをインストールして頂きました。そんな事より、早くその男を追い出して頂けますか? その下劣な男と同じ教室に居るのは、いくら何でも憂さんが可哀想です」



 警備員さん方が連行していきはる。学園長室ですかねぇ? 学園長先生はウチに咎めるような視線を送ってきはった。昨日、言うたやないですか。ウチは学園の為やなくて、憂さんの為に動きますよって。


 あ。そうそう。警備さんに連れられて、大人しく付いていく添桝に追い打ちかけておきました。『ざまあみろ』って。えらい剣幕でしたわぁ。目線で殺されるかとワクワクしましたわぁ。


 これで恨みはウチに向く事でしょう。

 憂さんには何の非も元から無かったんですから、これでええんです。




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