17.0話 勘違い

 


 1時間目の残り時間は自習となった。

 添桝の暴走があった直後である。止むを得ないであろう。


 それはともかく。


 憂の不機嫌が収まらない様子だ。


「ねぇ? 憂?」


 声を掛けた千穂をちらりとみてプイと顔を逸らす。逸らした方向に回り込むと、また別の方向へプイっと。


(今はそう言うのやめて欲しいんだけど……)


 憂のグループはクラスメイトたちの注目を受けている。全ての挙動、言動が衆人環視の中で行われている。

 学年主任の教師が自習と伝えた辺りまでは、憂は大人しく千穂の腕の中だったのだが。


(とりあえず、そっとしておこうかな?)


(でもなぁ……。なんかほったらかしみたいで嫌。手ぐらい握ってあげよっか)


 ゆっくりと憂の手に向けて、千穂は手を伸ばしていく。

 千穂の手が届く寸前、憂は手を引いた。


「あ」


 憐憫の眼差しやら色々な視線が千穂を捉える。


(避けた! ちょっと! 可愛くないよ!)


 憂は避けた手を机の下に隠し俯く。


(添桝にいじめられて泣いちゃって……)


(悔しいとか、恥ずかしいとかあるんだろうけどさ)


「なんで私たちに当たるかな!?」


 明らかな早口で千穂はぼやく。

 拓真も勇太も佳穂も千晶も声を掛けたが同じだった。

 誰が話しかけてもそっぽ向いている。

 聞き取れなかったと思しき憂は俯いたまま、不満そうに唇を歪めた。一際小さい憂の俯いての行動の為、誰も気付かなかったようだが。


「思うことがあるんだろ。そっとしとこう」


 拓真が千穂に声を掛ける。千穂は納得したのか憂から目を離した。


「ところであんた。榊さん。一体、何者?」


 どこかで聞いた質問である。デジャブか?


