12 改名

「結婚式はどうするね」

「尾瀬さんにお任せします」

「普通は女性の方がしたいんじゃないのか」

「それは若い人でしょう」

「いや、ぼくの聞いたところでは、そうでもない」

「しかし佳代子さんが亡くなってから一年以上経ちましたけど、結婚式は早いんじゃありませんか」

「近くの者には、佳代子が望んだことだ、と話してある」

「用意周到ですね」

「瑠衣子さんが式をしなくても良いというなら、ぼくの方は籍だけで構わないが……」

「そこには拘るんですね」

「昔の男だから」

「その昔の男に、わたしのお願いが果たせるかしら」

「結婚するなら、あなたの姓、木村を名乗れということだろう」

「尾瀬さんにできますか」

「試されたものだな」

「それを望んだのは尾瀬さんの方です」

「あなたの前ではうっかりしたことも言えない」

「わたしの方は尾瀬さんが昔の尾瀬さんと完全に決別できなくても気にしませんよ。そうでなければ、もう別れています」

「今の瑠衣子さんは昔の瑠衣子さんより厳しいぞ」

「それで、ご決心は……」

「最初は、そんなに大変なことだとは思わなかった。だが法律的な話ではなく、男のプライドが首を擡げた」

「……というと」

「簡単にいえば同僚や上司、あるいは部下に恥ずかしいという思いだよ」

「わかります」

「そうか。わかるんのか」

「だって、やがて大店を継ぐ婿として苗字を変えるのではありませんから」

「そうだな」

「加えて、わたしの方の財産が多いわけでもないですし」

「財産の話をすれば――改名はともかく――結婚した方が、瑠衣子さんは得だろう」

「だから尾瀬さんの方が、周りの人たちから色眼鏡で見られると」

「それもあるか」

「で、結論は出たのですか。それとも、もう少し考えてみますか」

「今の関係も悪くないが……」

「ええ」

「しかし瑠衣子さんとは正式に夫婦になりたい」

「ありがたいし、嬉しいです」

「なのに、あなたは無理難題を吹っかける」

「今のところ一つだけですよ。浮気をしてはいけないとも言っていませんし……」

「だが、したら怒るだろう」

「気づかなければ怒りませんよ」

「本当かな」

「友だちにも、そのくらい元気な方が良いと話しました」

「それではまるで、ぼくが男として終わっているみたいに聞こえる」

「そんなことはありませんよ」

「それならば良いが」

「ですけど腹上死は厭ですよ」

「死ぬなら瑠衣子さんの腹の上か」

「それも厭です」

「確かに腹上死は一部の男の願望に過ぎないからな。死なれた女の方は迷惑だ」

「ええ」

「だからぼくも、そんな死に方はしたくないよ。もっとも、死に方を選べるならばだが……」

「そうですね。では、わたしはどういうふうに死にましょうか」

「ぼくはあなたの死に目に会えない」

「たとえそうにしても、あと三十八年、生きてください」

「煙草は、もうずいぶん前に止めている。酒も僅かだ。医者に止められる量は飲んでいない。塩分も控えめだ。そもそも食事の量が喰えなくなった」

「尾瀬さんの説明を聞いていると却って病人みたいですね」

「ははは。自分で言っていて、そう思った。……雨の日は避けるが、ウォーキングもしている。これは知っていたね」

「勧めたのが、わたしですから」

「瑠衣子さんはウォーキング歴が長いだろう」

「結婚する前からです」

「バネのある身体が羨ましいな」

「続けていれば、年相応に付きますから。止めないこと」

「そうだな。始めた頃のようにキツくはない」

「でも、お忙しい人ですからね」

「一週間すべてが忙しいわけじゃないさ。週末に海外出張が入れば、平日にスポーツジムに通うか、路線を数駅歩くまで」

「その成果でしょうか、最近尾瀬さんの色艶が良くて」

「あなたには負けるがね」

「わたしの色艶が良いとすれば、それは尾瀬さんのお陰です」

「ならば嬉しい。ところで瑠衣子さんは、いつまでぼくを、尾瀬さん、と呼ぶのかな」

「さあ」

「尾瀬さん、と呼べなくなったら、いったい何と呼ぶのだろう」

「えっ、ああ、そうか。想像もしなかったわ」

「まさか、木村さん、とは呼ばないだろう」

「そうですね。まったく気づきませんでした」

「その昔は知らなかったが、瑠衣子さんは天然なところがあったんだな。発見が嬉しいよ」

「厭な、尾瀬さん。……ならば、わたしの方は名前を変えましょうかね」

 その日から約一月後、わたしと尾瀬が籍を入れる。

 会社や対外的な通名は別にし、尾瀬の苗字が『木村』に代わる。

 その数日後、わたしの元夫、辰巳悟史が自殺する。

 わたしが危惧していたことが現実になってしまったのだ。(了)

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われる り(PN) @ritsune_hayasuki

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