「榊さんなんて呼び方、嫌やわぁ。ウチも下の名前で呼んで欲しいですわぁ」


 拓真が微かにイラッとした様子を見せる。それを機敏に察した勇太は拓真の肩に大きな手を置き、同じ質問を引き継いだ。


「榊さん、何者?」

「梢枝」

「そうじゃなくて」

「いえ。梢枝ですよ?」

「……噛み合わねぇ。わざとだよね?」


 2人の間の空気が微妙だ。聞く側に立ったはずの拓真のこめかみには血管が薄く浮いている。拓真と梢枝の相性は悪いのかも知れない。


「そーだね! みんな下の名前で呼び合わない? たしか下で呼ぶ事多いのって憂ちゃんが始まりだよね。昨日、いきなり名前で呼ばれてびっくりしたんだー!」


 バランスメーカー佳穂様参上である。


「それいいね。そうしよ?」

「うん。決めちゃったら呼びやすいよね」


 話し方が似てて困る。最初が千穂、次が千晶の台詞だ。


「女子たち満場一致かぁ。しゃーないな! それで過半数だ! 諦めろ拓真!」

「そうでっせ! 可愛い女の子たちを名前で呼べるチャンスなんて滅多にありまへんで!」

「あんた昨日から呼んでなかった?」

「そうでしたっけ?」


 流れに乗ったのは勇太と康平である。賢明な判断と言えるだろう。


「あー。お前らうるせーよ。梢枝さん。これでいいか?」


 残された拓真は達観した様子でようやく梢枝の名前を呼んだ。

 それを合図に勇太が3度目の同じ質問を繰り返す。


「……それで何者だ? 梢枝さん?」


「あー。そーだったー! そんな話してたねー!」

「私、すっかり忘れてた」

「ウチもごまかせたとばかり……」

「いやいや、ごまかしちゃダメでしょ?」


 あー。もう誰の台詞かは言明しない。推察と想像にお任せする事にする。


「昨日、言いました。悪を挫く正義の味方です」


「「「………」」」


 沈黙の後、ひそひそと小話の会話が始まる。


「昨日、疑問形だったよね?」

「そうだった? 千晶、よく覚えてるね」

「え? スルーしないの?」

「スルーしたら正体不明のままだろ?」

「で、どうすんの?」

「言い出しっぺ出陣だろ?」

「また俺か? まぁいいか」


「話は纏まりましたか?」


「あぁ。その正義の味方は誰に雇われた正義の味方だ?」


「総帥です」



「「「………………」」」



 先ほどより長い沈黙が続く。皆一様の驚愕の表情だ。教室内全員。ただし、憂を除く。憂は振り向き、ぼんやりとグラウンドを眺めている。


「ウチ、人の心が読めるようになったわぁ。皆さん、なんでそんなあっさり大事な事をばらすのか! ……って心の中で言ってはるわぁ。サイコキネシス獲得ですわぁ」


「いやいや! サイコキネシスは物を動かすヤツだから! 心を読むのはサイコメトラーやテレパシーの領域だから! ……って言うか! そうじゃなくて、なんであっさりばらしちゃうの!? 少しは溜めて欲しいんですけど!!」


 いち早く我に返りツッコミを入れたのは千晶だ。何気に詳しいようだが気にせず話を進めよう。

 梢枝は千晶に近寄ると窓枠に腰掛け、事も無げに言い放つ。


「別に隠してた訳じゃありませんからねぇ。いずれはおおやけになる事ですし」


「………」


『知っている』3人はどうしたものかと思案する。それを知ってか知らずか梢枝は続ける。康平を指差して言った。


「そこで珍しく無口になってはるジャージさんも仲間です」


「ちょ! おま!」


「あはは! 慌ててるー!」

「梢枝さんがそうならそうだよな」

「今更、慌ててもね」

「ところで……名前なんだっけ?」

「「え?」」



「「「………」」」



「え? 名前、もしかして忘れ……? え?」


 梢枝への非難も忘れ狼狽する。


「名前……え? 昨日……あれ?」と動揺を隠せない。


「名前……ごめん!」


 千穂も流れに乗った。無論、千穂は覚えている。他の仲間も同じだろう。


「――康平――いじめるな!」


(……え?)


 一際、甲高い声が響いた。

 全員の視線が集まりたじろぐ様子を見せる。しかし、それを撥ね退け言った。


「――康平――まもって――くれた!」


 …………。


 どうやら、何か勘違いしているらしい。千穂が真っ先に反応した。憂の事になると行動が素早い。


「憂? それ……ちが「うるさい!」


 千穂は頭を抱える。周りも困った顔で憂を見ている。守られているらしい康平さえもだ。


「憂? ちょ「きかない――」


 そっぽを向き、目を合わせようともしない。


(あったま来た!)


「憂!! 聞いてよ!!」


 その声量に憂の体がビクリと跳ねた。


(あ……)


 千穂が後悔し始めた頃には、憂は小さな体を更に縮ませ、小刻みに震わせていた。

 すぐに瞳いっぱいに涙が溜まる。


「千穂……」


 千穂は声の主を見る。気遣いと叱責の混ざった複雑な表情を浮かべていた。隣の佳穂も同様だ。


(うぅ……だってさ……憂だって悪くない?)


「要は憂さんが勘違いしてるのが問題ですわ。自分なら聞いて貰えるんとちゃいまっか?」


 康平が立ち上がり憂に近づく。千穂は立ち上がり席を譲った。「あ――」と千穂の背中を憂の視線が追いかける。康平は千穂の席に腰掛ける。机をくっ付けてある為、本当にすぐ隣だ。お互い横向きに座っている為、膝が触れそうになっている。


「憂さん。ちょっと……いいでっか?」


「――――――」


 憂の返事は無かった。その瞳は千穂を捉えたまま離さない。ツーと溜まった涙が決壊する。


「憂さん? 千穂さん……大丈夫ですわ」


 その康平の優しい声は、憂の耳に届いているのか誰にも判らなかった。




 千穂は自身の席を外し、憂に背を向けクラスの高身長コンビと会話中である。スマホを操作しながら。グループ機能の付いたチャットだ。


「千穂ちゃん、だいじょぶ?」

「うん……。ごめんね。興奮しちゃって……」

「まぁ、仕方ないさ」

「うんうん。憂もあの態度は無いわー」

「でも、あんなに怯えちゃうなんて……私、謝らないと……」


 幸いクラスの目は憂を中心に注がれていた。

 教室の隅での千穂たちの行動に気を止める者は、ほとんど居なかった。

 そんな偽装雑談はしばらく続いた。雑談中のチャットの内容はこうだ。



 千穂【あの2人、信用していいと思う?】

【だいじょぶじゃね?】勇太

 千穂【総帥さんからって、聞いてた?】

【いや、聞いてない】拓真

【味方みたいだしいいんじゃね?】勇太

 千穂【どこまで知ってるのかな?】

【少し探りを入れてみる】拓真

【よろ】勇太

 千穂【お願い】

【ミスったら最悪こっちに】勇太

【わかってる】拓真

千穂【私戻るね。やっぱり憂をほっとけない】

【まかせた】勇太




「千穂さーん! ワイ、もう無理やー! ヘルプミー!」


 康平が千穂に泣き付いたのは、チャットの遣り取りの途中だった。どうやら、憂は千穂の背中を見詰めたまま、石化しまったらしい。泣き付くのが少し早い気がする。もう少し頑張れ康平。


 千穂が戻った為、康平は立ち上がった。自身の席に戻るかと思われたが、教室最後方を迂回し、梢枝に話しかけていた。彼らは彼らで話があるのだろう。




「………………」

「――――――」


 一方の千穂と憂は居心地悪そうに向かい合い、空中の何かを探すように目を泳がせていた。やがて視線が合うと少しの沈黙の後、同時に口を開いた。


「ごめん(ね……?)――」


 同時に謝った事を喜び、はにかみ笑い合う両名にジト目を浴びせ千晶は呟いた。


「美しい友情ですこと……」




 憂が話を聞いてくれる状態になった事により、ゆっくりと時間をかけ、1時間目の作戦の説明を行った。千穂と和解したものの、憂の表情は豪雨の直前、どんよりとした厚い雲に覆われているようだった。


 憂が昨日、早退した後の放課後には第2回C5組クラス会議が急遽、開催。

 そして今朝、朝礼前に行われた第3回C5組クラス会議。いずれも憂不在の中で行われた。いや、分かり易くする為に勝手に銘打たせて頂いているのであるが……。



 話を戻そう。

 そこで梢枝は廊下の喧騒もさして気にせず、作戦の説明を行った。


『あいつの性格を分析した結果、今日も憂さんに攻撃しはる事は間違いないです。1時間目。いきなりですけど、ここが勝負となります。用心深い……いえ、ほんまに用心深ければ今日は動きません。せやけど、今朝もこん騒ぎですから、絶対に動きます。そして変に用心深い添桝の事やから、テープレコーダーを警戒してきはります。皆さん、スマホや携帯のテープレコーダー機能を起動しておいて下さい。皆さんのスマホはダミーとします。ウチが持ってきたテープレコーダーは5つ。それを隠していきます。3,4つは発見されても構いません。本命は教卓に隠しておきます。近いほうが音声がクリアになりますので。本命以外の全てを見つけたら調子に乗りはって、暴走します。その証拠を持って潰します。最後に、添桝への挑発は最低限に抑えて下さい。基本的にウチに任せて下さい。皆さんはじっと辛抱しておいて下さい』


 これを更に纏めてみせた。


『つまり、1つ。あいつは確実に動きはる。2つ。各自、テープレコーダ機能をONする。3つ。実物のテープレコーダーは5個。4つ。本命は教卓の中。5つ。全員、言動は極力控える』


 この案に異を唱える者は存在しなかった。だが、梢枝はこの時点でクラスメイトさえも欺いていた。本命と言った教卓の中のテープレコーダーもダミーであった。真の本命は憂のダブレットともう1つ・・・・だったのである。前日に送った憂の姉へのメール。姉はそのメールの指示に従い添付されたファイルを展開させ、梢枝が組んだプログラムをインストールした。それは姉からの返信により確認済だった。


 作戦は見事にはまった。添桝の発言を録音する事に成功した。

 欺かれたはずのクラスメイトも惜しみない賛辞を梢枝に送った。

 しかし、梢枝の表情は晴れなかった。憂に深く頭を下げ謝罪した。


 添桝は挑発の必要も無く暴走し、暴挙に出た。

 抵抗の出来ない憂にとって、恐怖以外の何物でも無かったであろうと。


 説明を理解するに当たって、タブレットが大いに役立った。憂は文章にすると理解し易い様子だ。平仮名多めの文章を入力して行くと深く沈んだ表情が安堵の表情に変化した。全てを理解したのは1時間目の終了の鐘が鳴り、2時間目が開始した後であった。


「――ボク――みんな――ごめんなさい――」


 座ったままではあるが、梢枝に続いて憂が謝る展開となった。長い時間をかけた説明も憂の勘違い……つまり康平が助けてくれたから……否、康平以外の誰も助けようとしてくれなかった、と思い込んだ所から始まっている。


「ううん。説明……しなかった……から」


 憂との会話はもっぱら千穂が行っている。添桝の暴挙以降、どこか怯えた様子を見せている。精神的外傷トラウマとなったのかも知れない。そう周囲は心を痛めている様子である。


「そう――じゃなくて――ボク――」


 謝罪の為に下げた頭を上げず、憂は話す。そんな憂に焦りを見せず、ゆっくりと続きを促す。


「そうじゃ……ない?」


「まもって――もらって――それを――」


 ポタリポタリと清らかな雫が純白のプリーツスカートに落ち、染みこんでいく。

 千穂は憂のその姿に、胸を締め付けられる思いを感じる。


「……それを?」


(この子が……優? ホントに私が告白した優? 試合中、周りの大きな人たちに一歩も引かなかった優? これじゃ、ただの……か弱い女の子だよ……)


 今更ながらに思う自分を、滑稽だと感じる。後遺症故の不安定さと理解していながらも、憂の涙に悲しみを覚えた。



 だがそれはすぐに濃い霧が晴れ渡るように、払拭される事となった。


「――それを――あたりまえ――おもってた」



 憂の謝罪の意味。


 千穂を含め、多くの者は『作戦の事を知らなかったとは言え、すぐに守らなかった周囲を責めた事』への謝罪だと認識した。だがそれは間違いだった。守って貰う事が当たり前……と、思っていた事への謝罪であったのだ。


 守って貰う事が当たり前。それは仕方の無い事だと千穂は思う。

 憂は弱者だ。目覚めた時は頬もこけ、ガリガリに痩せ細っていたそうだ。そこから脂肪も筋肉も付いたが、まだまだ痩せ過ぎの状態だ。それに加え軽度ではあるものの右半身麻痺と云うハンデを抱えている。そして、何より小柄過ぎた。


 腕力に訴えられれば中等部に入りたての少女にさえ、まず敵わないだろう。

 だが憂はそれを恥じ、悔しさに涙を見せていたのだ。


 悔しさに俯く憂にを幻視した千穂は、握りしめられた白く小さな手に自身の掌をそっと優しく重ねた。


 恐る恐る顔を上げた憂に千穂は想いを伝える。


「大丈夫だよ。憂が……守れるように……なるまで」


 千穂は誰を守るかは明言しない。憂自身か千穂本人か。千穂としては、その両方を含んでいたのだが、憂に伝わるかは判らない。


「私が……私たちが……守ってあげるから」



 千穂の声が響く静かな教室。


 ある者は涙を貰い、ある者は暖かく見守り、ある者は訝しみ、またある者は冷ややかな視線を送っていたのだった。



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